God be with you.

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1.


「君はさぁ、どうして自殺しようと思ったの?」
 喫茶店に入って二人掛けのテーブルに腰掛けるなり、その男の人はわたしにそう尋ねた。茶色い表紙の、分厚い手帳を広げながら。
 どう答えようか。上手く言葉が浮かんでこなくて、とりあえず質問を返してみた。
「あなたこそ、どうしてですか。わざわざ樹海オフなんか開くの、大変じゃないですか」
「僕はねぇ……あぁ、そうだな。その前にちょっと、君に謝らなきゃね」
「何を、ですか?」
「集合場所が変更になったって言って、君をこっちに連れて来たでしょ。あれ、嘘だから」
 謝らなきゃ、という割に、男の人の目にはおかしそうな色が浮かんでいた。さっき、駅で声を掛けてきた時と全く同じ表情だ、と思う。それからようやく、男の人が言っている意味をわたしは考え始めた。
 集合場所が変更、というのが、嘘?
 ほんの数十分前、この人と出会った時のことを思い出してみる。
 わたしは一人、この喫茶店からほんの近くにある駅、改札口の前で柱に背を預けて待っていた。樹海オフ――富士山のふもと、青木ヶ原樹海で集団自殺をしよう、という催しに参加するメンバー達を。わたしが住んでいるところは、ここから遥か遠く。寝台特急に乗って、それから普通列車を何本も乗り継いで来なければならない。そのせいか余裕を持って来すぎたため、参加者らしき人達はなかなか現れなかった。見知らぬ土地で、一人きり。きょろきょろするでもなく、ただ突っ立っていた。
 そんな中、駅の出入り口の方からこの人が現れたのだ。たぶん、三十歳くらいだろうか? 色落ちしたジーンズを履いて、靴なんかもボロボロで、寝ぐせをそのままにしたような頭、髭も伸びる途中みたいな感じで。近づいてくるその人に、だらしない、とかそんな印象を持ちかけたところで、目が合った。その真っ黒な瞳が妙に鋭いというか、底の方がぎらぎらしているみたいで――そっちの方が、強く頭に焼きつけられる。
 ついまじまじと見てしまった自分に気づいた頃、その人はわたしに言った。
『君、オフ会参加者だよね? 僕、主催者なんだけど、集合場所変更したんだ。あっちの喫茶店』
 そんな感じで、その人について行った、わけなのだが。
「え……嘘、って、何ですか?」
「集合場所ねぇ、あの駅のままでいいんだよ。たぶんもう、皆着いてバスにでも乗る頃じゃない? あぁ、ついでに言うと僕、主催者じゃないから」
「え」
 さらさらと、水が流れるように話す男の人に、だけどわたしの頭の川はせき止められたようだった。
 集合場所はここではなく、この人は主催者じゃない。
 つまり?
「ごめんねぇ、集合場所に君一人だったから、誘い出すのに丁度良くてさ」
「誘い出すって……あの、何、を」
 どういうことだ? この人、何をしようとしている? 誘い出して――何をするつもりだ?
「実は僕ねぇ、初めからオフ会についてく気、なかったんだ。最初から、誰か一人引っこ抜いて、取材しようとね」
「取材?」
 何だろう。この人は、何を言っているのか?
 いまいちよくわからない中、男の人の手元に目をやる。右手に軽く握られたボールペン。開かれた手帳の片方のページには、反対側からでは解読できない文字がぎっしり。もう片方のページは、まだ真っ白。
 ペン先と、男の人の顔を交互に見ること数回。
 わざとらしいくらいの間の後、やけに丁寧に、男の人は謳い上げた。
「僕は、自殺志願者じゃありません。ちょっと、自殺志願者の心境を取材しに来た、まぁ、売れない作家です」
 にやり。
 そんな擬音が聞こえてきそうな、嫌らしい感じの笑みだった。
「君の自殺をちょこっと邪魔しちゃって悪かったけれど、まぁ、死ぬ前に人助けだと思ってさぁ。どうして死を選んだのか、その胸の内を――詳しく、教えてくれない? 死ぬのは取材終わってからでも遅くないでしょ。それに君、見たところ高校生くらいじゃない? しかもこんな、春休みにさぁ。自殺なんて。結構、興味深く感じられるわけです」
 猫がネズミを見つけたような顔――いや、ネズミから餌を奪って、いたぶってやろうとする顔、というか。その目は奥の方で鈍くナイフを光らせているようで、でもそのナイフをこちらに突き立てる振りをして、趣味の悪い彫刻でも始めそうな。怖いような、おどけて見えるような。
 よくわからない人だ、と思う。
 取材? それも、自殺志願者の心境、だって。そんなことのために、わざわざ。オフ会に参加する振りをしたり、嘘をついて人を連れてきたり。
 本当に、自殺だけ考えてやって来た人の邪魔をしたりしたら、どうなると思っているのだろう。たぶん、取材、なんて応じてくれるわけもないのでは?
 まあ、わたし相手でも、満足のいく取材はできないだろうけれど。
 おかしくなって、こちらの口元も歪む。
「残念――でしたね」
「何?」
 少しだけきょとんとしたように、男の人は問う。
 さりげなく、わたしは視線を外す。視界の隅に、丸い時計が現れる。こっ、こっ、こっ、こっ、と規則正しく動く秒針。待つこと反回転と、少し。
 わたしはようやく、男の人の目を見据えた。
 そして、わざとらしくも白状してやる。
「わたし、自殺しに来たんじゃありません。友達を、探しに来たんです」


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