God be with you.

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2.


「それで、その友達に勧められて、あの掲示板にやって来た、と」
「そうですね。ただ、わたしもあの子も書き込んだのは最初の一回くらいで……ああ、わたしは二回ですね。最初と、今日のオフ会の参加表明した時に」
 わたしは今、あんまり手入れされていない感じの車、後部座席にいる。運転しているのは、売れない作家さん。樹海へ行くには、バスもあるけれど車で行った方が早いとか何とか。
 あの喫茶店で、わたしが自殺志願者ではないと知ってなお、この人は興味を失うことはなかった。それどころか、「その話、詳しく聞かせてもらえるかな」と、余計に底光りする目を向けてきたのだ。
「そうなんだ。君のハンドルは?」
「えっと、『九月』、です」
「あぁ、クガツさん……いたねぇ、そういえば。九月生まれだから、『九月』とか?」
「いえ、苗字が『長月』だから……」
 言ってしまってから、正直に本名を名乗るのもどうなのだろう、と自分に突っ込んだ。けれども、特に後悔もない。よくわからない感覚だった。
 そもそも、どうしてわたしは「取材」を受けたのか。
 さっきの店で、話を聞かせてほしいと頼まれ。狐につままれたような気分になった。それを尻目に、ボールペンを一回ノック、もう一回ノックしてペン先を出し、売れない作家さんは呟いた。
『友達探しに樹海、か。それはそれで――』
 ネタになりそうだな。
 ほとんど独り言みたいな声だったけれど、かろうじてそう聞き取れた。
『樹海に友達を探しにってことは、その友達、自殺したんだ?』
『たぶん……』
『もう、死んでると思うわけ? その子の死体を、探しに?』
 深く考えもせず、うなずいてしまった。
『でも、どうしてオフ会なんかに? 一人で行った方がいいんじゃ?』
『その……行き方とか、よくわからなかったので』
『へぇ。じゃあ、僕が案内してあげようか。取材料として』
『え』
 突然の提案に、言葉は詰まる。
 なのにわたしは、作家さんのおどけたような目を見ているうち、催眠術にでもかかったように「はい」と答えてしまったのだった。
 一応、「ろくに地理も調べておらず、樹海への道はオフ会を完全に当てにしていたため、オフ会に行けない今となっては、あの子を探すにはこの人を頼る他ない」という言い訳は成り立つ。
 けれど、それ以上に――自分でも理解できない何かが「この人について行くのがいい」と告げて、わたしは行動を共にすることに決めたのだ。
「なるほど、長月イコール九月か。下の名前は? あぁ、大丈夫、本名そのまま作品に使ったりはしないから」
「みひろ、です」
「漢字は?」
「えっと、未定の『未』に、裕福の『裕』で、未裕」
「何か凝ってるねぇ」
「そうですか? ……あの、作家さんの名前は」
 いい加減、「作家さん」と呼ぶのも変な気がしてきて、尋ねてみる。すると、「ミバヤドコヨミ」という答えが返ってきた。
「えぇとねぇ、御心の『御』に『馬』に『宿』、『小』さいに『読』むで、『御馬宿小読』。覚えてない?」
「ええと……」
「まぁ、変に凝ったハンドルの人多いしねぇ。正直僕も、この名前はどうかと思ってる。『小読』っていうのもさぁ、最初は『古』いに、死後の国の『黄泉』にしようとしたんだけど、さすがに恥ずかしくてやめたんだ」
 はあ、とあいまいにうなずくわたし。
 一応、本名を訊いたつもりだったのだけれど……はぐらかされた、ということか。たぶん、作家としてのペンネームですらないだろう。
「そういえば、その友達の名前は? ついでに、ハンドルも」
 こちらの考えていることをわかっているのかわかっていないのか、御馬宿さんは問うてくる。
 わたしはまたも、嘘もなく回答する。
「荻野谷千春ちゃん、です。掲示板では『ハル』」
「オギノヤチハルちゃんで、ハルね。シンプルだけど意味のあるハンドルって、いいよね」
「そう、ですか」
 とりあえずまた、生返事。
 真昼の明るい道を走る車に揺られつつ、わたしはハンドルを握る御馬宿さんの、あちこち跳ねた髪の毛を見るともなしに見る。けれども、ぼーっとしていられる時間は短い。御馬宿さんがまた喋り出したのだ。
「一応整理したいから、未裕ちゃん、間違いがあったら言ってね。
 まず、君の友達、千春ちゃんは少し前から、自殺に関心があるような素振りを見せていた。『樹海で自殺って、ロマンチックじゃない?』などと、特に富士樹海にこだわっているようだった。
 そんな折に、彼女は自分が見つけた、樹海での集団自殺を企てる掲示板を君にも見せる。君はとりあえず最初に自己紹介をしただけ。中身もあまり見ていない。けれど、千春ちゃんは書き込みこそしないが、熱心に樹海についての記述を読んでいるようだった。
 そして、つい三日程前。千春ちゃんが失踪した」
「――はい」
 静かに、首を縦に振る。
「その時点で、オフ会の決行日はもう今日だと決まっていた。彼女はオフ会を待たずして、一人、樹海へと行った、と」
「そう、です」
「どうして、そう思うの? 証拠は?」
 緩くハンドルを動かす御馬宿さんの手元を見詰めながら、わたしは膝の上、拳を固くした。ごくりと唾を飲み込む。
 あの子が樹海へ一人行ったと、どうして思うか――どう、説明したものか。
「あの……千春ちゃん、樹海にこだわってはいたけど、『集団自殺みたいのは綺麗じゃない』って、言ってて」
「だからオフ会には参加しなかった、っていうのはわかる。でも、樹海に行ったかどうかは? 彼女が書き置きでもしたのかい?」
「いえ……」
 本当に、前触れもなく――あの子は姿を消したのだ。誰にも、何にも説明せず。
 けれどわたしは。
 千春ちゃんのお母さんが「未裕ちゃんのとこに、千春、来てない?」と、彼女を探し始めたと知った瞬間から。
 あの子は樹海へ行ってしまったのだな、と思っていた。
「単なる家出だとか、考えられるじゃない? 自殺だなんて、普通、最初に出てくる発想かなぁ」
「あ、の」
 何て言ったらいいのだろう。こんなの、上手く表現できない。そもそも千春ちゃんが自殺しただなんて思った自分がおかしいんじゃ、と脳がぐるぐる揺さぶられる。
「――っと、何だか、犯人に詰め寄る探偵みたいだな」
 丁度信号が赤になり、車が停止した。
 御馬宿さんはこちらを振り向いて、鈍く光る瞳で言う。
「ようするに、虫の知らせみたいなものなんだろう? あるいは、仲の良い友達だからこその直感、というか。
 確証も何もないけれど、未裕ちゃんは千春ちゃんが自殺しに樹海へ行ったと確信している。それ以外に、考えられなかった。だから、ここまで探しに来た。
 そういうことで、いいのかい?」
「そう……はい、そう、です」
 目を丸くするわたしに薄く笑い掛け、御馬宿さんは再び前を向いた。
 緊張の糸が途切れるみたいだった。そう、御馬宿さんが言った通りなのだ。そうとしか、言いようがない。わかってもらえて、そして自分でも自分の思考回路を確認できて、わたしは握り締めていた拳を解いた。汗ばむ掌が、少し気持ち悪い。
「失踪したのがオフ会間近っていうのも、因果なのかねぇ……君が彼女を探すのに、好都合だよね。だけど君、下調べもなしにオフ会に便乗って、危険だと思わなかったのかい? 荷物もあんまりないようだし、僕に騙されて簡単について来ちゃうし……案外、あのまま参加していたら、流れで皆と自殺しちゃってたんじゃないの」
 軽く、冗談混じりみたいに言う御馬宿さんに、少しだけどきりとしつつ、わたしは軽く受け流す振りをした。


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