God be with you.

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6.


「学校近くの駅に、ホームレスがいたんです」
 ふらり、と、わたしは口を開いた。
 焚火をはさんで向かい側にいる御馬宿さんは、手帳にボールペンを走らせている。「今日のおさらい」と言って書き殴ること十数分、たぶんもう、大体のメモはしただろうと思い、話を続ける。
「朝と夕方に見る時、いつも寝てたんですよね、その人。だから千春ちゃんは、『きっと、昼のうちに寝て、夜は動いてるんじゃないかな』って言ったんです」
「あぁ、なるほど。冬の夜に寝たら死ぬから」
「はい、千春ちゃんもそう言ってました。それで――その人を見るたび、千春ちゃん、言ってたんです。  何で、死んじゃわないのかなって」
 ぱちぱちと、赤く爆ぜる炎を見ながら、その時のあの子の顔を思い出す。
 不思議そうで、けれども全部を見透かしたような。
 そんな表情だと思ったのだ。
「そのホームレスの人、ついこの前、いなくなっちゃったんです」
「あぁ、死んじゃった、かな」
「たぶん、そうだと思います。その時千春ちゃん、言いました。『家もなくて、大事な家族もいなくて、それでも頑張って生きたあの人は、きっと神様の所に行けるね』って」
 God be with you.
 あの子の好きな言葉が重なる。
「千春ちゃんは、ロマンチストだねぇ。ある意味ちょっと、変わってるかもね」
「……変わってるっていうなら、御馬宿さんも相当ですけど」
 とぼけた顔をする御馬宿さんに、じっとり、わたしは視線を投げ掛ける。
 さっき、わたしが落ち葉に埋まった骨を見つけた時。御馬宿さんは、すぐさま拾い上げて、「だいぶ腐食しちゃってるから、何の骨だかわからんねぇ。とりあえず、持って帰ってみようかな。資料になりそうだし」と、淡々と言葉を紡いだ。
「何のかわからない――自殺した人のかもしれない骨、資料、なんて」
 御馬宿さんの言動と、よくよく見るといくつも埋まっていた小さな骨を目の当たりにし。わたしはほとんど半狂乱になった。ようやく平らな土地を見つけた頃にはましになっていたけれど、それでもテント張りを手伝う手は震えて仕方なかった。
「樹海で自殺したら、あんまり綺麗に骨は残らないっていうからさぁ、つい。ごめんねぇ、長いこと引き篭もってたから、どうも感覚がずれてるみたいで」
「作家さんって、皆、そんな風なんですか」
「いや、全く、そんなことはないと思うよ」
 悪びれる様子もない。そもそも悪いと思っていない。暖簾に腕押し、そんな気分だった。
 溜め息をつく。今日一日を総括するような、大きな溜め息。
 少しだけ気持ちが落ち着いて、わたしは再び喋り始めた。
「……普通の感覚じゃない、御馬宿さんに訊いてみたいんですけど」
「何?」
「頑張って生きた人が神様の所へ行くなら、自殺した人は神様の所に行けないんですか」
 声が、わずかに強張るのが自分でも感じられた。
 千春ちゃんが神様の所へ行けるのか。そう訊いているようなものなのだから、当然だ。
 それを知ってか知らずか、御馬宿さんは変わらぬ調子で言う。
「そうだねぇ、まぁまず、神様がいると思ってるんだ? 君も、千春ちゃんも」
「いえあの、よく、わかりません。たぶん千春ちゃん、本当には信じてないんじゃないかな……」
「まぁそんなもんか。じゃあ、自殺は悪いことだって、思ってる?」
「それは――」
 どう、だろう?
 千春ちゃんは、どう思っていたのだろう? よく、わからない。
「えっと、逆に訊きますけど、どうして自殺はいけないんですか」
「さぁねぇ」
 ふざけたように、御馬宿さんは片眉を上げた。
「まぁ、僕の持論だけど。このテの『神はいるのか』、『何故自殺はいけないのか』みたいな議論は、そういうのをしたがる年齢になってくると、もう大体各々の中で考え方の土台は出来上がってると思うんだよねぇ。だから、議論することが無意味とは言わないけれど、自分の考えを他人が全面的に取り入れてくれることはないし、他人の意見に触れることで自分の中に大々的な変化が起こることもない。だからねぇ、各人が、大事に大事に、自分の結論を育んでいけばいいと思うよ」
 また、はぐらかされている――と感じるのに、ひどく真摯に語られている、ようにも思える言い方だった。
 何だか悔しいような気持ちが湧きあがってきて、わたしは突っ掛かるような口調で訊ねた。
「じゃあ。御馬宿さん個人は、どういう考えなんですか」
「僕? 神様については、まぁ、いるんじゃないの? 自殺はねぇ。生物として間違ってるって程度の認識かな」
「生物として、間違ってますか」
「僕の中ではね、そういう考えなんだと思うよ、たぶん。じゃあまた訊き返すけど、君は?」
 あの子はどんな風に、捉えていたのか? 交わした言葉の断片を集めようとするけれど、どれも小さすぎて、丸めてみても曖昧なまま。
「千春ちゃんが、どう考えてたのか――」
「千春ちゃんじゃなくて、君。君は、どう思うの」
「わたしは、千春ちゃんと同じ考えだから」
 ぱちぱち、ぱちぱち。
 火の中放り込まれた木が、ぱきんと、炎に全部取り込まれる。
 御馬宿さんが、また、にやり、と笑った。
「あぁそうか、君はアレだ、自分のことを『自分がない』ってタイプだと思ってるクチだ」
「思ってるっていうか、よく、言われます」
 ふふ、と、わたしも薄く笑う。
「親にも散々怒られました。『人にくっついてばかりいないで、自分で考えて行動しなさい』って」
「そういえば、今日の君の行動、何から何まで流されっぱなしだったもんねぇ。オフ会についてってそのまま自殺しちゃうんじゃない、って僕が言った時も、そーですねーって感じだったし」
「わたしは、一人じゃ何にもできない、グズなんです。
 そうですね、謝らないといけないかも。わたし、最初、自殺しに来たんじゃありませんって言いましたけど、たぶん、することになると思います。千春ちゃんを見つけたら。だって、あの子がいなくなったらわたし、生きていけないもの」
 指先を炎にかざす。
 じんわり、暖かさが、熱さが、這ってくる。
「小さい頃から、大きくなっても、ずっと、ずっと、そうだったんです。幼稚園の節分で鬼の役になったら、逃げるでもない、ずっと突っ立ってました。動けなかったんです。千春ちゃんに手を引っ張ってもらって、大泣きしちゃいました。小学三年生の頃かな? 図工で、ゴミを集めて動物を作ってみようってのがあって、どの動物にするか、全然、決められないんです。ウサギにしようかな、ゾウさんにしようかなって。みんなが作り始めてからもずぅっと悩んでて、見かねた千春ちゃんが『わたしとおんなじキリンにしよ』って言ってくれて、やっと決まったんです。でも案の定、期限に全然間に合わないし、材料も足りなくなって。千春ちゃんが余ったのくれて、完成も手伝ってくれましたよ。それから、」
「あちゃぁ、駄目人間の片鱗だ」
「でしょう? それに、大きくなってからは進路かな。高校の見学会、ろくに行かなかったんです。だって、どこがいいかわからないし。自分のレベルもわかってなくて。間際になって千春ちゃんの第一志望校について行って、そこに決めました。『未裕はわたしがいないと駄目なんだから、一緒のとこ行こ』って。千春ちゃん、言ってくれたんです。ただ、さっきも言いましたけどあの子、出来る子だから。志望校のレベル、わたしじゃ足りないんですね。それからはもう、死ぬ気で勉強しましたよ。あの子と同じ所に行かなきゃ、あの子と一緒じゃないと駄目だからって、必死で。千春ちゃんも、自分の勉強もあるのに手伝ってくれました」
 小さく息を吸う。
 炎の温度が、軽く、鼻先に感じられる。
「それで、どうにか合格できて……でもまた、ですね。今度高校三年生なんですけど、進路、決めなきゃいけなくて」
「人生は選択の連続だねぇ」
「です。それで、やっぱり千春ちゃんと一緒だと思ったんですけど。肝心の千春ちゃんが、悩んでて」
「何でも出来る、千春ちゃんが」
「ええ。どうしたらいいかなって、わたしに訊いて来て。だからわたしは千春ちゃんならどこでも行けるって言って」
 思えば、わたしに対してあんな風に弱気な態度を取るあの子は、あれが最初で最後だったような気がする。もちろん、小さな相談事ならば、さすがのわたしも聞くくらいはしてきたけれど。そんなんじゃなく、もっとずっと、苦しそうだったのは、あれが初めてで。
「その頃からでしょ? 千春ちゃんが樹海にこだわり始めたのは」
 顔を上げると、鈍く輝くナイフがわたしを見据えていた。
 一瞬、胸がざわついて、わたしは声もなく首を縦に浅く振るだけ。
「千春ちゃんは、どうして自殺しようなんて思い始めたのかなぁ?」
 どうして。
 どうして、どうして。
 どうしてだろう?

†  †  †  †

 どうしようかな、とあの子は呟いた。
『大学?』
『そう。どうしようかな。未裕は、どこに行きたいの?』
『わたしは、千春ちゃんと同じ所ならどこでも。だから、千春ちゃんが決めてくれなきゃ困るよ』
『わたしね。今頃気づいたんだけど、大学に行ってしたいことがないの』
『大学でしたいこと?』
『ううん、そうね。大学で、じゃなくて、人生で。したいことが、ないの』
 わたしの部屋、大きなクッションを両腕で抱き抱えて。
 子供の頃と同じように、あの子はそこにいた。
『これから先、自分が何をやっていくのか、ビジョンが見えてこない。どんな風に生きていくの? どんな風に生きたいの? 見えないの。真っ暗なの。わからない。わからない――』
『もう、どうしたの? 千春ちゃんなら、何だって出来るでしょ?』
『そう思う?』
『思う。千春ちゃんは、どんな風にも生きられるよ。だからわたしは、どんな所にもついてくの』
『本当?』
『本当』
『本当――?』
 ベッドに腰掛けているわたしを、上目遣いに見詰めるあの子。
 その仕草が本当に子供の頃と同じに見えて、少し、戸惑う。
 だけどあの子は次の瞬間には大人の顔で微笑んで、囁くように言ったのだ。
『あのね。やっぱりあったの。やりたいこと』
『え、何?』
『未裕は、わたしについてきてくれる?』
 絶対、ずっと?
 念を押すあの子に、何度も、何度も、うなずいた。


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