God be with you.

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7.


「そもそも、樹海で自殺って、あんまりロマンチックじゃないんだよねぇ」
 翌日の早朝。
 わたしと御馬宿さんはテントを畳んで、『w』の位置まで戻った。『南南東へ』の指示に従い、足を進めていく。
 昨日歩き回って筋肉痛気味なのと、あまり眠れなかったことが重なり、わたしはしょっちゅう、岩石に足を取られて転びそうになった。そのたび、御馬宿さんが助けてくれたけれど、何だか気まずい。焚火を囲っての会話が、わたしの中でねばねばと、後を引いているのだ。
「死体には、気持ち悪いぐらいでっかいウジ虫が群がるし、首を吊った死体の脚が野犬に喰い千切られていた、なんて話も多いしねぇ。ウジ虫といえば、こんな話もあったな。自殺目的で来たはいいけど、途中でやめたくなった人がいてね、でもこの通りの景色だから、自分がどこから来たかわからなくなって。迷子になってさまよって、憔悴しきってるところを運良く救助されたんだけどね、その右手は半分ウジ虫に喰われて腐乱してたんだってさ。抵抗する気力もなくて、生きながら、ウジ虫にされるがまま」
「気持ち悪い話、しないでください」
「ごめんねぇ? あぁそうそう、樹海の死がロマンチックじゃない大きな理由。昔出版された『完全自殺マニュアル』って本に、『樹海で自殺すれば、誰にも発見されることはなく、跡形もなく土に還ることが出来ます』とか書いてあったらしいけど、ほとんど嘘なんだってね。大抵、発見されてしまうんだ。さっき言ったような、酷い姿で。あ、『i』発見」
 細い木に巻きつけられた赤いテープ。
 次は西南西。
「何でも、自殺者の中でも『本当は見つけてほしい』と思っている人だとか、あるいは死にたくない気持ちの残っている人は、遊歩道からすぐ近くのところで死んでることが多いんだってさ。樹海の奥深くまで行けないから、すぐに見つかってしまうわけだ。ほとんどの自殺者がそんな感じなんだってね。ほら、僕らも、樹海に入ったばかりの時に集中して、靴とかバッグとか遺留品っぽいの見ただろう?」
「……すみません、入ったばかりの時は、あんまり周り見てなくて」
「そうかい。それにしても、もしかしたら、自殺を考え直して樹海を出ようとして、あと少しのところで力尽きた人もいるかもしれないねぇ。そう考えると、いたたまれないね」
 いたたまれない、なんて、白々しいなと思う。骨を持って帰ったりしようとしてたくせに。思い返してみれば、樹海に入ったばかりの時、この人、やたらとデジカメのシャッターを切っていた気がする。遺留品を、撮影していたのか。
「……本当、御馬宿さん、悪趣味ですね」
「どこが?」
 こちらは向かないけれど、心底楽しんでいるような気配しか伝わって来ない。
 わたしは棘のある口調で言った。
「悪趣味じゃなかったら何なんですか。何を言いたいのか、いい加減はっきりしてください」
「あははぁ、ごめんねぇ?
 つまりね。どのくらい歩かされたかは知らないけど、こんな樹海の奥地で自殺したと思われる千春ちゃんは、本当に死にたかったんだなぁ、って」
「また、それですか」
 またってほど言っちゃいないさ、と御馬宿さんはうそぶくけれど、仮にそうだとして、うんざりした気持ちを抑えることはできない。
 あの子が、どうして、死にたいと思ったのか。
 いくら考えても、答えは見つからない。
「『t』発見……さて、残るはあと四つないし五つか」
 目の前には、あの子を示す赤。
 だんだん、近づいてきているのだ。
 でも、わからない。わかるはず、ない。
「千春ちゃんに会うのも、あと少しだね?」
「そう、ですね」
「ねぇ。千春ちゃんは、どうしてここまでやって来たか、わかるかい?」
「……イメージにつられたから、じゃないですか。千春ちゃん、しっかりしてるけど、そういうところがミーハーな感じでしたし」
「何故樹海かっていうのはひとまず置いといてさ、どうして自殺を?」
「……わからない、んです。たくさん思い出してみて、でも、わかりません。すみませんが、もう、これが取材だっていうなら、受けられません」
「そう。悪かったね」
 意外にもあっさりと、御馬宿さんは口を閉ざした。
 それでも、もやもやした心は晴れたりしない。ぐるぐる、悩んだまま、無言で御馬宿さんの隣を行く。
 ひたすら、前へ。
 時折わたしはつっかえて、それを御馬宿さんは素知らぬ顔で助ける。ありがとうは言えない。もやもやが募る。
 それでも視線の先には、律儀に、赤色がやって来る。
 『h』『南西』
 あと、少し。
 と、そこで、御馬宿さんが磁石を確認しながらまた口を開いた。
「君から聞いた話を整理して、その他諸々も加味して考えてみたんだけどさ」
 木の幹に手を這わせ、こちらを向く御馬宿さん。
「違うと思ったら指摘してくれて構わない。取り合わない可能性もあるけど。
 未裕ちゃんと千春ちゃんの関係についての、僕の考察だ」
 鈍い光が、わたしをとらえた。
 それも一瞬のこと、御馬宿さんは磁石の示す方向へと歩を進め始める。歩きながら、さらさらと述べる。わたしはただただ、ついていって、聞いているしかない。
「千春ちゃんは君にとっては生きていく上で必要な存在。蛍だっけ? 君は彼女に完全に依存している、そんな話だったね。
 さて、千春ちゃんは君の言う通りなら、良く出来たお嬢さんだった。それが何で、わざわざ『グズ』であるところの君の世話を焼いていたのか」
「それは、千春ちゃんは誰にでも優しくて、駄目な奴は放っておけないから――」
「誰にでも優しい? 君からの情報しかないから心許なくはあるが、彼女は、君にばかり優しかったように思われるよ?」
 それは――そう、なのか?
 確かに千春ちゃんは、いつもわたしのフォローをしていて。
 他の子に気を配る暇なんて、そういえば、あったのだろうか?
「何でも出来る千春ちゃんは、何にも出来ない未裕ちゃんをいつも助けていました。未裕ちゃんだけを、いつも見守っていました。
 思うにさぁ、彼女こそが、君に依存していたんじゃないの?」
 依存。
 千春ちゃんが。わたしに?
「何、言って」
「彼女は何でも出来るわけじゃなく、何にも出来ない君が近くにいたからこそ、何でもしなければならない必要に駆られていた。君がどうしようもないから、自分をしっかり保とう、と努力しなければならなかった。いやむしろ、どうしようもない君を近くに置いて、努力しなければならない環境を作ることでしか、何かをすることが出来なかった。
 もしくは、そうだな。実際に、何でも卒なくこなせる子だったけれど、君の傍にいるうち、『自分はこの子のためでなくては何も出来ない』という風に変化してしまった」
「ちょっと、待って下さい。千春ちゃんはわたしなんかいなくても、何でも自分で決めて――」
 反論する途中で、あの子の言葉が脳裏をかすめた。
『これから先、自分が何をやっていくのか、ビジョンが見えてこない。どんな風に生きていくの? どんな風に生きたいの? 見えないの。真っ暗なの。わからない。わからない――』
 いや、でも。
 あの子がこんなことを言ったのは、あの時が初めてで。
 わたしのことなど気にも留めず、御馬宿さんは続けた。
「君が何をするか決めかね、ぼーっと突っ立っていれば、先に歩いて道を示した。『君のため』だと思えば、少し先も歩ける。彼女は君の近くにいれば、自分を出来る人間に保つことができた。逆に言えば、自分で何かするためには、君の存在が是が非でも必要だった。進学なんかは大変だったろうね。彼女と君では学力が違う上、親の希望なんかもあったら、ランクを下げることも難しいだろう。何としても、君に同じレベルの高校に入ってほしくて、どれだけの労力を払ったか。身を持って知ってるだろう?」
 口ごもる、しかなかった。
 だって、そんなこと、わからないじゃないか。そう思いながら、御馬宿さんの言うことにろくな反論もできないのだ。
「まぁそんな感じで、君の世話を焼いていなければ生きていけない彼女だったが、思わぬ誤算があったんだ」
「それが――千春ちゃんが自殺した、理由だと?」
 唾を飲み込むわたしに、「それが大きいとは思うけどね、何とも言えないな」と、首を横に振る御馬宿さん。
 一拍置いて、話が再開される。
「思わぬ誤算。それはね、未裕ちゃん。
 君が、彼女なしでも生きていける人間だったことだよ」
 流れる言葉の、意味がわからなかった。
「え――」
 戸惑いの波が、遅れてやって来る。
 何を、言い出すのだろう、この人は。
「わたしの話、聞いてました? 千春ちゃんに助けてもらったって、何回も、何回も」
「君がどうしようもないグズ人間だというのは、まぁ、本人がそう言うのなら仕方ないねぇ。でも、別に、君に必要なのは千春ちゃんじゃなかった」
「だから!」
「君はたぶん、とても生きる力の弱い人間だ――でも、それでいて、とてもしぶといよ。気分を害したら済まないが、君は寄生虫みたいなもんだね。宿主がいなければ、生きていけない。でも、宿主を見つけさえすれば、ずっと生きていける。君はすごく、その宿主を見つけるのが得意と見える」
 どうして、何を、言って。
 口に出来なかったその言葉を、けれども悟られたのか。御馬宿さんは、静かに、突きつける。
「千春ちゃんに、似ているんだってね。僕」
「あ――」
「僕にのこのこついて来たのも、取材なんて受けてみたのも、『こいつについていけば何とかなる』って、無意識でも感じたからじゃないの? 千春ちゃんにしても、引っ越してきて一番に仲良くなったって? 上手に、良い子を、見つけたね?」
「あ、あ」
 そんな、うそだ、わたしは。
 わたしは。
「君は、千春ちゃんという人間に依存していたんじゃない」
 うそだ、そんな。
「自分を導いてくれる人間であれば、誰でも良かった」
 わたしは、そんな。
「そもそも、千春ちゃんじゃなきゃいけないのなら、何で間際になって志望校なんて決めたんだい? 最初から、千春ちゃんと同じところを目指していれば良かったのに。別に彼女と同じところに行けなくても、行った先で宿主を見つけられれば君は良かったのさ」
「う、あ」
「それに君は、千春ちゃんの胸の内はあまり考えていないようだったね。長年の思い出に、強い絆もあるわりに、彼女のことをよくわかっていないようだった。考える必要が、なかったから。わかる必要が、なかったから。ただ自分の都合良く動いてくれればよかったから、知ることもわかることもしなかった。寄生虫は宿主の気持ちなんか、考えないからねぇ。自分に都合が良ければ、誰でもいい。それだけさ」
 うそ。ちがう。ちがう。ちがう。
 わたしは。
 わたし、は。
「君が今、ここに来ていることが何よりの証拠じゃないのか?
 君が千春ちゃんがいないと生きていけないのなら、どうして、死体を探しに来た、なんて言える? 仮に千春ちゃんが樹海に行ったとしか思えないような状況でも、無理矢理捻じ曲げて、自殺なんてしていないって信じこもうとするんじゃないの? あとは、樹海に来ていても、まだ自殺していなくて、迷子になってるって考えたり。そういうことを、君は、一切していないよね? それ以前に、彼女がいないと生きていけないというなら、千春ちゃんが自殺したという確信を持った瞬間、場所も問わずに後を追うんじゃないのか?
 君はまるで――とっとと次の宿主を探すため、彼女の死を確認しに来たみたいだ」
「――っちがう! わたしは、そんな、そんな」
 そんな。
 そんな人間じゃ。
「千春ちゃんはそれに気づいてしまったから――樹海で、死を選んだんだと思うよ」

†  †  †  †

 ちがう、ちがう、ちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがうちがう――
 何度、うわ言のように呟いただろう。
 何度、心の中で繰り返しただろう。
 『y』
 『o』
 『u』
 三文字を、見るでもなく見て。
 御馬宿さんの背を、追うしかなくて。
 突然立ち止まったその背にぶつかって、わたしはようやく前を見た。
 見渡す限りの木々の群れ。その先に、不思議と明るい場所が見えた。近づいていくと、そこだけ木の本数が少なく、陽の光がやわらかく地面まで射しこんでいたのだ。
 その陽だまりの中心には、少しだけ太い木が、大蛇のようにうねる根を地に降ろしながら、堂々とそびえていた。
「あ――」
 御馬宿さんが、目を見開いた。
 鋭い目が、無防備なくらい、呆けて。
 その目の映すものを、わたしは見た。
「あ、あ、あ」
 太い根にもたれ掛かるように。
 昼寝でもするように。
「あ、あ、あ、あ――」
 光溢れる真ん中に、死んだ千春ちゃんがいた。


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