God be with you.

prev/top/next


9.


「樹海の殺人者って都市伝説、知ってる?」
「さあ」
 千春ちゃんの横に仰向けになって、わたしは少しだけ見える空にぼんやりと視線を漂わせていた。
 御馬宿さんはデジカメを上手いこと良い位置に固定しようと、枝を使ったりして頑張っている。そうしながら、のんびりと語るのだ。
「樹海にやってくる自殺志願者を殺すために、自殺者がよく通るルートに潜んでるんだってさ。曰く、『どうせ自殺するんだから、殺したっていいだろ!』。これと似たやつで、女性の自殺者を狙った強姦魔とか、死体狙いのネクロフィリアとかの話もあるね」
「ネクロ……って、何ですか」
「いや、何でもないよ」
 いい画が撮れるように。
 御馬宿さんは、調整中だ。
 一部始終を録画することを条件に、わたしを殺してくれるという交渉をしたのは、つい先程のこと。
『千春ちゃんは君がいないと生きていけなかった。でも、君は彼女じゃなくても良かった。
 それに気づいてしまって――彼女は、いつか君が自分の元から離れるのでは、と恐れた。君が離れてしまったら自分はどうなるのか。何も見えない、先へ進むこともできない、どうしたらいいかわからなくなる』
『だから千春ちゃんは、死んじゃったんだ。わたしのせいで』
『君のせいと言えば、そうとも言えるけどねぇ。どっちかっていうと、千春ちゃん自身の問題な気もするよ』
『わたしのせいです。だから、殺してください』
 面倒くさそうに、御馬宿さんは溜め息をついた。
『でも君、考えてみなよ? 一緒についてきてくれるよね、なんて言いながら、この子、最初から君も死ぬってわかってたと思うよ。むしろ、道連れにしてやる、くらいのつもりだったんじゃないかい? 樹海に執着したのはきっと、入ったら出られなくなる可能性が高いからだろう。君が彼女の死を確認しにやって来るのを見越して、そこから出られないように。死んでしまうように。自分が死んでみせることで、彼女は君を自分のものにしようとしたわけだ』
『でも、わたしは御馬宿さんと来てしまった。御馬宿さんは、こんな奥まで来ても、脱出する方法、持ってるんですよね』
『そうだよ。つくづく君、しぶといねぇ。樹海から生きて帰って来るのに丁度好さそうな相手を、知らず選んじゃうんだから』
『それはもう、いいんです。あなたが殺してくれたら、全部、おしまい』
 二度目の溜め息が聞こえる。
『だったら、自分で死ねば。自殺した人は神様の所へ行けない、だっけ』
『どうやったら死ねるんですか』
『彼女と同じく、首でも――って、ロープがないのか。僕のやつだと細すぎるしなぁ。木の枝も細くて無理か。じゃ、ナイフでも貸してあげるから』
『どこ刺したらいいか、わからないです』
『君ねぇ――』
『人に頼んで殺してもらうんだから、一応、自殺でしょう? もしくは、御馬宿さんを道具と考えれば』
『道具扱いとな』
『それに、自分でやったら、たぶん、すぐに死ねないです。確実に、一発で、死ななきゃだめなんです。早く、あの子の所に行きたいんです』
『君のこと殺そうとした友達の所へ?』
『ねえ、御馬宿さん。わたし、嫌なんですよ。自分が、誰かに寄生してれば生きていける人間なんて――大事な人がいなくなっても、生きていける人間なんて。嫌なんです。そんなの、わたし、自分がそんな人間だって、思いたくないんです』
 胸に手を当てて、奥の方に熱を持った目を伏せた。
 相変わらず、御馬宿さんは渋い顔。
 仕方ないか、と、わたしは最後の一押しをしてみることにした。
『それに――作家は、経験が大事なんでしょ?』
『……はは。そういや昔ドラマであったなぁ、良い歌詞を書くために人を殺したシンガーの話』
 はぁ、と三度目の溜め息。
 こうして、交渉は成立した。
「御馬宿さん、まだですか?」
「まぁ、これでいいか。じゃあ早速、始めるかい」
 横たわるわたしのすぐ傍に、御馬宿さんはゆっくり歩いてくる。
「何か、言い残すことは」
「何もないから、早く――」
 早く、早く。
 こんなことは、早く終わらせてしまって。
「絞殺で、本当にいい?」
「御馬宿さんが言ったんじゃないですか」
「いやぁ、ねぇ。人を殺した手で物食ったり握手したりするのって、どんな感覚なんだろうってね」
「興味深い、ですか」
「あぁ、とっても」
 にやり。
 笑いながら、わたしの上に馬乗りになる。
 それから何度か、デジカメの方を振り返る。アングルを気にしているのだろうか。
 そんなのどうでもいいから。
 早く、早く。
 決心が鈍ってしまう前に――いや。
「どうしたの? 怖い顔して」
「いえ、特に」
 何が、決心が鈍る、だ。決心しないと、できないというのか。
 あの子の所に、行けないというのか。
「それじゃ、いくよ」
「はい――」
 最後に少しだけ、隣を見た。
 千春ちゃん。
 今、そっちに行くから――

 目を閉じた瞬間、冷たい手が首筋をなぞった。電撃が身体中を駆け巡るような感覚に、思わず、身震いしてしまう。
 それから大きな手が。骨ばった手が。わたしの首を包み込む。ゆっくりと、優しく。
 どこを締めるか、探るように。手の位置は小さく前後する。冷たい掌は、わたしの肌から温度を奪っていくようで。
 ぐ、と、その手に力が加わった。指が、掌が、首の肉に喰い込んでいく。

『頑張って生きたあの人は、きっと神様の所に行けるね』

 ――突然、脳裏をそんな言葉がよぎった。
 わたしは、神様の所に行けないのだろうか。
 いや。
 神様って、何?

 御馬宿さんの両手が、首の中の、固い部分を捉える。
 だんだん、締められてくる。
 だんだん、首を、違和感が。

 ――ホームレスのあの人は、どこへ行ったのだろう。
 ――あの子は、あの人と同じ場所に行ったのだろうか?
 同じ場所って、どこ?

 握りつぶすように、指先が固く食い込んできた。
 喉が、押し潰される。
 首が。
 息が。

『未裕も一緒に、ついてきてくれるよね?』

 ――どこへ?

 神様の所って? ホームレスの行き先は? あの子は? 何? どこ? 知らないよ。知らない知らない、千春ちゃんはどこへ行ったの。どこ? 何? 何なの? 知らない、知らない、知らない。ついていくってどこ? 何? 知らないよ。知らない。神様? 知らない。そんなの知らない。わからない。何。何。何。どうなるの。どこに行くの。どこへ。どこへ。どこ? どこ? 暗い? 神様? どこ。どこどこどこ。闇? どこへ。知らない知らない知らない。わたしもそこに?


 あ、は。


「あ、あ――――あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」


prev/top/next
傘と胡椒 index



Copyright(c) 2010 senri agawa all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system