God be with you.

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10.


 止めどなく溢れる涙で、顔面はぐしゃぐしゃになる。
 奥に何か詰まったような熱い喉からは、止めようもなくがさがさの声が漏れ出す。
 それでもわたしは、まだ生きている。
 地面に座り込んで、天に向かって弱々しく吠えるようにして。
 まだ、生きているんだ。
「あぁー、いてててて……まだ痛いよ、蹴られた腹」
 言う割に、どうでもよさそうな声が隣から。
 その次の瞬間には、眩い光。
「……っに、撮ってっ、ですかっ……」
「いやぁ、人が臆面もなく泣き喚くところ見たの、久しぶりだったから」
 涙をぬぐって、カメラを睨みつける。けれどもすぐに、目が熱に満たされていく。睨んだ顔も、保てない。
 どのくらい、そうしていただろう。
 撮影を止めた御馬宿さんは、しゃがんで、ずっと隣にいてくれた。何を言うでもなく、ただ、隣に。
「わ、たしっ……死ねなかった、です……っ」
 渇ききって、ひりひりとする喉から、みっともなく声を絞り出した。
「死ねなかったね。突然大声出したと思ったら、思いっきり暴れて。まぁ、僕としては、人殺さずに済んで助かったかな。首を絞めた感触ですら、手に残りそうで怖いよ。人殺しなんて経験したら、物を書くどころじゃなくなりそうだ」
 わたしと違って、のんびりした、場違いな声。
 しゃくりあげながら、その声にすがりたくなった。
「どしたらっ、いいっ……ですかっ、わたし、わたし」
「生きていくしか、ないんじゃないの」
 呆れたような言い方だった。
 膝の上で拳を握り締めて、けれど相変わらず情けない声しか出て来ない。
「や、ですっ……わたし、別の人に、きせっ、寄生して生きてくなんて、そんなっ……千春ちゃんのことっ、必要なかったとか、そんなっ……」
「わかったよ。君にとって、彼女は、荻野谷千春という人間は、大事だった。大事だったんだろう?
 でも君は、大事な人が死んでも、生きていける人間だった」
 千春ちゃんがいなくても。
 千春ちゃんが、わたしに死んでほしくても。
 わたしは、生きている。
「大事な人がいなくなっても、君は、生きていけるんだよ。それが、答えなんだ。認めるしかないだろう」
「っんなの、や、ですっ……」
 だって、大事な、大好きな人が死んでも、のうのうと生きていられるなんて。
 それは、とんでもなく、気持ちの悪いことじゃないか。
「じゃあ、もう一回殺してあげようか」
 鋭く、見据えられて、わたしの肩はびくりと跳ね上がった。
 御馬宿さんは「冗談」と肩をすくめ、立ち上がった。
「死ねないんだろう? だったら、どうにか生きるしかない。みっともなくても、何でも。家も家族もなくても、生きることをやめなかったホームレスのように。あるいは、それよりずっと醜く。君は、生きていくしかないんだよ」
 向けられた瞳は、どこか悲しい色を帯びているように見えた。
 ぼんやりと、その目を見上げる。
 そういえば、「死にたい気持ちがわからない」と、この人は言っていた。
 この人も――みっともなく、生きているのだろうか。
 じっと見詰めていると、手を差し出された。
「ほら、もう立って。
 帰ろう、生きて」
 ――まだ、納得はできなかった。
 自分はどんな人間なのか。
 歪で、気持ち悪くて、醜い。そんな言葉に囚われてしまう。
「――はい」
 ただ、それでも。
 今は、差し出された手を握って、帰ろう。
 生きて。
 そう、思うしかなかった。


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