cranky・apple

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*1*


 ドアを開けると、彼女は一瞬ぱぁっと目を輝かせて、私の姿を確認すると「げえ」なんて眉をひそめる。それから一応、辺りを見回して他に誰もいないことを確認して、心底残念そうに私に向き直るのだ。
「なーんだ、ミドリか……」
「えへへー」
 私がてこてこ近付いてくと、一番端のベッドに腰掛けた彼女は、ぶすっとして脚を組みかえた。
「何、笑ってんのよ」
「やぁっとさっちゃん、私の名前覚えてくれたなーって」
 ちょうちょのサナギでも噛み潰したみたいな顔をするさっちゃんに、私はにへにへ笑顔を返す。
 さっちゃんこと透明人間の幸さんと出会ってから早一ヶ月。夏休み直後からずっと保健室に通い続けてたら、すっかり木の葉も赤くなりかけたり黄色くなりかけたりしてた。それでもまだ、さっちゃんのことは知り足りてない。
「そういえばさっちゃんて、お昼ごはんはどうしてるの?」
 隣に座って(すると、さっちゃんはちょっとだけ隅っこのほうに移動した)おべんと広げつつ、私はふっと聞いてみた。
 さっちゃんは「んー?」と面倒くさそうにしてから、私の卵焼きをひょいっとつまんで、もごもごしつつ答えてくれる。
「昼休み前に近くのコンビニ行って、適当にパンとか失敬してる」
「万引きじゃん」
「しゃーないでしょ、お金稼ぎようがないんだから」
 私は「ふーん」て、うなずいた。そうだよなぁ、誰にも見えないなら、雇ってくれるはずないか。
 ちなみに、昼休み前に済ませるのは、休み時間になると廊下が混んで、誰かとぶつかっちゃったりするからだとか。
「透明人間て大変だねぇ」
「同情するなら何かちょうだい」
 返事を聞く間もなく、さっちゃんはたこさんウインナをぱくっと強奪した。むごむご、ごっくん。そんな彼女を見て、私は改めて「幽霊とは違うんだよなぁ」なんて、しみじみ思ったりする。
 さっちゃんは流浪の透明人間だ。人間、だから、食べ物も睡眠も必要だったりする。それで、普段はホテルとかの空き部屋で勝手に寝泊まりしつつ、他の人に出された料理なんかをつまみ食いしてるんだとか。前に一回、誰も泊まらないと思った部屋に、夕方過ぎに人が来たことがあったらしい。慌てて脱出しようとしたら、その人と衝突しちゃって、「それなりに大変なことになったわ……」って、疲れた顔で話してくれた。まぁそれは置いといて。一ヶ所に留まるのは一日だったり一週間だったり気まぐれだけど、基本的にはそんなに長くいないのが信条だそう。その理由を聞いても、「別に? 何となく」しか言ってくれない。どこから来たかも教えてくれない。まだまだリサーチ、続けなきゃ。
 それで。そんなさっちゃんが、なんで今、一ヶ月以上も高校の保健室なんかに潜んでるのかというと。
「おー、お客さんいたか。って、ミドリか」
 ガチャッと扉が開いて、ひらひら白衣が舞い込んでくる。現われたのは、若くて背の高い、男の人。
「あ、椿くん」
 その人物に、私は軽く「や」と手を振った。
 すると男の人――保健室の先生(正式には養護教諭、っていうらしい)こと、椿くんは苦笑して扉を閉める。
「学校では『秋尾先生』な」
「ホントよ、なれなれしい……」
「ん? 何か言ったか?」
 ささくれ立った声に反応した椿くんを、「さあ?」と、はぐらかしつつ、私は内心ヒヤヒヤだった。
 私以外の人に姿は見えないけど、私以外の人にも声は聞こえるのが、透明人間のやっかいなところ。
「お前、まーた保健室で飯食ってんのか。飲食禁止だぞ」
「えー、いいじゃん、椿くんだってコーヒーとか飲んでるじゃん」
「それとこれとは話が別」
「ケチー」
「つか、元気そうな顔して保健室来んなよなー。ああ、もしかして俺目当て? うっわー、先生モテモテ?」
「んなわけないじゃんー」
 適度に軽口たたきつつ、隣の視線がかなり痛い。
 さっちゃん、近い近い……
 と、椿くんが少しだけ真面目っぽい表情でこっちを見つめた。
「なあ、ミドリ、お前さ」
「え、なに?」
 きょとんと私が視線を返すと、椿くんはぼりぼり頭をかいて、「あー……」って、なにか言いづらそうにして。
「ま、いいや……ベッドに食いカス落とすなよ」
 それだけ呟き、また保健室を出ていった。
 なんだろ、と首をかしげつつも、私はほぅっと息をつく。そうすると、突然、手の甲にひっつねられるような感触が走った。
「さっちゃん、痛い……」
「な・あ・に・が、『椿くん』、だっての……」
 さっちゃんは初めて出会った時と同じように、青筋浮かべてこっちを睨んでた。程よく爪の伸びた指は、私の手に食い込んだまま。痛いってば……
 そう、さっちゃんが保健室に住み着いてるのは、ずばり、椿くん目当てなのだった。「だって、格好いいじゃない!」と、鼻息荒く熱弁されたのは、今となっては微妙な思い出。
 そして、その椿くんと顔見知り――っていうか、家が近所で歳の離れた幼馴染みな私は、なんだか目の敵にされてるっぽい。
「あんた、秋尾先生いるからこの学校に来たんじゃないでしょうねえ……?」
「違うって言ってるじゃん。第一志望、別の高校だったし」
「ふん、どうだか」
 私と椿くんがお喋りした後は、いっつもこんな感じだった。
 もぅ、本当に、私と椿くんはなんでもないのに……
「だいたい、先生も先生よ……『ミドリ』って! 名前呼びとか!」
「しょうがないじゃん、昔っからそうだったんだし」
「しかも、なあんか、あんたに対しては特別っていうか」
「だから、顔見知りだから」
「そりゃあ秋尾先生、優しいわよ? メンヘラ生徒の悩みとか親身に聞いてあげちゃったりしてさ……あーもう! あたしも心配されたい!」
 さっちゃんは、少し……うぅん、かなり、嫉妬深い透明人間なのでした。
 私の目当てはさっちゃんだって、わかってくれてる……はずだよね?

 ご飯を食べ終わったあたりで気分の悪そうな女の子が来て、椿くんもちょうどよく帰ってきたから、私はこっそりさっちゃんに手を振って、保健室を出ていった。さっちゃんはそんなの目もくれず、今度は新しく入ってきた子の方に、ものすごい顔を向けた。もしこの子にさっちゃんが見えてたら、余計、体調崩しちゃうんだろうなぁ。
 廊下を歩いて、二階へ上がり、そのまま二年三組の教室へ。賑やかなクラスの子たちの輪を通り過ぎて、自分の席に腰掛ける。頬杖つきつつ、黒板の端の消し残しをぼぉっと目でなぞる。四隅に穴のあいた黒板消しに目を据える。そうするうちに、チャイムの音が右から左へ流れてく。
 五時間目は、三週間後に迫った修学旅行の打ち合わせだった。自由行動でどこを回るのか、とか、班ごとに決めるらしい。チャイムが鳴り終わるなり、「んじゃ、グループでとっとと話し合って!」と、先生はパンパン手を叩いて、その瞬間、机をくっつけたりする音がガタガタ教室中に響き始めた。
 えぇと、私のグループの人ってどこだっけ……キョロキョロしてると、「初江さん、こっちー」と、後ろの方から呼ぶ声が聞こえてきた。旅行しおりと筆箱持って、おまけみたいに並べられた五つ目の席に座って、「んじゃ始めよっか」の合図にシャーペンと消しゴムを取り出す。
 同じ班の子四人は、口々に「清水寺ー」「金閣寺ー」「金閣より銀閣ー」「太秦ー」とか、京都ーって感じの言葉を言い合っていた。クラス中そんな感じで、楽しそうな音色がそこかしこに反響してる。あれ、「うずまさ」ってなんだっけ。
 そんな声を聞くともなしに聞きながら、私は正直、別のことが気になって仕方なかった。
 だって、四泊五日。旅行明けの休みも含めて――うわぁ、何日さっちゃんに会えない? つまんないなぁ。さっちゃんはどうせ、「せいせいするわ」、なんてそっぽ向いちゃうんだろうけど。私がいなくなったって、きっといつも通り椿くんばっかり見て、具合の悪い子でもおかまいなしに睨みつけちゃうんだ。それで私が帰ってきたら、「うるさいのがいなくてせいせいしてたのに」、なぁんて、トゲトゲ刺してくるのが目に浮かぶ。あーもぅ、さっちゃんのバカ。あ、でも、京都かぁ。古いところって、変なものがここらへんよりたくさんいそう。それはちょっと楽しみかも。偶然見つけて仲良くなって、そんでもって、こっそり私についてきちゃったりして、親にも内緒で一緒に生活することになったりして。うわぁ、さっちゃんにも紹介しなきゃだなぁ……
「初江さんは、行きたいとことかないの?」
「え」
 ふいに、グループの一人――リーダーさんに話を振られて、私はちょっとだけ肩をびくっと鳴らした。
「あ、特に。なにも」
 とりあえず素直にそう伝えると、班長さんは眼鏡の奥から私の目を覗き込み、「そう」って短く呟いて、また他の子たちと意見を出し合うのに戻った。
 まぁとにかく、旅行中にもなにか見つかるといいなぁ。
 あ、さっちゃんにお土産買おっかな。


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