「さっちゃん! さっちゃあああああああん!」
校内をひた走りながら、私は声を張り上げた。
学校にはまだ少しの生徒と、先生たちが残ってて、通り過ぎるたび怪訝な顔をされたり、「廊下を走るな!」って怒鳴られたりした。
そんなの、どうでもよかった。
「さっちゃあああああーーーーーーん! どこだあああああああああああああああ!」
薄闇迫る廊下を走り。
声の限りに、叫び続ける。
何度でも何度でも、その名を呼ぶ。
与作の時は、見ているだけだった。壊されていくものを、ぼぉっと眺めるしかできなかった。
だけど、それじゃ、なにも変わらない。
今も学校にいる保証なんかないけど。それでも、信じて捜すしかない。
名前を呼び続けるしかないんだ。
私、さっちゃんのことは諦めたくない。
「さっちゃん! さっちゃああああああああああああん!」
「……うるっさいわね」
駆け抜けて、通り過ぎたどこかの教室。
聞こえてきたのは、トゲトゲした、呆れるみたいな声。
急いでターンし、その中に足を踏み入れる。
「さっ、ちゃん」
電気をつけて、目を見張る。
窓際には、私よりも背が高くって、きれいな、女の人が。
「ったく、人の名前、大声で連呼して……」
「さっ……さっちゃあああああああああああああああああああああああああん!」
邪魔な机を乱暴にのけて、一目散に、その胸へ。
暴れられても、構わない。離さない。
「あーもう、抱きつくな!」
「さっちゃんっ……さっちゃんさっちゃんさっちゃんさっちゃんさっちゃんっ……」
涙も鼻水もとめどなくて、もう、さっちゃんについちゃうとか、知らない。今はただ、離れたくない。
「さっちゃんっ……もぉ! どこ行ってたのさぁっ……」
必死ですがりつく私の背を、さっちゃんは適当な手つきでさすった。
「……もう二度と、姿現さないつもりだったんだけど。あんまりミドリがうるさいから、つい出てきちゃったじゃないのよ」
「なんで!? なんで、姿現さないとか言うのさ! わけわかんない! 椿くんにあんなこと言われたから、私のこと嫌いになっちゃったっていうの!? バカ! さっちゃんのバカ!」
顔を上げて抗議すると、さっちゃんは、ぐいっと乱暴に私を引きはがした。
そこにあったのは、眉も目も容赦なく吊り上がった、本気の怒りの表情だった。
「バカはミドリでしょうが!」
次の瞬間、頬っぺたに衝撃が走った。
思いっきり、平手打ちされた。
「なにすんのさ!」
床に尻もちついてさっちゃんを見上げて、私は声を張り上げた。
だけども、さっちゃんは更に大きな声で、私を貫く。
「嫌いなわけ、ないでしょうが!」
頭が固まった。
「え……」
「嫌いになれるわけ、ないでしょ! あたしは、あたしたちみたいなのは、ミドリにしか見えないの! ミドリしか、いないのよ! あたしの居場所は、ミドリのとこだけだったのよ!」
ぶつけられる叫びに、声も出せない。
さっちゃんの居場所。
それが、私?
「最初っから、嫌いになれるはず、ないのよっ……バッカじゃないの!?」
「さっちゃん……」
気のせいか、鬼みたいな顔をしたさっちゃんの目に、うっすら水の膜が張っているようだった。
そんなのを見て、それでも私は食い下がる。
「だったら! なんで、急にいなくなっちゃうのさ! わけわかんない!」
「ホンットに、バカ!? あんたのために消えたに決まってるじゃない!」
「え?」
私のためって。
「わけ、わかんない」
「言わなきゃわかんない!? このままあたしといたらねえ、あんた、駄目になるの!」
「ダメって、なにさ!」
「あたしの居場所は、ミドリしかないけど! でも! あんたは、そうじゃない!」
頭を殴られるような言葉だった。
私の居場所が、他にある?
「っそんなこと、ないっ! 私の居場所は、さっちゃんとかっ……不思議なものの、いるとこだけだもん!」
頭を振って、必死で返す。
だってずっと、そうだった。
普通の人の輪には、なじめなくって。埋もれてしまって、見つけてもらえなくて。いらない子だって、思い知らされてきたんだ。
なのに。
「違う! ミドリはそうやって、最初から駄目だって、決めつけて――あんた、自分からみんなに『私はここだ』って、叫んで伝えたこと、ある!?」
その言葉は、教室中に響き渡って、跳ね返って、それから全部、私にぶち当たってきた。
『私はここだ』
知らない、そんなの、そんなこと。
そんな言葉、あったの?
「あたしたちといるのは、そりゃあ、楽しいでしょうよ! あたしたちは、あんたのこと嫌いになれるわけないんだから! 居心地も、そりゃあ、いいでしょうね!
だけど、それじゃ、駄目なのよ!
ミドリは、あたしたち以外のものとも、触れ合ってかなきゃならない! あんたは、人間なんだから!」
「……人間とか、人間じゃないとか……関係ないよぅ」
「甘ったれんな! 実際、あんたの周りで今、どれだけの人間があんたのこと見てると思う!? あんたは、自分なんて見てもらえないっていうけど、こうして現に、秋尾先生はあんたのこと、心配してる! あんたのお母さんも、そうなんでしょ!? それを、見て見ぬふりしちゃ、駄目なのよ!」
涙がぼろぼろ、塩っ辛い。今日は散々泣いたけど、今が一番ひどいんじゃないかな。
そんな私を見て、さっちゃんは色んなものを堪えるみたいな、ものっすごい、ぶっさいくな顔をした。それからしゃがみ込んで、諭すような――お姉さんぶってるみたいな、優しい声色で語りかける。
「だから、ね? ちゃんと、あたしたち以外のものを見て、周りの人と関わんなさい。でなきゃあんた、本当に、将来ろくなことになんないわよ?」
「……いいもん、別に。ろくなことになんなくたって」
「わ・が・ま・ま・言うな!」
さっちゃんは至近距離で怒鳴って、私の頬っぺたを力任せにひっつねった。
「いひゃい! いひゃい!」
「いい? ちゃんと、周りを見なさい。閉じこもってないで、ちゃんと、人間と関わるの。
そしたら――その上で、あたしを選んで」
ようやく頬を解放されて、私はきょとんと訊き返す。
「選ぶって」
「だから――あーもう、言わせないでよ! 他の奴と関わって、比べた上で、あたしを一番の居場所にしなさいって言ってんの!」
さっちゃんは、心なしか頬を少し赤くして、口をぎゅっと引き結んでいた。
そんな顔も言葉も、全部、胸にしみ込んで。
――ただ一つの居場所じゃなくて。
一番の、居場所。
それは、世界で一番きれいな響きのように思えた。
私は涙の跡がひどい顔を精一杯ほころばせて、ガラガラの声で元気にうなずく。
「そうする!」
そうして私は、またさっちゃんに抱きついた。
さっちゃんは、今度は優しく、背を撫でてくれた。
でも。
「……やっぱりさっちゃん、いい匂いはしないんだね」
「あーはいはい、悪うございましたね」
「でも……あったかい」
柔らかい時間だった。
透明なあたたかさに包まれて、その日私は、色んなものと向き合う覚悟を決めた。
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