After the rain, a rainbow appeared in the sky.

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 悪いことの後には必ずいいことがあるとか、そういう言葉が嫌いだった。綺麗事ばかり並べて、そんなものは物語のご都合主義を擁護するための言い訳にすぎないんじゃないの? とわりと本気で思う。だから、雨の後には虹が出るよ、なんて台詞も大嫌いだった。
 うちの大学にいるというアイドルのヒロはそんなわたしには嫌味としか聴こえない歌ばかり歌っていた。アイドルといってもゴールデン番組にひっぱりだこなんかじゃなく、そこそこしか売れないCDをそこそこ出しつつマイナー局のラジオに出演する程度。アイドルなんて星の数ほどいるんだということをよく教えてくれる存在だ。そんなものだから学内でもヒロのことを話題にする動きはさしてなく、わたしが知ったのは情報通な友人がわざわざマイナー雑誌を持ってきて騒いだからだった。売れないアイドルなんか相手にしない人もいれば、同じ大学にいるからとたいして知りもしないくせにチヤホヤする人もいる。世の中そんなものだ。
 そして今日、その友人にもう何枚目かになるヒロのCDを押しつけられてうんざりしていた帰り、駄目押しのように大雨が降っていた。大学の建物の入り口で、わたしは途方に暮れる。
 五限目も終わり周りの人々は次々と傘を差して帰っていく。しばらくはそんな学生の話し声で出入り口はにぎわっていたものだが、じきにそれも引いてきた。そうしてわたしは一人、取り残される。なにせ傘を持っていないのだ。友人たちは三限や四限にもう帰ってしまっている。小雨ならまだしもこの大雨。最寄り駅までの数十分を傘なしでやり過ごすのは無謀としか思えないしその後びしょ濡れの体で電車に乗るのは絶対にご免だった。
 ただ、そんなわがままを言ってもどうにもならない。この調子だと数時間は止みそうにないし、覚悟を決めて帰るしか――
 と。
 思っていたところにだ。
「あの」
 背後から声をかけられた。聞き慣れない、控え目ながら透き通った声に振り向くと、そこには笑顔があった。その声色にいかにも似つかわしい微笑み。そして、そんな笑みを浮かべる人間はあいにくと知り合いにはいない。特徴的な顔立ちではないから記憶に薄い、とかそういうレベルではなく、本当にこんな顔や声の知人はいなかった。そして周囲に人はいないので発言の相手は間違いなくわたしのはずなのだ。だから、首を傾げるしかなかった。
 彼女は目を細めながら、わたしの真似をするように首を曲げる。
「傘、持ってないんですか?」
「は? ……ええ、まあ」
「どちらまで?」
「駅までですが」
「それじゃご一緒しませんか?」
 は? と、口から我ながら間抜けな声が漏れる。彼女は変わらず微笑みこちらの反応をうかがっている。
 ご一緒とな。
 知りもしない人間と?
「雨、止みそうにないでしょ?」
「いえ、ええと、ご迷惑になりますので」
「遠慮なさらずに」
「いえいえ……ええとぶっちゃけ結構です」
「ぶっちゃけますとこちらのためにご一緒してほしいんです」
 仲良くもない人間と帰路をともにするなどどんな拷問か。この人はとてもいい人らしいが、そういう厚意はむしろ迷惑なのだ――と態度に滲ませたところで、彼女は妙なことを言い出した。
 私利私欲のために人を傘に入れたいとはどういうことだ。不信感をあらわに、一歩彼女から後ずさる。するとどこか悪戯っぽく、目の前の眉が下がった。
「今ちょっと行き詰まってまして……知らない人と会話するのもいいかなと」
「いやその、わけわからないです」
「変わったことでもしてみたら、インスピレーション湧いてくるかなと」
 ……その後もやりとりはあったが省略させてもらおう。簡潔に言えば彼女の押しにわたしが折れた。そうして、友だちでもなんでもない子と相合傘という奇妙な事態が生まれるのだった。

 大きな雨粒が地面に当たっては花火のように白く散る。大学構内を歩きながら、わたしはうつむいてアスファルトばかりを見つめていた。そうしなければ彼女と目が合ってしまうからだ。
「すごい雨だね」
「……そーね」
 話したいなどと言ったくせに、始まった会話はそんなどうでもいいこと。なお、初めに学年について互いに確認し、二年生同士だったので敬語はやめましょうということになった。無論彼女の提案だ。
「虹、出ないかな」
 ……どうでもいい、中身のない会話の延長で彼女はそういったと思われる。が、その言葉は現在のわたしにとっては地雷だった。なにせ鞄の中に入っている、聴きたくもないCDのタイトルが『雨上がり、虹が出る。』なのだ。
 このまま差し障りなく駅まで過ごせたらなあ、と当初のわたしは口数少なく振る舞おうと考えていた。しかし、気がつけばあっさりそんな禁は破っていた。
「虹が出たらなんだよ」
「なんだって」
「雨の後に虹が、とか……その、美化すんのって腹が立つよ。いいことがあったって、悪いことがなくなったことにはならないでしょ」
 視線は気づかぬうちに足元から彼女の顔へと移っていた。
 しまった、やりすぎた。と口を閉ざしてから内心冷や汗だった。アクセルを踏み過ぎた。こういう、大多数からしてみればひねくれたことを、わざわざ語気を強めて言うのは大変奇異に見られるのだ。二十年近く生きていればそのくらいはわかる。しかも仲良くない相手だ、この後はもう目も当てられないレベルで気まずいぞ――
 ぎこちなく視線を外すと、鈴のような声が耳朶を打った。
「悪いことは帳消しにならない……確かにそうだねえ」
「えっ」
「まあそれはそうだよね。でも、綺麗は綺麗じゃない? そこは素直に喜ぼうよ」
 再度目線をずらすと、彼女は苦笑っぽくも微笑んでいた。とりあえず、引かれはしなかったようだ……が、それはそれで癪だった。
「だったら、変な意味合いを持たせず綺麗って言えよって思う。幸福の象徴とか、そういう扱いにしてありがたがるのってウザくない?」
「そうかな。綺麗なもの見たら、幸せな気分になるよね? それも、嫌なことがあったら余計にさ。まあ雨イコール悪いものって言い方はよくないと思うけどね」
 彼女はずーっと、控え目な笑みをたたえている。瞳に濁りなどもなく。
 こいつは何を言ってもこの調子なのか? となるとどうもイライラしてくる。しかも、そのイライラが地味に気持ちいいのだから自分で自分が気持ち悪い。
 どうしたものか、この状況。
「……あんた、ヒロみたいだね」
「……へえ?」
「『どんな悪いことが起こっても、それを受け入れていこう。必ずいつか、幸せになれるから』とか平気で言いそう」
「ああ、言うね」
「っていうか、ヒロ知ってるんだ? あんなマイナーなのに。同じ大学っていうけど、すれ違っても絶対気づかないよ」
「そこまで美形でもないしね」
「うちの友だちは好きらしいけどね。なんか、笑顔が可愛いんだって。笑ってない時は幸薄く見えるから余計にって」
「ファンの子いるんだ。まあ、いないってことはないか」
「雑誌とか見せてもらったけど全然顔覚えてないな」
「会ったら、今言ったこと話してやりたい?」
「別に。っていうか会いたくない」
 ……気がつけば。随分すらすらと会話は進んでいた。これではまるで打ち解けたようではないか、と自分でびっくりだ。ただ、だからといってここで喋るのをやめる気は意外にもなくて、雨の音をBGMに、彼女の微笑みに相対して口を開き続けた。彼女もまた、互いに言いたいことを否定しあうばかりだというのに面白そうだった。
「そんなにヒロ嫌い?」
「嫌い。だって、悪いこと起こりっぱなしでなんのプラスも訪れないことってよくあるじゃん? 『大丈夫』とか無神経に言うなっつの」
「はは。厳しいね。でも、現実が報われないからこそ歌では救いを、とかあるじゃない?」
「白々しいなあ。それに、『どんな人でも幸せになれるよ』みたいなのも嫌だね。だって、許されてはいけない人間っているでしょう」
「それでも許されるって思ってないと、やってけないんだよ」
「ヒロが? あいつ何かしたの」
「さあ。それにしても、そういうこと言うってことは死刑賛成論者?」
「別に? 死刑反対論者は嫌いだけど」
 一つ傘の下、わたしたちは言葉を交わしながら歩いていく。
 奇妙な時間が過ぎるのは、速い。

 このままあっという間に駅へ――と思ったら彼女は「本屋に寄りたい」などと言い出した。それは駅前の大型書店であり、ここでお別れでいいはずだった。しかしなんの流れか、わたしは彼女に同行していた。
「詩集でも探すの?」
 傘を畳んだ彼女に尋ねる。会った時インスピレーションがどうのと言うから、創作活動でもしているのかと思ったのだ。すると彼女は「まあ……詩、みたいなもの、書いてるかな」と少し照れくさそうにしていた。
「ううん、小説。詩集とかは特に集めてないかな」
「ふうん」
 そうして、新刊のコーナーへと足を運ぶ。
 彼女は来るなりある一冊に手を伸ばした。それをわたしの目の前に突き出す。作者名は「有馬」なんとかと書かれていた。その下に続くものは帯に隠れて見えなかった。
「この人の作品、好き?」
「え、知らない」
「きっと気に入ると思うよ。この人の本、罪を犯した人は基本的に苦しみ続けるから。幸せっぽく見えてもね」
「へえ……っていうかあんたこそ、そういうの読むんだ?」
 確かに、表紙のそのタイトルやら字体からして不穏な空気の漂う本だった。そういうものを、このヒロ似の能天気が嗜むとはミスマッチなものだ。
「この作者は好きだよ。合わないけど」
「合わないけど好きっておかしくないか」
「こういう、合わないもの読むのもためになるよ?」
 彼女はまた、こちらの価値観とは相反するようなことを口にする。そしてそれに意気揚々と反論していく自分がいた。
「そういう、なんでもかんでも受け入れようって言い方嫌いだな」
「いいじゃん、寛容」
「寛容寛容って、自分と違うものも認める自分かっこいい、みたいじゃない?」
「だってさ。自分が一番納得できる考えが、自分の中に今あるかはわからないでしょ? だから、人の言うことよく聞いとくの。そうすれば、いいことあるかもしれないし」
「なんか、素直なんだかひねくれてんだかよくわからん考え方だな」
「そっちはひねくれてしかいないよね」
「んだとう」
 彼女は笑っていた。隣にいるわたしもまた、憎々しげにも笑っているのだろう。
 なんだろうこれは。
 はたから見ると、すっかりお友だちではないか。
「でも、そういうひねくれ加減も嫌いじゃないな」
「嫌ってくれて構わない」
「ほら、こっちは寛容ですから」
 それから憎まれ口を叩きつつも本を見ていき、結局彼女は何も買わず、店を出ていくことになった。
 雨は勢いこそおさまったがまだ降り続いている。
「ありゃりゃ。ここで雨が止んで虹でも出てたらよかったのに」
「あー虹出てなくてよかった」
 と。
 近くの駅へと歩を進めながら、開き直ってやった。
 すると彼女はどうしてか笑みを消し、少し真面目にこちらを見ていた。笑顔を薄めた彼女の顔は、どこか幸薄げであり――
 笑ってない時は、薄幸そう?
 あれ、そういえばこの、没個性的な「そこまで美形でもない」顔、以前見たような。いいや無理矢理見せられたような――?
「あ、気づいた?」
「え……あれ、その……いや、間違ってたら嫌だから言わない」
「ええ、そこは訊いてよ、『もしかしてヒロさんですか?』って」
 やっべ。
 え、とか、は、とか思った後で頭に浮かんだのはそれだった。
 彼女がヒロだったとは……? しまった、暴言を吐きまくっていたではないか。いくらなんでも本人目の前に悪口というのはきまりが悪すぎる――
 そして、そんなことを彼女が気にしはしないと、これまでのやり取りを思い返して気づいた。
 彼女はわざとらしく悲しそうな顔をしてみせる。それがこちらに「自分がヒロだ」と示すためのポーズだと、遅れて気がついた。
「曲は聴いてるんだよね? ああでも、結構地声と違うからねえ」
「いや、違うとかそういうレベルじゃない……」
「それで、どうかな? 今、ヒロのことどう思う?」
 彼女がまた笑みを戻し、控え目ながら楽しそうにするのをわたしは複雑な心境でもって迎えていた。
 確かにここまで過ごしてきて友だちっぽくなってきた。
 しかし、それで「ヒロのこと好きになったよ!」と……なるか? なっていいのか?
「そこは素直に『ここまで打ち解けてきたんだからヒロのこと好きになれそう』でしょ?」
「いや……っていうかあんたのこと、別に好きになったわけでは……」
「ひねくれっていうか、あまのじゃくだよね」
「うわその言い方やめて」
「ま、別にいいですけどね」
 と、そこで駅の入り口へとたどり着き。彼女は「ちょっと駅の中の店に用事があるから」と、足を止めた。
「そっちは、そのまま電車だよね?」
「うん……」
「じゃ、またね」
「また……会うのかあ……」
「ちなみに今日のことは絶対歌のネタにします」
「ちょ、恥ずいからやめて」
「だから、嫌いでもなんでも新曲出たら聴いてね? っていうか買って」
「あーもうわかったよ!」
 そうしてわたしたちは手を振り、それぞれの目的地へとわかれていくのだった。
 もちろんお互い、笑いながら。

 別れたそばから、そういえば自分にも買いたい本があったのだったと思い出し、慌てて本屋へと引き返すことにした。
 すると。
 雨がすっかり止んでいて、晴れた空を見上げると虹がかかっていた。
「うわあ、いいタイミングだよ……」
 彼女が見たら自慢げにするのだろうな、と思った。自分の手柄でもなんでもないだろうに。なので今、彼女が見ることのできないタイミングで虹が出たことを、わたしは自分の手柄のように扱ってやることにした。
「……人生って、皮肉なもんですよ」
 今度会ったら絶対に言ってやろう、と思いつつ。
 わたしは空を見上げたまま歩き出した。そうして鞄の中のCDの存在について思い出す。
 聴かずに適当なことを言って返却しようと思っていたが、せっかく虹も出たことだし、家でゆっくり聴いてみるとしよう。そう、晴れた空のような気持ちで、雨に濡れた地面を蹴る。
 まあたぶん、好きにはならないんだろうけどね。


-END-


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