ボノボ

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○女の子の事情○



 副担任という立場上、クラスに深入りすることはできない純原先生ですが、暇を見つけてはそれとなく女生徒たちの様子をうかがっているようでした。いえ、クラスにとどまったことではありません。先生は三学年くまなく気にかけているようです。しかも最近では通りすがりにチラ見るのではあきたらず、教室の外から各クラスを覗き見しているようでした。その場面がしばしば人目につくことが、あるいは先生の人気の低さに一役買っているのかもしれません。
「またスミハラ来てるし。きもっ」
「せっかくそこそこいい顔してるのにさぁ」
「クソ天パだし」
「それに……最近は、なんかイシワカとつるんでるし」
 先生の有様を席に着きながら眺めていた私に、ふいに矢が飛んできました。噂話をしていた女生徒たちはこちらをちらと見てから、またひそひそとなにごとか言いあい始めます。ふむ、とひとつ息をついたところで、先生と目があってしまいました。
 その場でどうこうということはありませんでしたが、女生徒たちの「イシワカとつるんでる」という言葉が耳に入っていたのでしょうか、昼休みに先生は訊ねてきます。
「君は最初、僕に媚を売っていると他の生徒に思われたら困るという風なことを言っていたが、それはいいのかね?」
 言外に、「離れてくれるなら今だぜ!」という願望をひしひしと感じました。なので私は口元をゆるめてみせてから、言ってやるのです。
「あぁ、それは別にもういいのです」
「何故」
「損得勘定の問題なのです」
 怪訝そうに眉をひそめる先生に、丁寧に教えてあげることにしました。まぁ大した説明は必要ありません、つまり「女生徒たちに陰口を叩かれること」<「先生を困らせること」なのです。
「それに、クラスメートにさらに疎まれることで、今後いかにクラスを掌握していくかの難易度が上がり、それはそれで面白そうなのです」
「……何と言うか、君からはゲーム脳のにおいがするな」
 先生は諦めた風にうなずきました。それからふと、肩をすくめてみせます。
「しかし、思ったよりも僕の助けを必要としていそうな生徒がいないではないか」
「私がいるじゃないですか」
「最初に『困ったことがあれば何でも言いなさい』と伝えおいたのに、誰も相談に来ない。これでは徳が積めない。ボノボへの道のりが遠ざかってしまう」
 私の声はシカトして、心の底からであろう溜め息を先生はつきます。その端正なお顔は憂いの灰色で塗られており……「ボノボ」などと、ある種まぬけにも響く言葉とは不釣り合いな模様でした。
「いっそ、他の生き物にランクダウンしてみてはいかがです? セミとか楽しそうじゃないですか」
「却下だ。ボノボ以外は眼中にない。ああそうだ、いっそのこと、君につきまとわれているこの状況を利用しようではないか。何か生徒の間で、悩みの声はないのかね? 先生には言いづらいこと、男相手では吐露しにくそうなことなど、何でもいい。教えてくれたまえ」
「えー……」
 私はけっこう悩みました。ハブられている現状でも、噂話程度ならいくらでも入手できます。あの子があの子に複雑な感情を抱き第三者の手が必要そうなことや、あの子が近くの男子校の生徒とややこしい関係になり大人の介入が望ましそうなことなど。問題は、先生にその情報を与えるか否か。与えた場合、先生は喜んでしまうでしょうが、もしかしたらこの不人気な先生に立ち入られることで個々の問題が悪化し、さらなる面白げな事態を引き寄せるかもしれません。
 目先の欲を優先させるべきか、少し先の利益を見こむべきか。
「うーん、僅差で『先生の介入による状況悪化』<『情報をもらえず悔しがる先生』、先生に教えない方が面白そうですかね」
「……そうか」
 先生は思ったより悲しそうな顔はなさらなかったので、私は中途半端にクラスの人間関係のいざこざをちらつかせてみせました。するとようやく、先生はぎりぎり私が納得するラインの苦渋を浮かべてくれます。
 女の子はそう甘くないのです。なんちゃって。



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