てんで駄目な僕らの友情

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○僕と音無○


 男女の友情は成立するのか、という言っちゃ悪いけどチープな問いがある。
 安っぽいくせにこれがまた答えの出ない問いの典型で、皆が好き勝手なことを言いたい放題、収拾がつきやしない。しかもなんてたちが悪いのだろう、答える人はたいてい自分の経験を引き合いに出すものだから、反論が意味をなさないのだ。成立派は己がいかに異性とほのぼの友人関係を築いているかを語って、不成立派は友達だと思っていた異性とまあ色々あって性とかそんな関係になっちゃいましたな体験を語る。自分の記憶を引き合いにして「他の奴らもそうに違いないんだ」なんて推測を押しつけあうのだから、議論はどうしたって平行線にならざるをえない。たった一つの結論なんて、そりゃあまあ、出るわけがないのだ。
 そんなどうでもいいことを、音無(おとなし)の住処へ行く道すがら、のこのこと考えてみた。信号待ちの間、試しにメル友のさゆりさん(主婦・三十八歳)に訊いてみる。ものの一分で『女同士の友情のが成立しないわよ!』という熱い回答が寄せられた。ふむふむ。参考になるなあ。
 携帯をたたんでから、鼻先にぽつぽつ溜まった汗をぬぐう。今年の夏はやたらと暑くなるらしい。まだ七月初めのくせに今日はもうとびっきりで、正午過ぎのアスファルトは目玉焼きでも焼けそうな具合だった。正直、できることなら一日中建物の中で過ごしていたいくらい。音無は本日大学が全休の曜日だ。朝から晩まで家に引きこもっていられるなんてうらめしい限り。まあ僕も、授業は午前中で終わりなのだけれど。
 そうこう思う間にも募っていく、とっとと室内に逃げこみたい心境。自然、目的地へと向かう足取りはスピードを増す。早く、早く、音無の住処へ。競歩みたいな勢いで、散々念じていた。のだけれど。
 それらの気持ちはアパートのドアを開けた瞬間(正確には、部屋の前に立ったあたりで予感はしていた)に、木っ端みじん、ものの見事に吹っ飛ばされた――むせかえるような熱気と、鼻をつくシンナーの臭いがなだれこんできたのだ。
 たぶん、これまでの人生で味わった筆舌につくしがたい空気トップスリーには入る。生ごみなんかとはまたベクトルの違う臭気、重たい上に吸っただけで脳細胞が破壊されるような気持ちの悪さ。
 梅雨時なんか比べものにならないであろう不快指数を感じていると、それとはそぐわない、妙に涼やかな声が耳に届いた。
「あぁ、ヨシノ」
 不思議と湿り気を帯びた、女性声優が演じる少年役みたいな声色。この例えが出てくるあたり、だいぶ毒されてきているなあ、と我ながら思う。
「……音無。きみ、室内で塗料使うなってあれほど」
「ごめん。どぉおーしても、ボクの中のフィギュア直したい衝動が抑えられなくなったっていうかさ」
 謝るくせに、こちらには来ない視線。どうやら仕上げは終えたらしい、6分の1スケールの美少女・リリオたん(正式名称は確かリリオット・ソレイル)だけをうっとりと眺めながら、音無は早口に言った。
 ほうっと細められたその真っ黒な瞳、フィギュアを大事そうに持つその手つき。やせっぽちな体を包むのは塗料で汚れまくったおざなりな服。しかもなぜか長袖。一応整えているが毛先がわずかに跳ねているセミロング。恥ずかしげもなくそんな姿をさらしてみせる、その女に、僕は心底溜め息をついた。
「まったくきみは……本っ当に、どぉおーーしようもない、奴だな」

 ひとまず扇風機をがんがんに回して空気の入れ替えをはかりつつ、僕らは部屋の外、扉を背にしてつっ立っていた。それなりに暑いが室内に入る気力は到底わかない。こっちの方が断然マシってやつだ。
「ったくなんで今まで扇風機回さなかったかな」
「いやぁ、風あたると塗料がムラになるよーな気がして」
「気がして、かよ、気分の問題かよ」
 どうやら音無は午前の間中、畳の上で既製品のフィギュアの髪の毛が気に入らないだの発色が気に入らないだので格闘していたらしい。根拠も何もない理論で、扇風機もつけず。かろうじて窓は開けていたようだが、色合いがわからなくなるとか言ってカーテンは閉めず。結果絶え間なく降り注いだ太陽の光。その上だんだんこもっていくラッカーやらの強烈な臭い。音無は己の全身から汗が噴き出るのもかまわず、刺激臭に鼻を焼かれるのもいとわず、改造に取り組んでいたとかなんとか。悪いけど、もうなんというか、ほとんど馬鹿の域だと思う。
「いやだって改造するからには万全を期したいじゃないっていうかもうリリオたんのためには暑さなんて愚にもつかないうぞーむぞーっていうか」
「あーもうわかったようるっさいな」
 責めるのも溜め息をつくのももはやうっとうしい。
 とにかく音無はそういう奴なのだった。
 音無日向子(ひなこ)。同じ大学に通い同じ学部・講座に属していて僕と同じく二年生の女。学校からほど近くにあるアパートで一人暮らしをしているもやしっ子。その正体は重度のオタク。彼女の部屋はフィギュアに漫画にブルーレイ、下敷きトレカにクリアファイル(いずれもキャラ絵プリント済)であふれかえっている。足の踏み場が意外とあるのが不思議なくらいだ。趣味は読書(漫画)に音楽鑑賞(アニソン)に映画鑑賞(主に取り溜めしたアニメのこと)。特技はフィギュア改造。座右の銘は『観てから文句言え』。基本一人称は「ボク」。
「ところでヨシノ、なにしにきたのさ」
「いや、授業二限で終わりだからさ。きみんちで昼飯作ろうかなーと思ってたんだけど」
 そこで僕は部屋の方をちらと見た。お腹のあたりを押さえつつ、うへえっと小さく漏らす。
「……この臭いで見事に食欲失せたよ」
「ボクも同感だよ」
 外に出てとりあえずは正気に戻ったらしい、音無は顔をしかめてうなずいた。が、わりと軽く流して提案などしてきやがる。
「あ、本屋いこうよ本屋。おなかへってくるまで時間つぶし」
「きみ、一昨日も漫画買ってたような」
「新刊は待ってはくれないんだよ」
 まあそんなわけで。ある程度消臭が済んだところで僕らは駅前の本屋へと向かうのだった。あーあ、本当ならさゆりさんが教えてくれた特製冷やし中華『冬に食べたら死ぬわよ!』でも作るつもりだったのに。
 誰にともなく肩をすくめながら、僕は音無の隣を歩く。
 そこで誰に説明するでもなく、冒頭の問いに立ちかえってみた。
 男女の友情は成立するのか。広く適用できるような回答は、残念ながら持ち合わせていないけれど。
「ねえ音無、女同士の友情が成立しないってほんと?」
「それはとんでもない暴論だって言いたいところなんだけどココロアタリがなくもないような」
 音無は、僕の友達なのだった。


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