てんで駄目な僕らの友情

prev/top/next


○元カノの話○


 翌日は土曜日で、普段なら僕らは各自家で過ごしているところだった。さすがの僕も授業もない日にわざわざ電車で大学付近にやってくるのはおっくうだ。音無にしても一人でのんびりする時間は欲しいだろう。
 ということになっていたのだが、今現在僕らは珍しく二人で休日のお出かけなんぞしている。
「……相変わらずなんというか……密度が、すんげえ場所だよな」
「そう? まぁ休日は人多いけど通路広い方の店だしさ」
「いや、なんつーか空気の密度が……」
 場所はまあ音無チョイスで漫画DVDその他グッズ、なんでも揃うアニメショップ。以前二回程訪れたことはあったのだが、来る度独特の濃ゆい空気に鼻をやられる。客の体臭がどうとかそういうのとはまた違うのだけれど、オタ濃度百パーセントっていうか。
「この程度で百パーとか言われたら泣くよ」
「さいですか」誰がだ。
 そこまで広い店ではないが、一人ではぐれるのは怖いので音無の隣を片時も離れぬ僕である。奴は入るなりカゴを装備し、「今日は買うぞ!」と意気ごんでいた。店のなめらかな白い床を、るんたったと、足取り軽くどこまでも。
「そうそうこれ気になってたんだよなぁ。ネットでも評判良かったし。購入」
 音無は入口近く、新刊コーナーに積まれた本の裏、あらすじをちらっと見た後迷いなくカゴへ。
「あ、これなんだろ。表紙見るかぎりめちゃめちゃ好みの絵柄っぽいな……うーんあらすじついてないなぁ。ま、いいか、表紙買い表紙買い」
 音無はずらりと平積みされた漫画から、ほんわかした少女が淡い色彩で描かれしA5本をぽんとカゴへ。
「あれ、これ七巻持ってたっけ……あー、この背表紙見たっけなぁ、ないっけなぁ……ま、購入購入」
 音無は差しこまれた幾多の本の一角、虹色に並ぶ背表紙の中の青をためつすがめつした末ぎこちなくもカゴへ。
 そんな工程を繰り返すこと……おい、軽く十回越えたぞ。もう二十回近くないか。あれ、二十回とっくに通過してないか。というところで、ようやくレジへと足を進める。本日の目標を漫画にしぼったのがまたタガを外す要因になったのか……僕は値段を知るのが空恐ろしいので、店の外で待機することにした。
 店員さんへと向かっていく、らんらん楽しそうな瞳。重たいカゴをぎゅうっと大事そうに持ったりして。その姿を振りかえって、僕は溜め息をついた。
 いつか奴は「いっぱい漫画買うとえらい達成感にみまわれるんだ。買いすぎるとレシート見て苦しむけど」なんて自らの心理解説をしていたなあ、と記憶の海の砂が舞う。こうなるとわざわざ僕を誘ったのはリミッターを外しすぎないようにするためだったのかもしれない。いや、セーブしてこれというのもちょっと寒気がするのだが。
「おまたせ!」
「ああ」
 意外と早くやってきた音無に顔を上げる。手にはどうにか一枚で収まったらしい漫画の袋。重そうなのに、にっこぉーと、とにかく嬉しそうで、くせっ毛をぴょんぴょんさせたりする。低い身長も相まって本当に子供みたいで、なんだか穏やかな笑いがこみ上げてきた。
「どれ、持ってやるよ」
「おぅ、ありがとう……ヨシノはいいよな、なんにも言わなくてさ」
 素直にお礼を述べるくせに、顔を伏せるのは感心しない。でもまあ、今日ばかりは許してやらんこともない、と思う。
 どうやらよほど堪えたのだろう。昨日の元カノ――もとい、元友人からの電話が。

「……ほんっとうに、あ・の・女はっ……なんにもわかってないんだろうな! あーもう!」
「まあ落ち着けよ。ってか思い出し怒りするくらいなら、縁の店なんか来るんじゃないよ」
「うるっさいな! あの女は許せなくてもパスタに罪はない!」
 表通りのビルから地下へと繋がる階段を降りれば、そこは抑えめの照明に彩られた穴場的お食事処――微妙に昼時を外したので禁煙席を確保できた僕らは、メニューを広げてあれこれ悩むこと結構な時間。僕はしそ梅スパゲティ、音無はたらこスパゲティを滞りなく注文し、水を飲んで一息。ついていたのだが。
 下げられたメニューを見て色々と思い出したらしい音無が、静かにキレ始めたのである。
 そもそも買い物が済んだら音無の住処で適当に何か作る手はずだったのだが、音無が「ちょっと……もう少し、時間つぶそう」などと言って、外食をうながした。しかも、これは初めてのことなのだが奴のおごりで。オタク関係のこと以外には金をかけようともしないもやしっ子からすると、これはかなり大胆な申し出である。で、おごられるのなら場所は任せておこうと思ったら、音無はこの店の看板前で立ち止まった。微動だにしないその様子に声をかけると、「……あの女と、よく行った店だ」とつぶやく。さらに耳を澄ませると「この店の味を取り戻すか――」などと意味不明な供述をしており。今に至る。
「聞けよヨシノ! ここ、パスタの具、結構大きいんだけどさ。それを大口開けてほおばるのはまぁまだいいのね。で・も! こう……わざとらしくフォーク高めに上げてさ、『あーん、むっ』って、『あーん、むっ』って! 聞こえてきそうなわざっとらしい食べ方するって、どうなんだよ!」
「いや、まあ……そういう需要もあるんじゃないの」
「需要もなにも女友達相手にあるか! あー思い出すだけで鳥肌が立つ! 最後にこの店であの女がのたまいやがった言葉まで思い出しちゃったよ!」
「なんて」
「『やっぱね、そろそろカレシとか欲しいよね』とか言うから、うなずいたんだけどさ、そしたらあいつ! 『え、ヒナは二次元が恋人でしょ(笑)』って! 人をなんだと思ってやがるんだ!」
「あ、ああー……」
 最初こそ音量控えめだったのだが、まあ、ヒートアップするにつれて遠慮など置き去りにされるのが愚痴ってものである。両隣のテーブルに人がいないのは幸いか。
 音無は水をあおって、ぷふぅと一休み。その間に僕は、元カノ・あの女・あいつ、についての情報を整理してみることにした。
 その名を聞いたのは一回きり。あとはたいていこうして名前を出さずに話に直接出てきたり、なんとなく匂わされたりしただけだ。渡会(わたらい)せつなさん――僕らの大学、同じ学部の二年生。講座は違う。音無の、高校時代からの友人。だった人。
 渡会さんは明るく活発で、お節介な性分だったらしい。だからこそ高校の教室で孤立していた音無に近づいたのだろう。自分と全く違うタイプ、アニメなにそれそれよりコスメ、みたいな女子が話しかけてきて、音無はとまどう。だけど、全く違うタイプだったからこそか、次第に打ち解けていった、らしい。
 なんやかんやで同じ大学に受かり、それぞれ一人暮らしを始めた二人。渡会さんの方は、もっとセキュリティがきちんとした住居を選んだ。とはいえ世話焼きの渡会さんのこと、生活能力皆無の音無の面倒を見るため、暇な時間はアパートに入り浸る。掃除洗濯料理と、なんでもこなす彼女。甘えまくる音無。その関係を揶揄して、渡会さんが「これもうほとんど同棲だよね。ヒナはヒモだね」と言い出したあたりが、音無が彼女のことを「元カノ」と称するゆえんだったりする。ちなみに……元カノさんの料理の腕はちょっとすごいらしい。
 趣味は違えど、二人は良好な関係を築いていた。きっと当分こんな日々が続くのだろう――そう、信じていた。
 のだが。
「……あいつは結局、ボクのことを見下してたんだよ」
 音無がぽそりと、口を開いた。グラスを伝う水滴を睨みつけるみたいに目が細められる。ようやく料理がやってきて、僕らはフォーク、スプーンを手にとった。ソースできらりと光るスパゲティを前に、なおも続けられる音無の話。
「なにかっていうと人のこと『暇そうでいいよねー』なんて言うし。そんで部屋の掃除するたびにさ、リリオたんのフィギュア見て、『こういう趣味ってあたしには理解できないなー』なんて、わざわざ言うんだ。ボクは理解なんて押しつけたこと、ないのに」
 くるくる、麺を回していく音無の手元。それを運んでいく口は、強いて小さめに開かれていた、気がした。
「ケータイ小説の延長みたいな本読んで、『これ深いよ! ヒナも漫画ばっかじゃなくって、こういうの読みなよー』なーんて。深いって、具体的にはなんなのさ。どこがどう深くて、それがどう素晴らしいのさ」
 音無はしばらくむぐむぐ咀嚼してから、「どう? おいしいでしょここのパスタ」と薄く笑った。あいにくまだ食べていなかった僕は、ようやくスパゲティを巻き終えて、口に運ぶ。しそ梅スパゲティは梅のすっぱい風味がオイルでいい具合に緩和されているようで、とても、おいしかった。今度さゆりさんに作り方訊いてみようかな、と思う。
 ようするに、そういうことの積み重ねだったのだ。そう音無は主張する。
 小さなわだかまりが溜まっていって、友達といえど世話されている身分、大きな口もたたけずしまいこんでいくしかない。それがどんどん、膨れ上がって、ついには我慢できなくなる。音無の場合は、ある日の「やっぱりヒナとあたしって違う人種だよね」なんていう、なにげない一言だったらしい。それで完全に、決壊した。
 そこからの音無の行動は速かった。渡会さんが帰ってすぐさま、携帯のアドレスを変えた。電話は着信拒否にした。次の日には部屋の鍵を変えて、合鍵を使えなくした。彼女とかぶっている授業は全部サボることを決意。相手が家にやってきても、扉を閉ざして、頑なに無視を続けた。これで引っ越しでもすれば完璧だったんだろうね、なんて冗談交じりに笑う。さすがにそこまでは無理だったらしいけれど。とにかく。
 こうして数年間の友情は幕を引いたのだった。それが、今年の四月末のこと。僕と親しくなる少し前の音無の話だ。
「もう、あきらめたと思ったんだけどなぁ……なんでまた、わざわざ他の人の携帯から『どうしちゃったの?』なんて言ってくるかね」
「しかも今になって、か」
「今さら……だよねぇ」
 昨夜の電話は、切った後にも数回来た。音無はガン無視。聞いたところ、僕が帰った直後にまた電話が鳴り、いい加減うざいので出てしまったら『どうして話を聞かないんだ!』と、知らない男の声がしたらしい。
「そいつに心当たりは?」
「さぁ……この通り、交友関係せっまいんでね」
 音無の吐息が耳に届いた。しばらくは互いに何も言わない。ひとまず僕らは、食べるのに集中することにした。
 スパゲティを手繰りながら、僕は頭の中の、アニメ鑑賞しつつあれこれ述べる音無映像資料館を再生する。その中で奴が、確かこんなことを言っていた日があったと思う。
『会わなくなると嫌なことしか思い出せなくなる奴のことは、ほんとうは嫌いなんだよ』
 これは渡会さんのことだよなあ、と改めて考えてみると、口元が少し歪んだ。
 まだ渡会さんへの恨みごとを巡らせているのであろう、音無のぶすっとした表情が目に入る。眺めているうち、僕はそろそろこの話からは離れたいな、と胸がうずくのを感じた。水を飲む。コップに触れた指先が冷たくなる。
 適当になぐさめでも口にして、気分転換にとアニメの話でも振ってみようかな――そう頭の片隅でちらついた時、カラランと、店のドアが開いた。
「あ――」
 音無が「ん?」と僕を見る。
 それから少し遅れて、入ってきた客、二人連れのうち一人が僕に気づいた。バッ、とその人は目を開く。それから眉を吊り上げて、その顔を僕に見せるのも一瞬。連れに「他の店に行きましょう」とうながして、一度だけ音無の方を見てから、背中を向けて行ってしまった。
 僕は心臓のたてる嫌な音に、めいっぱい不快感を覚える。
「どうかした?」
「……いや」
 いぶかしげな瞳を向ける音無に、僕は黙々とスパゲティを食べる動作でもって答えた。あいにくと、直前まで考えていた適当ななぐさめも、アニメの話も、全部吹っ飛んでしまっていた。
 僕らはその後、ただ静かに食事を終えた。なんだか変な空気になってしまったので、ここでお別れということに。
 煮え切らないまま、流れた土曜日だった。


prev/top/next
傘と胡椒 index



Copyright(c) 2011 senri agawa all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system