てんで駄目な僕らの友情

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○いつもと違う日々○


 来週から試験が始まるぞ、という時期になる。そんな時分に僕が何をしているかというと、駅構内のスタバでコーヒーを買っていた。
「おまたせ」
「あ、ボクはいいって言ったのに……」
「まあほんの優しさだよ」
 店の奥の方、二人掛けの席を占領した僕らが何をするのかというとまあ、普通に食事とお勉強なのだった。空調の効いたスタバで勉強する自分カッコイイ状態である。ただし科目数が夢のように(あるいは絶望的に)少ない音無は、皿をどかした後は教科書ならぬカバーをかぶせた漫画なんぞに目を通していたりする。
 もう何日も、音無の家に寄りついていない。基本、オタ関係の用事以外は出不精な奴が、「ボクんちより別の場所に入り浸らない?」なんて突然提案しだしたのだ。
「ほら、自分の分は払うからさ」
「どうせこの前の漫画やけ買いで火の車なんだろ?」
「いや、さすがに悪いというか……」
 もにょもにょと、湿った声の先は聞きとれない。僕はこの話は終わり、とばかりに授業のルーズリーフに目を落としてやった。
 僕としては、コーヒー代なんかは本当に気にしていない。音無宅に行かない分、料理にかける材料費が浮いているから問題ないのだ。ちなみに食材費用は基本僕が払うのだが、それについても一応音無は申し訳なさそうにしている。「まあ、僕も食べるし。光熱費はきみ持ちなんだからさ」と僕が適当にあしらって、金を出させないようにしているのが現状だ。これといった趣味もなく、彼女もいない今の僕は、客観的には憎らしくも金銭的余裕があったりする。デートってやつはどうしてあんなにもお金がかかるんだろうな、と半笑いがこぼれたり。
 金銭面について、音無は言うまでもなく生活費のほとんどを趣味に費やしていた。どれだけ飢えようともそのスタンスは動かざること山のごとし。毎月オタグッズの山に更なるブツが投入されていくのだから、趣味ってのも本当馬鹿にできないものだと笑いたくなる。ではそのお金がどこから出ているのかというと、実家からの仕送りなのだった。まあこれまでの暮らしぶりを見るからにバイトなどとは縁遠い音無であるが、それに関してはこいつがめんどくさがっているのでなく、親の言いつけであるらしい。曰く、「学生がバイトなどすると有意義な学生生活を送れなくなる」。音無が「今時古風な親だろ? バイトできればもっと色々買えるのに……」と肩をすくめたのは記憶に新しい。
 さてさてまあまあ、そんな音無は引きこもりが基本スタイルだ。なのに僕らは、どうして日々スタバ→ドトール→名前忘れた喫茶店のトライアングルを描いているのか。
「音無、いい加減話せよ。最近、どうしたんだ」
「言うほどのことでもないっていうか……」
「ほら、さゆりさんのメール見ろよ。こんなに夏限定スペシャルレシピが溜まってるってのにさ」
 メールに添付された『ありえないくらいあっさり和風おろしハンバーグ(顔文字と共にキマシタワァという半角カタカナ)』をつきつけてやると、音無はうっと目をそらした。そのまま決して僕と目線を合わそうとせず、テーブルの上の漫画あたりをさまよったり、さまよいきれなかったり。
 このやりとりをするのも、もう何回目だろう。これまでは、いつまでも煮え切らない音無を睨み続ける空気に耐えかね、コーヒーをあおり、僕が折れていた。だけどそろそろ、限界だ。さゆりさんのレシピを試す楽しみを削られ、そしてこれは予想だにしなかったことだが、僕はもはや勉強するにも穏やかなクラシックでなく早口のアニソンでなければ落ち着かなくなっていたのだった。音無の住処が、恋しいのだ。
 ひたすらじぃっと目を離さない僕に、ようやっと顔を上げる音無。こちらをじまーっと上目遣い、それから準備運動のように口をもごもごさせること数回。
「ヨシノ……パンツ貸してくれない?」
「………………はっ?」
 ちょっとすぐには意味がわからない。単語を理解したところで顔がこわばった。……パンツって、おい。
「音無、ふざけてるんなら僕は」
「……そもそも、住所割れてるなら根本的解決にならないか」
 僕が混乱冷めやらぬ中、音無は自嘲気味にそうつぶやく。「女性の一人暮らしの場合、男物の下着干してカモフラージュするのが基本なんだってさ」と、いらぬ解説をつけ加えたりして。
 それから自嘲顔を変えぬまま、音無は低い声を出した。
「最近……あの女と、その友達の男が、放課後家に来ている」
「え?」
 あの女とその友達――渡会さんと、例の電話の男のことだろうか?
「結局あの知らない男の番号は着信拒否にしたんだけどさ。そしたら日曜日に、あの女が家の前までやってきたんだ。男連れで」
 音無は今度は目を伏せて、握りしめた自分の手に視線を落とす。
「まぁ当然部屋には上げなかったんだけどね、そしたら戸口で、男の方が怒鳴ったんだ。『友達に対してこの仕打ちはなんだ。なんて不誠実な奴なんだ』って」
「それはそれは……」
 なんだか頭の中に、角刈り大柄厳粛な人間像が結ばれる。不誠実、なんて重たい言葉だ。
「さらに、『俺は渡会の友人だが、友人として見過ごせない』とかなんとか、そんなこと延々と説教されてさ。だけど死んでも顔合わせたくなかったから、頑張って耐えたよ。そしたら『話を聞くまで、毎日放課後来る』って……」
「ま、毎日?」
 そこで音無は携帯を取り出した。数秒ボタン操作した後、僕に画面を向ける。荒い画質で映し出されていたのは、なにやら見覚えのあるアパートのドア、その前に立つ茶髪ピアス腰パン男と綺麗に髪の毛を巻いた女性――音無の家の前にいる、件の男と、渡会さん?
「単なる脅しだと思ったけど怖くてさ。放課後、部屋から出て見つからない位置で張ってたら、このザマだよ」
「えーとなんつーか、男の方、台詞と全然イメージ違うな……」
 どこが角刈り大柄厳粛な人間だ、一瞬で想像を覆すとはとんでもないチャラ男だ。そう思う隅で、これが渡会さんか……と、僕は人知れず眉根を寄せた。
「その日から大学終わったらソッコーで駅前に避難することにしたね……ほんとうに、毎日家に押しかけてきそうな勢いだよ」
 はっ、と吐息を投げかける音無。思い出したようにコーヒーに手を伸ばす。僕も真似して一口すすった。しばらく、二人の間を店のBGMだけが行き来する。
 カップを幾度もなでさすってから、音無は棘のある調子で再開した。
「あの男に関してはぜんぜん知らないからね……たぶんあの女が最近知り合って、ボクの話でもしたんじゃないかな。『友達が急にあたしを避けるようになって……』とかさ。それであの男がお節介で、ボクとの仲をとりもとーとしてるんじゃないかと」
「ああ……今さら彼女が出てきたのは、不自然だったもんな」
 確かに、誰かにうながされて、というのなら納得できるかもしれない。しかし、なんというか……
「面倒な、ことになったな」
「まったくだよ……あーもう、どうしたらいいってんだろ……」
 頭を抱えてテーブルにつっぷする音無に、僕も同調してやりたいところだった。
 だいたい、毎日家に押しかけるなんて迷惑行為も甚だしいところだ。下手をすれば通報されるレベルなんじゃないのか? 義憤に駆られた人間ってのが、こうも暑苦しいものだったとは。
 僕はふつふつと、腹の底に水泡が立ち上るのを感じていた。イライラする。こんな、ろくに知りもしない人間に――元、友達なんかに、居心地の良い空間をおびやかされるなんて。
「音無……」
「ん?」
「とりあえずアレだ、気分転換に本屋だ」
 ここにいては互いに精神状態が悪化しそうだ。そういえば毎日のように耳朶を打っていた音無のオタ演説ともご無沙汰だし、丁度良いだろう。

「とはいえ最近毎日この本屋だから新鮮味なんかないんだけどねぇ」
「文句言うな。……毎日って、僕が駅に来る前に来てるのか?」
「『毎日放課後』とか言いつつ、ふいうちで四限とかに来られたらヤだからさ……授業終わったら家寄らずに来てる。授業ない日は一日中色んな店回ってるかな」
 そうなのか、と相づちを打つと「おかげで消化しきれてないアニメ漫画があああああああああ」と、書店内であることもはばからず頭を抱える音無だった。色んな意味で、事態は深刻になっている……のか。
「ま、僕に面白い漫画とか紹介してくれよ」
「……手加減しないよ?」
 駅前ビル、広大なワンフロアを占領した本屋にて、少し先行していた僕を追い越し音無はたったか歩きだした。これで、少しは気晴らしになればいいのだが、と僕は肩をすくめる。
 雑誌が並ぶ入口付近、中腹の専門書ゾーンをすりぬけて、奥のコミックスコーナーへ直行。大きな棚数列にぎっしりと漫画が収められているというのに、どうしてか迫力はこの前の専門店が段違いだった。やはり空気か? テンションか?
「そうだねー……ここの書店はこれが注目コーナーに置かれてる点についてはおおいに評価できるかな」
「ふーむ、ちょい妖しげな表紙な?」
「いやまぁ初心者が手にとるにはテレが入るだろうけどね? これはもう、すごいよ。心情描写が丁寧な上に切り口が他の漫画家には真似できないね。いやもう、すごいよ」
「すごいのか」
「ものすんごいよ」
 そいつは興味がかきたてられるかな、と本を手にとってみると、音無はすでに他の棚方面へと移動していた。漫画関連でのフットワークの軽さは健在か。さすがに専門店のようにはしゃいだりしないものの、その瞳の奥では情熱やらこだわりやらが静かにくすぶっているようでなにより。
「うーん、いつ見てもリリスト六巻の表紙は神だよなぁ……このリリオたんの太もも、太ももが! まぁこの作者カラーあんま上手じゃないんだけどねぇー」
 そして安心のリリオたんか。
「リリストって意外と出てないのな。アニメ化されてるのに」
「まぁ最近はそんなもんだよ。ボクは一巻出た時点でこれはアニメ来るってわかってたけどね!」
「ほほう」
 えらっそうに、以前「オタクの常套句」だなんて自分で失笑していた言葉で胸を張る音無。家に全巻そろっているというのに、大事そうに一冊一冊書棚から取り出し眺めたりする。楽しそうに表紙を確認していくうち、まつげが、少し影を落とす。
「……ヨシノは。こんなのどうせオタク用なんだろとか実は思っちゃったりしてみたりしなかったり?」
「人にものを尋ねる時は語尾をはっきりしなさい」
 そして浮かれる時は浮かれきりなさい、という訓示を僕は目にこめた。音無はわかってくれたかどうなのか、また表紙に視線を移す。
 おおかた、渡会さんに言われたことでも思い出したのだろう。タイミング的に仕方がないかとも考えたが、もしかしたらこいつはリリストを観る時、リリオたんについて語る時、渡会さんのことがふと脳裏をかすめるようになっているのかもしれない。その反動で、よけいにリリストに執着しているのかも。再度、ゆるくだが、腹の下あたりに苛立ちがこみ上げる。
 こいつは本当に、この作品、リリオたんが好きなのだろう。
「いやぁ、リリオたんは本当にいいんだよ!」
 そしてああ、強いて気を取り直したように主張し、単行本を手に夢のような目つきの音無に、こいつはつくづく自分のことが好きなのだな、と僕は思う。
 我が子を愛でるような表情の音無。さりげなくその姿を観察する。少し跳ねたセミロング、背が低いところ。そして詳しくは語らないが親へのわだかまり。もちろん顔なんかは全然違うし性格の方向性も異なるけれど、リリオット・ソレイルというキャラクターと音無は特徴がよく似ていた。
 えらくひねくれている。下手をしたら気づかないかもしれない。ただ、この音無日向子という人間は、恐ろしいまでに自分のことを愛している。
 これもまた自分大好きであるがゆえなのだろうが、こいつは自分のことを好きと他人に直接表現したりはしない。自分を大切に、とはよく言ったものだが、世間はナルシストには冷たいものだ。だから、大事な自分を守るため、音無は自分のことをはっきりとは良く言わない。
「六巻表紙見てると、あの話で痛みに耐えてるリリオたんの表情まで思い出されてもおおお、神回! まさに神回!」
 こいつはリリオたんという投影物、きっとその他にも色々なものにこめて、遠まわしに宣言するのだ。
 当然、自分のことを馬鹿にする人間には耐えられない。
 目に映る音無の様子。少し伏せられたまつげ、また渡会さんのことを思い出したのだろう――こいつにとって見下されるというのはなによりの屈辱で、渡会さんのことは許せるはずもなかったのだ。
 自分が大好きで大好きで一番。あらゆる方向でそうでなければ気が済まない。例えば「自分の方が大変だし辛い」とか、そんなマイナスの方面でも音無は人と張り合わずにはいられない。全部、フェイクなんだ。「不幸や苦労を軽々しく口にする人間は陳腐」なんていつかの台詞は、「あいつなんかより、自分の方が大変なんだ」という気持ちの表れ。そういうあてこすりを、音無は、しょっちゅう行っている。
 張り合う必要のないことで張り合い、自分が下になることを敏感すぎるくらいに嫌う。そもそも嫌な思いをしたくないから、極力人を避けようとする。自分を保護するための、ひとりぼっち。
 それを考えてみると、音無には申し訳ないが、彼女が渡会さんに関して怒っていること、そのすべてが真実ではないのかもしれない。こいつが勝手に、悪気もなにもない渡会さんの言葉を悪意的に解釈しているだけなのかも――
「ヨシノ」
 ふいに、隣から呼びかけられる。音無は、いぶかしげに僕を見つめていた。
「黙りこんじゃって、どうしたのさ」
「いや――なんでも、ないよ」
「そう?」
 僕は笑顔をとりつくろう。ただ、音無はすぐには納得してくれないようだった。
「ヨシノは――ヨシノは、なんにも言わないよね。言わないところは、いいんだけれど」
 どこかあどけない声は、変な余韻を残して途切れた。何か訴えようとしているのに、続けようとしない。
「今度はそっちがどうしたんだよ」
「いや――なんでも、ないよ」
 音無はそっぽを向いてしまって、続きを言うことはなかった。

 煮え切らないまま、何も解決しないまま、僕は翌日の大学に足を運んでいた。
 以前の予報と外れ、ここ最近は気温が上がりきらない日々が続いている。暑いという程でもない、生ぬるい空気に全身をからめとられて、どうにか学部の建物という解放が近づいてきた――その時、入口にいる一人を瞳がとらえた時、僕の心臓は跳ね上がった。
 ショートカットにした髪は見慣れない。ただ、その丸っこい瞳、本当に壊れそうな程華奢な身体は、忘れようもなかった。胸の鼓動が、息苦しいくらいに速くなる。落ち着け、そうだ、別に僕に会いにきたわけでもあるまいし――
「よしのさん」
 ただそんな淡い期待は裏切られて、彼女は決然と、僕に視線を向けていた。
 彼女――奈々井(なない)、梢子(しょうこ)さんは。
 しょうちゃんは。
「おひさし、ぶりです」
 僕は自分がかつて付き合っていた人に、ろくに挨拶もできないのだった。


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