てんで駄目な僕らの友情

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○別れ話をしよう○


 何を話したらいいか。髪、切ったんだねなんていうのは、白々しいにも程があるだろう。
 僕は、「話があるんです」と言う彼女について、学部棟の休憩スペースまでやってきた。二人して座り、なんとなく、うつむく。自販機はあるが飲み物なんかは買ったりしない。授業はサボりだな、と遠い気持ちで思った。
 何を、話したらいいんだろう。
 いや、何を言われるんだろう。今さら、何を。不安と不穏さで、さっきから腹の底が気持ち悪くてたまらない。ここから逃げ出したい。彼女だって、きっと――
「……宮望さんは相変わらずですね」
 小さくとも、綺麗に透き通る調子で彼女は切り出した。表情は読めない。僕が顔を上げないから。
「サークルでも、元気です。バイト忙しそうですけど。ああ、サークルは今まで通りな感じです。それで。その宮望さんが、言ってたんです。あの人はあたし達のこと知らないから、なにげない、世間話だったんでしょうけど――」
 よく注意してみると、彼女の声はかすかに震えていた。一言一言、必死で彼女はしゃべっている。
 僕は顔を上げられない。
 今さらしょうちゃんに合わせる顔なんてない。
「よしのさん。今度は――音無さんて人のこと、あたしみたいに縛りつけてるんですか」

 しょうちゃんとは入学したてのサークルで出会った。学部は違うし出身校も違う、新入生同士という以上の接点はなかった。ちなみに彼女は、同じ学年相手でも敬語を崩さなかった。ある程度打ち解けてもそのスタンスは変わらない。色々、あったらしい。
 当時の僕は友達が作れないながらに寂しくて、流されるようにしてサークルに所属していた。ただ、流されるだけで人と親しくなれるはずもない。教室でしているように、話しかけられれば答えて、何もなければ携帯をいじっている。そんな調子だった。
 だけど転機が訪れる。五月の飲み会のこと。たまたま正面に座ったつやつやの長い髪の彼女と、目があった。ひどく遅れた自己紹介。それからどこ出身だとか好きなテレビ番組だとか、自分の情報を交換しだして――どうしたんだろう、すらすら言葉が出てきた。相手が質問してこなくても、自分から、話を広げていくことができた。そのことに気づいたのは帰る時だったくらい、自然に。
 思えばしょうちゃんは、数少ない、僕と波長がとてもよく合う人だったのだろう。僕らはそれから、どんどん親しくなった。
『よしのさんって、おもしろい』
 彼女のその声が聞きたくて、僕は喜び勇んで言葉をつむいだ。
 彼女に「しょうちゃん」とあだ名をつけて、そう呼ぶ権利を自分だけに与えた。
 楽しくて、嬉しくて、舞い上がっていた。これ以上はないくらい幸せだった。
 だけど彼女は、そんな幸せをあっさりと飛び越えさせてくれた。
『あたし――よしのさんのこと、好きです。あたしと、付き合ってほしいんです』
 真っ赤になってがくがく震えて、それでもしょうちゃんは真っ直ぐ、偽りなく、僕に気持ちを伝えてくれた。おおげさかもしれないけれど、僕はその瞬間、ようやく人生で報われたような気さえした。
 彼女の手をとって、僕らは交際をスタートする。
 毎日のようにメールをして電話をして、週末には必ずどこかへ二人で出かけた。彼女が恥ずかしがったので、サークルの人達には内緒のお付き合い。こっそり目配せなんかしてみたら、後で小さく怒られた。
 毎日が天にも昇るようで、僕は浮かれきっていた。ただ一緒にいるうちに、それでも足りなくなってくる。もっと二人で過ごしたくて、もっと互いのことを知り合いたくて、僕は彼女の時間割から交友関係まですべて把握した。当時の彼女のスケジュールならそらで言えた。それで、空いている時間は全部一緒にいた。自分の予定は完全に彼女に合わせて組んだ。僕はまたはしゃいだ。
 ただそれでも足りなくなって、メールの回数をもっと増やした。いつも僕のことだけ見ていてほしくて、他の人といるところにやってきて、彼女の手をひいて別の場所へ行ったりした。彼女がついてきてくれるのが嬉しくて、僕はまた舞い上がる。
 彼女のはにかむような笑顔を見るのも、やわらかい髪の毛に触れるのも、僕だけだ。
 そうやって春も、夏も、秋も冬も過ごして、僕は楽しくて楽しくて楽しくて、また春からもそんな日々が続くと思うと胸が爆発しそうだった。
 だけど四月のある日。サークルの新入生の男が、彼女のことを「しょうちゃん先輩」なんて言い出した。その上馴れ馴れしく、彼女の髪の毛なんか触ったりした。その瞬間、僕の目の前は真っ赤になった。僕は彼女をサークル部屋から連れだして、「どういうことだ」と問い詰めた。
 彼女を、壁際に押しつける。そしてダンッと、その耳のすぐ隣を拳で打った。力加減もなしに打ちつけた拳が、じんじんと痛みを訴える。それにも構わず彼女を睨みつける。
 そこでようやく、僕は気づく。彼女の目からは、血のしずくがつぅーっと流れていた。頬を伝い、ぽつぽつと、床に落ちていく。数滴垂れたところで世界に色が戻り、僕はそれが涙だと気づいた。
『よしのさん……おかしいですっ……』

「音無は……友達、だよ」
 たったそれだけ絞り出すのに、ずいぶん時間がかかった。自分の情けない声に彼女がどんな顔をしているのか、確かめる勇気もない。
 少し遅れて、綺麗な、だけど途方もなく冷ややかな声が僕を刺す。
「宮望さんが言ってました。嬉野くんは元気だよって。ひとりぼっち同士の音無さんと、仲良くしてるって――自分に都合の良い、ひとりぼっちで一緒にいてくれる人、選んだんじゃないですか」
「それ、は……」
 僕はかつて自分が彼女にしてしまったことが頭を離れなくて、思考がぐちゃぐちゃになって、なにも返答が思いつかなかった。
 彼女が別れ際に放った言葉が鮮明に思い出されて、脳が悲鳴を上げる。
 彼女は氷のように、ただ少しだけ口調の端を波立ててしゃべる。
「ほんとうは、この前スパゲティ屋さんでよしのさんが女の人といるところ見て、この人あたしにあれだけのことして、他の人に乗りかえられるんだなって――。一瞬でもそう思ってしまった自分が嫌でした。だけど、あたし。あの人に、またよしのさんが同じことをしようとしているのなら、そんなの絶対、許しません」
 そして彼女は、立ち上がった。やっと顔を上げた僕は、心底汚いものを見る目を向けてくる彼女に、胸を抉られた。
「あたしの話、ちゃんと心にとめておいてください。自分が音無さんにひどいことをしてないか、よく考えてみてください」
「しょうちゃ――」
 僕は、見下ろす彼女に手を伸べた。
 瞬間、彼女は思いきり後ずさった。そして、今の今まで堪えていたような、怒鳴り声を上げた。
「触らないで!」
 そろそろと手を引っこめた僕は、ここに来てようやく理解できたような気がした。
 しょうちゃんが僕に澄んだあたたかな声をかけてくれることも、はにかんだ笑顔を向けてくれることも、もう二度とないのだということを。
「……話は以上です。あなたの顔なんか、もう二度と見たくない」

 しばらくその場で放心していたら、携帯がブブブと振動し始めた。音無からの電話だった。
『おーいヨシノ、今日は四限終わったら来るんじゃなかったの?』
「ああ……ごめん、体調悪いから、行けない」
 平坦な調子でそれだけ言って、僕は返事も聞かずに電話を切った。
 ぼけーっとしながら、ぼんやり、彼女の言葉が頭を行き来する。
 僕が音無にひどいことをしていないか。しているわけがない。放っておくと塩パスタしか食べなくなるような奴に、ほぼ毎日料理を作っている。もちろん僕の好みの押しつけじゃなく、あいつの好き嫌いもくんで。あいつのオタク話に聞く耳持って、いいなりじゃなくツッコミ入れたり。ひどいことなんてしているわけが。
 いやでも。ひとりぼっちで一緒にいてくれる人を、選んだんじゃないかって? 確かに音無は今僕以外友達がいない。部屋に呼ぶのも、出かけるのも、僕以外の人間ではありえない。その関係を、他の人間の入る余地のなさを、そういえば僕はずいぶんと心地良く感じていなかったか。食材の費用を負担してみたり、格好つけておごってみたり、音無が僕に頼りきるよう扇動して。
 いやいやいや。扇動なんて人聞きが悪いじゃないか。出かける時はたいていアニメ専門店、いつだって音無の好きなようにやらせているじゃないか。大丈夫。僕は音無を縛ってなんかいない。
『よしのさんは、結局自分のことしか考えてないんだっ……』
 結論づけようとしたら、横からガンッと別れ際の言葉に頭を撃たれた。
 僕は、自分のことしか考えていない?
 そういえば音無がなにげなく渡会さんのことを匂わせた時、気に入らなくて、話を適当に流した。音無が渡会さんに言われた嫌なことを思い出している時も、早くこんな話は終われとかそんなことばかり考えていた。音無の家に渡会さんと友達が押しかけていると聞いた時も、どうしたらいいと言う音無を放って、居心地の良さを浸食される不快感ばかりに気をとられていた。
 あれ?
 僕、自分のことしか考えてないじゃないか。
「あれ……嘘だ……」
 ちょっと待てと自分に制止をかけるけれど、止まったところで否定の言葉はわいてこない。それどころか脳裏には、昨日、そっぽを向いてしまった音無の姿が浮かんでいた。
『ヨシノは――ヨシノは、なんにも言わないよね。言わないところは、いいんだけれど』
 いいんだけれど?
 その続きはまさか、『自分のことしか考えてないよね』、だったりするのか音無?
 ちょっと待ってくれ。
 少しだけ、休ませてくれないか?

 少しだけと言いながら、気がつけば外は真っ暗だった。僕は未だ呆然としたまま、大学を出ていく。道行くたくさんの人も、街灯の明るさも、全部全部嘘のようで、悪夢の中にいるようだった。
 闇の中、誰かと肩がぶつかった。
 振り返ったその人に、おもっくそ横っ面を殴られた。
「なんでそんなことがわからないんだよおおおおおおおお」
 酒臭い息を吐きながら、その人はそれだけ叫んで走り出した。
 僕は尻もちをついて、顔に手をやりながら、ひたすら意味不明だった。
 わかってないって、何が?
 そんなことってことは、きっと簡単なことに違いない。
 そう、僕は、良好な関係を築くふりなんかして、そのくせ音無の昔の友達に嫉妬し邪魔だと感じ、音無に執着して執着して、たった一人の友達を縛りつけて――
「ああ、そうか」
 ようやくわかった。なんのことはない。
 僕は恋人どころか、友達にすら向いていないのだ。


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