てんで駄目な僕らの友情

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○ファーストコンタクト○


 外は小雨がしとしとと降っている。夜には大雨になるらしい。
 あれから僕は、音無に会っていなかった。様子をうかがうメールがちょいちょい来るのだが、ろくな返信もできていない。
 っていうか、今日この時間は試験なのだが図書館で僕は何をしているのだろう。いやもう今週は全部そんな感じなのだが、いったい何をしているんだ。何もしていないのだ。言わせんな恥ずかしい。
 とにかく何一つやる気が起きなかった。図書館で適当に白い表紙の本を何冊かみつくろってみたが、そのページをめくるつもりなど最初からなかった。試験時の混みあった座席を堂々と占領して、何もしてないクズな僕。朝からずっとこのありさまなので、クズなりにお腹がすいてきた。
 と、そこで、机の上に置いていた携帯が振動した。開いて確認すると、そこにはいつものさゆりさん。
『シーフードカレーは邪道(怒りの絵文字)うちの旦那ったらなんっにもわかってない!(ウガアアアって顔文字)』
 メールには大鍋に入った少し黒めのカレー画像が添付されていた。空腹時に来るとは、さすがさゆりさんだ。
「カレー……か」
 一番とちりにくいだけあって、この二ヶ月、何度か作った料理。さゆりさんが色々なレシピを試して送ってくるので、わりと飽きられず、文句も言われない無難なメニュー。
 そういえば最初に作ったのも、カレーだった。

 五月、ゴールデンウィーク明けの僕はすっかり呆けていた。初めての彼女との別れを経験し、自分のしてきたことを思い返し――途中で辛くなって考えるのをやめ、ただ一人静かに生きていこうなんて格好つけていた。
 そうやって講義室の片隅に腰かける僕はさぞや青い顔をしていることだろうと思っていたら、ゆらーっと隣に座ってきた奴は魚の腹のような肌色をしていた。
 なんだこいつ、っていうか誰だっけ、と頭の中検索をかけてみる。ああそうだ、音無。音無さんとかいう人だ。ちらちら見るのも失礼かと視線を外そうとしたら、くるるるとか細い音が響いた。思わずガン見。これから三限目だというのに音無さん、昼ご飯を食べていないのだろうか?
 まあ僕が心配することでもないし、したところで迷惑だろう。そう思って、もう彼女の方を見ないようにしていたのだ。なのに。
 授業が始まってから都合一、二、三、四、五……数えるのがはばかられる回数、僕は隣人の腹の音を聞くはめになる。気にならないわけがない。これは昼どころか朝も抜いてきた音じゃねーのかと、心の中ではそんなことばかりが繰り広げられた。当然、教授の話なんか耳を素通りしていく。
 これはもう、授業後ツッコまずにはいられなかった。
「音無さん……ご飯、食べてないの?」
「えぁっ、あ、えと……」
 答える代わりに、ぎゅるりらと鈍い音がした。
 僕らはなぜか、ジト目で見つめあった。
「えーと、ダイエットとか良くないよ」
「いや、そういう浮ついた理由ではないというか」
「じゃあどうして。ほら、次の授業ないなら食堂行きなよ」
「……お金が」
 そこから僕が彼女を購買へと引っ張っていき、菓子パンをおごってやるまでは速かった。
「ありがとう……この恩はきっと来月には返すよ」
「いや、そういうのは別にいいけど」
 そうして僕らは別れた。
 別れた直後に思い至った。
「来月には……ってことはつまり、財布家に忘れたとかじゃなく、本格的に金がないってことか?」
 しかも来月まであと何日あると思ってやがるんだ! 僕が思わず声に出してツッコんだ時、音無さんの姿はすでになかった。
 この届かなかったツッコミを捨てるのは忍びなく、僕は帰りの電車で多数の乗客にもまれながら、さゆりさんにメールを打った。なんか同じ大学にえらい飢えてる奴がいる、と。
 さゆりさんの返信は一分少しでやってきた。
『じゃあ、あんたがその子にご飯作ってあげればいいんじゃないの? 私の真似したいのに親が台所貸してくれないってゴネてたから丁度良いじゃない(ウインクの絵文字)』
 目からウロコが落ちるとはこういうことか、と衝撃が走った。
 さゆりさんのその提案は、普段の僕ならば笑って済ませるものだった。実際、さゆりさんもそのつもりだったのだろう。なのにその時に限って僕は、この無責任なメールを本気に受けとってしまったのだ。
 とりあえず、何かしていたかったというのが本当のところだ。今のごちゃごちゃした状況を頭の隅っこに追いやれるような、何かを。
 僕は明日彼女に提言してみますビシッと、軽やかにメールを打った。
 そして明くる日、僕は授業で会った音無さんを捕まえ、部屋に上がりこみ台所に立つ権利を得ることに成功した。その過程であきらかになったのだが、音無さんは今月は1キロ300円の業務用パスタ一日一食以下で乗り切るつもりだったらしい。調味料だけはそろっているので味付け変えて楽しむんだなどと供述しており。僕はしこたま説教した後、包丁を構えた。
「ヨシノくんはボランティア部にでも所属してるの?」
「サークルを連想させる単語を今の僕に言わない方がいいぜ!」
 あきらかにテンションがおかしくなっていた。音無さんもドラッグ一発キめた人物に対するようにおびえを隠そうとしなかった。しかしそんなのはどうでもよかったのだ。
 僕は玉ねぎを一心不乱に刻んだ後になりやっと、台所のシンクが果てしなく汚いことに気づく。不安げにしながら手伝おうともしない音無さんを尻目に、水周りの掃除を完遂、みじん切りにした大量の玉ねぎをアメ色になるまでいため、鍋に大量の水を投下し、コンソメスープの素を加え、その横で肉に火を通す。それから小麦粉をキツネ色になるまでいため、そこにカレー粉を入れる。そうしてできたカレーペーストとカレールゥを鍋に入れ、じっくり煮込んでいく。隠し味にブラックチョコレートをひとかけ。
「あれ、ジャガイモは?」
「さゆりさん式だと入れないらしい」
「えー、ボクはカレーにジャガイモ入ってないとテンション下がるよ……」
「うるせー文句言うな」
 こうやって。初心者にしては張り切りすぎたカレーができあがったのは四時間も後のことだった。そして大量に余ったカレーの処理に困った音無さんが僕に泣きつくのは二日後のこと。僕がさらにさゆりさんに泣きつくのはその三分後。
 その時になってようやく、僕は音無さんとなんの遠慮も緊張もなく接することができているのに気づいた。

 乾いた笑いが漏れた。
 思い出してみれば――なんともメチャクチャな出会いだった。今でこそ僕が音無に押されることの方が多いように感じられるけれど、出会った当初の僕の押し売りセールスぶりといったら。
 そう、あれが始まりで、あれから色々、あったのだ。月末に買う予定のブルーレイボックスのため食費を低空ラインにしているという音無に説教をかましたり、のれんに腕押しだったり、っていうかお前なんだよこの部屋、アレかオタクってやつなのかと詰め寄ったり、ああそうさと開き直られたり。言いあううちに、音無家に入り浸るのがあたりまえになって、二人でご飯を食べるのが日常になって。
 笑おうとしたら、鼻の奥がツーンとなり、僕は机の上に顔を伏せた。
 そこで空気も読まず、震える携帯。さゆりさんの追撃メールだろうか、ととりあえず開いてみると、メールの送り主は別だった。
『たすけ』
「音無……?」
 携帯で時刻を確認する。午後五時半。たぶん、音無は書店にでも行っているはずの時間だが……『たすけ』って、『たすけて』を打ち損ねたという連想しかできないのだが。
 僕は腰を浮かせかけた。
 が、ゆっくりとまた座り直した。
 いったい僕に何ができるっていうんだ。この、人と接することにかけて絶望的なぼっちに。自分のことしか考えない、仲良くなれたと思ったら人を傷つけてしまう底辺ぼっちに。音無だってきっと、嫌な思いをしてきたんだろうに。今さら僕に、何をどう助けろっていうんだ。
 やけっぱちになり、僕はくつくつと笑った。隣の席の人から、ものすごく迷惑そうな視線を送られた。
 笑って――その後、どうしようもなく腹の底が気持ち悪いのを感じた。
 僕は行けない。行けない行けない。そう念じれば念じるほど、空っぽの胃を得体の知れない何かが渦巻くようだった。この胃がズタボロになろうとも、僕は立ち上がらないぞ。恋人も、友達も、人間として満足にこなせない僕はもう、永久ひとりぼっちでいるしかないのだ。このまま一人で学業に打ちこんで優秀な成績で卒業して、一流企業に入るのだ。そしてその後リストラされて路頭に迷うのだ。そもそも一流企業にこだわりすぎて一社も受からず、家で地獄のニートと化すのだ。どんな人生にせよ、もう、他人には近づかないのだ。ああ、胃が、腸が、変な方にねじれ曲がる。
 どうしようもなく、ただ不快感が残った。心が悲鳴を上げるのにも構わず、しょうちゃんの言葉を反芻してみたりしても――この気持ちの悪さが、ぬぐえない。
 僕はいったい――どうしたいんだ?
 ブブブブブ、また携帯が鳴る。
 どうしよう、音無か? 思うより早く、手はボタンをいじくっていた。
『ちょっとお、まさかあんたもシーフードカレー派なの? もしそうだったら絶交よ!(なぜか笑顔の絵文字)』
 さゆりさんだった。今日の携帯の空気の読みっぷりはいかがなものだろう。
 僕はとうてい返信する気にはなれなくて、ついでにシーフードカレーはカレーと認めない派で、なのに指はめるめる文字を打っていた。
「……僕には友達がいません。誰とも友達になれない星の元に生まれたのです。だけど、ええと、ややこしいのですが先日まで友達だと思っていた奴に助けを求められていて、だけど僕はそいつを傷つけているに違いなくて、助けるわけにはいかないのです。でもそう決心したらお腹が痛くて仕方がないのです。さゆりさん、僕、どうしたらいいんすか、泣いてる絵文字っと……」
 こんなわけのわからんメールを送ったらさゆりさんは機嫌を損ねるのではないか。そう考えるより早く、僕は送信してしまっていた。困った時はさゆりさん。これはもう僕の脳内国会で決まっているのだからしょうがないだろう。
 長文になってしまったわりに、返信は早かった。
『なんかわからないけど、助けてやれば? かわいそうじゃないのよ。っていうか友達いないってあんたね、あたしとメル友じゃないのよ。あと結局シーフードカレーは?(怒りの絵文字)』
 ……いったいさゆりさんは、何度僕の目からウロコをぶち落とせば気が済むのだろう。
 僕は気づけば携帯を握り締めて、席を立っていた。早足で図書館の出口へと向かい、外へ。
 予報通りのどしゃ降りで、しかも目の前がチカッと光った十何秒か後、遠くで雷鳴がした。
 僕は何一つ気にせず、傘もささずに駆け出していく。


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