てんで駄目な僕らの友情

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○雨降って○


 音無。
 音無。
 僕は奴が本屋でなく自宅にいるのではないかと直感していた。それは本屋にいるならそうひどいことにはならんだろう、という心の奥の計算があったのかもしれないが、ひとまず雷による閃きだとでもしておこう。
 ばしゃばしゃと、水溜りを派手に蹴散らして僕は走る。靴はもうぐしょぐしょで、それ以前に全身を激しい雨が打っていた。だけどもちろん、そんなことを気にしている場合じゃない。
 くそっ、『たすけ』ってなんだよ。よほど切羽つまった状況なのか? まともにメールも打てないような。助けてほしいんなら詳しく説明しやがれあの馬鹿。お前は、正直に、なにもかも言うべきなんだ。自己アピールも、他人への不満も。言わないでいるから、手遅れになる。修復不可能になる。くそっ、これで僕の気を引きたいがためのいたずらメールだったりしたら、あいつの目の前で歩道橋から身投げしてやる。
 僕も、全部、正直になってやるのだ。それで本当に友達ゼロになろうもんなら、ニートと化して親に包丁で刺されてやる。ああ、そうだ、何があってもゼロにはならない。僕にはさゆりさんという心強いメル友(主婦・三十八歳)がいるのだ。だからきっとニートでも上手くやっていけるだろう。
 おかげで覚悟は決まった。
 僕は、音無を、助ける。
 足を運ぶスピードはぐんぐん増していくような気分。大きく腕を振り、こんな全力疾走はきっと人生最初で最後に違いない。そんな勢いで僕はただ、音無宅へと急ぐ。
 そして奇跡的な速さで見えてくるアパート――ある部屋の入り口前に、二人の人間がいるのが目に入った。
 ――音無!
 僕はさらに力強く、どす黒い地面を蹴った。ばしゃんばしゃん、蹴散らした水溜りが雷光で白く光る。
 音無!!
「ぅおとなしいいいいいいいいいいいいいいいいっ!!!」
 僕はそのままの勢いで音無の目の前まで走りぬいた。当然、音無の前方にいた奴はそのままの勢いでぶっ飛ばした。
「ヨシノ!」
「音無ィ!」
「ってえ……誰だ貴様!」
 僕は雨避けのためかろうじて濡れていない音無と一瞬だけ見つめあった後、襟首をつかまれ転倒させられた。尻もちをついたコンクリートが、僕の全身をまとう水滴で黒く染まっていく。キッと見上げると、先程ぶち当たってやった男が僕を睨みつけていた。空気が読めないのは携帯の特権だというのに、このチャラ男めが。
「お前、この女の知り合いか!」
「お前なんか見るからに知り合いじゃねーだろが!」
 と言いつつ、僕はこの茶髪ピアス腰パン男のことはわかっていた。角刈り大柄厳粛でもなんでもない、渡会さんの友達のチャラ男野郎。チャラ男はその外見に似合わぬ洋画の吹き替えのような美声で怒鳴った。
「この女は! 散々せつなちゃんの世話になっておいて、勝手に裏切りやがったんだぞ! せつなちゃんは、ずっと悩んでどうにか仲直りしたいと苦しんでいたのに! 話も聞かずに!」
「うるせー知っとるわ! っていうかなんでここにいるんだよ音無!」
 いきなりチャラ男と口論になった僕を、音無はぽかんと眺めていた。急きょ質問の矢が飛んできて、状況にそぐわぬテンポの悪さで答える。
「いや……財布忘れたから家にとりに帰ったら、この人が一人で家の前にいて」
「せつなちゃんはもういいからと! 諦めたさ! 泣きながらな! だけど俺は、あの子の笑顔が戻るまで諦めな」
「あーもう、うるせえ!! わかった音無、だいたい把握した。予想通りだった!」
 僕は大きく、音無にうなずいた。そこで言葉を投げようと立ち上がるも、間髪入れずに口を開くチャラ男に妨害される。
「お前もこの女の知り合いなら、なんとか言ってやれ! 意味不明でフェードアウトなどされたら、本人にしたらたまらないだろう! 少しは、あの子の気持ちも考えて」
「だぁから、う・る・せ・え、つってんだろ! だいたい、僕と音無は、知り合いなんかじゃない! 僕の友達に、近づくんじゃねええええええええっ!!」
 渾身の叫びの直後、遠くの方でコンテナをぶっ飛ばしたようなすさまじい爆音がした。雷がだんだん近づいている――
「さんっざんシカトしといて、それかよ!!」
 その時音無が雷鳴に乗じてチャラ男にタックルをかまし、僕を真っ直ぐ見据える位置についた。女性声優の演じる少年役、どころか本物のガキのような勢いで叫ぶ。
「どうせヨシノも、ボクのことしょせんオタクだのオタクキモイだの馬鹿にしてたんだろっ! それで愛想つかしたんだろう!?」
「はぁ!? 馬鹿にしたことなんか一度たりともねーよ! 何勝手に被害妄想ってんだよ馬鹿!」
「ほら馬鹿って言った!」
「小学生か!」
「また馬鹿にした!」
 小学生レベルの台詞を、目をがっちりつぶって音無は必死で訴えていた。握りしめた拳は、はたから見ても血が滲みそうなくらいだ。
 僕はまた近づいてきた雷音に負けぬよう、拳を固くし、音無と正々堂々睨みあう。
「いいか! 僕は! きみのこと馬鹿になんかしてない! ただきみが、他の奴のこと匂わせるような――元カノとどうしただとか、そういう話すんのが気に食わないだけだ!」
「なんだよそれ!」
「僕はな、他人との距離感支離滅裂なんだよ! その上超絶心がせめーんだ! 友達になった奴が、他の奴と一緒にいたり他の奴のこと考えたりするのが、ムカつくんだ!」
「キモイなヨシノ!」
「なんとでも言え! 僕は、僕は、友達のことをそうやって傷つけるしかできない! 友達失格人間なんだ!」
「いやキモイけど! 失格とか勝手に被害妄想ってんじゃねーよ! そりゃ限度はあるけど、好きな奴に執着するのなんかあたりまえだろ! 馬鹿じゃないのか!」
「んだとおっ!」
 雨がまた馬鹿みたいに勢いを増し、雨避けの下にまで吹きつけてきた。音無も、すでにびしょ濡れの僕も、風雨にさらされていく。
「そんなことより、馬鹿にしてないなんて嘘だッ! どうせヨシノだって、あの女とのことボクに非があるって、オタクなんか馬鹿にされて当然だって思ってんだろ!」
「だから、何を根拠に言ってんだよ!」
「この前本屋でリリスト見てた時、黙りこんじゃってさ、人のこと変な顔で見てた! ヨシノはいっつもそうだ! なんにも言わないくせに、しらっとした目でこっちのこと見てる!」
「はあ!? ほんっとに被害妄想つええな! プライド高いのはいいけどたいがいにしろよ!」
「妄想じゃないよ! ボクが漫画の話したって、変な顔するくせになんにも言わない!」
「変な顔してんのはきみの発言受けて色々考えてるからだよ! 何も言わんのは単純にコメントしようがないからだ! それでもきみのオタ話は聞いてて楽しいよ!」
「あと、『きみでもカロリー気にするんだな』とか! オタ女はダイエットなんて気にしませんよねー女じゃないですもんねーへーふーんって、思いっきり馬鹿にしたくせに!」
「勘違いはなはだしいな! つーか自分の体見ろや、んなガリガリでダイエットしたら死ぬわ! つーかんなこと根に持ってたのかよ! むしろカロリーとれ!」
「よけいなお世話だ!」
 僕も、音無も、雨粒をまともに浴びてぐしょ濡れになっていく。髪の毛は互いにぺっとり肌にはりつき、丑三つ時の妖怪のようなありさまだ。
「っていうか、そんなことよりで流しやがったな! いいか! 好きな奴に執着すんのあたりまえって言うけど、僕は限度知らずだからな! 加減なんかまるでわからねえ!」
「だったらどうだってんだ!」
「これから友達続けたら、きみはいつか絶対傷つくぞ! 僕はそういう奴なんだ! 自分の気持ちばっかり大事にしてる! それで大事な彼女も傷つけたんだ!」
「彼女いたのかよ! 心底びっくりだ!」
「一番びっくりは僕だったよ! もう別れたけどな! とにかく! 僕の友達やめんなら今のうちだからな!」
「しつこいな! そんなこと気にしたこともなかったよ馬鹿野郎!」
「いいんだな!? 僕の友達で!」
「上等だ!!」
「……あ、あのー」
 そこでまた場違いな美声が飛んできて、僕らはそちらを見下ろした。
 呆然としていたチャラ男は、僕ら同様雨に濡れながら叫ぶ。
「友達だなんだとうだうだ言う前に、お前ら、その性格をどうにかしたらどうだ!」
 まったくもって、ごもっともで。
 視線を交わしあって、互いのひどいありさまを眺めて、僕らは各自の勘違いを認識した。
 稲光に目をつぶった後、同じタイミングで二つの笑いが巻き起こる。
 まったく僕ら、てんで、駄目すぎる。
 笑っちゃうくらいに。


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