正月を過ぎて少しした頃、私は思い切って、長かった髪の毛をばっさり切ってみた。腰くらいまであったのを、かなり思い切ったショートカットに。あられまじりの風が、無防備になった首筋にやたら冷たく感じる。
「ただいま」
「あら、おかえり……ねえ、ちょっと」
家に帰ってみると、母は私の頭についてあれこれコメントするでもなく、何やら深刻そうな面持ちで視線を送ってきた。
どうしたのだろう?
「榎本さん……って、あんた、仲良しだったわよね?」
「……まあ、そうだけど」
榎本といえば、悠(はるか)のことか。確か今、家族で旅行中だったはずだけれど――
「榎本さんね……飛行機の事故で、亡くなったって」
「え」
頭がフリーズする。
悠が、死んだって?
私はしばらく固まったままで、母は私を気遣うように眼を伏せながらも、お通夜は明後日だとかぽつぽつと漏らして――右耳から左耳へ抜けていくというのは、こういう感覚なのだろうか。
悠、死んだんだ。
♭ ♭ ♭ ♭ ♭
――悠のことは、別にそんなに好きじゃなかった。
ふらふら、知り合いの働くコンビニへと足を運ぶ道すがら、私は彼女のことを思い出していた。
悠とは、かれこれ中学から高校二年生の現在まで、ずっと同じクラスだった。彼女はどうやら、自分が私にとっての一番の親友なのだと自負していたようで、何かにつけて『志穂のことなら、何でもわかるんだから』というようなことを口にしていた。
でも彼女は、私のことを本当に理解なんかしようとしていなかった。
例えば中学のある時、私が小食なのだと勘違いしていた彼女は『あ、そんなに志穂に盛らないで!』と、給食当番にわかめごはんの盛りを少なくさせたりした。わかめごはん、好きだったのに。またある時は、『志穂は習い事で忙しいから、行けないよー』なんて言って、私の暇な放課後を一人きりで過ごさせたり。確かにピアノは習っていたけど、毎日教室に行っているわけじゃなかった。
……思い返してみると、これはいじめと言えるのではないだろうか。
まあ、否定しなかった私が悪いのだけれど。
とにかく悠は、私のことを誤解するだけして、思い込みで突っ走って、勝手にあれこれ私の世話を焼いた気になっているような人だったのだ。
――別に、そんなに好きじゃなかった。
あられはいつの間にか柔らかな雪にかわっていて、風も穏やかになっていた。
あんな恨みごとやらこんな恨みごとやらを思い返しつつ、私はぎゅうぎゅう、雪道を歩いて行く。
♭ ♭ ♭ ♭ ♭
「志穂さん、髪切ってるっ……」
セブンイレブンにたどり着くと、いつもは私が来ると渋い顔をする可愛らしい後輩が、驚きの表情で出迎えてくれた。彼女は冬休みの間、ここでバイトしている。
十二月はそれこそ毎日のように冷やかしに来ていたけれど、さすがにそろそろ控えようと、本当は思っていたのだ。なのに、つい来てしまった。
「うわあ、やっぱり結構、印象変わりますねー」
「イメージ払拭作戦の一環ね。いくのんも、伸ばしたりしないの?」
尋ねてみると、彼女は私よりさらに短い髪の毛(ベリーショートとか言うのだっけ)をいじりながら、苦笑いしてみせた。
「うーん、なんだかんだで、この長さが落ち着くんですよねー……」
そう、とうなずき、私はそのまま何となく彼女を眺めていた。
すると彼女は、怪訝そうな顔を返してくる。
「まさか……その髪見せに、わざわざ来たんですか?」
「……まあ、そうなるのかしらね」
自分でもよくわかっていない私の回答に、彼女は軽く首を傾げた。でもすぐ、後ろを向いて、棚の整理に向かってしまう。
私はカルガモのように、その後にひっついていった。
「ねえ、いくのん」
「なんですか。もう、何も買わないなら帰ってくださいよ」
「私がよく話してた、私のこと色々誤解して、余計なことばっかりしてくれた子がね、今、家族でブラジルに旅行中なの」
「サボってるって思われちゃいますから、帰ってください」
「年末に会った時、ものすごく自慢してきたのね。そりゃもう、これ見よがしに。『志穂んとこと違って、うちは、アクティブだから!』なんて。私だって、家族で海外に行ったこと、一回だけあるのに」
「……なんなんですか、もう」
「ねえ……肉まん一つ、いただける?」
彼女は「はあ?」というような顔をする。
私も正直、自分が何を喋りたいのかよくわからなくなって――とりあえず、肉まんに逃げてみただけだったりする。
彼女はそんな私を見て、呆れた様子で溜息をついた。
「もう、何かあったんですか? 聞いてあげますから、話してくださいよ」
『志穂、言いたいことあるなら、言いなよ? いつも志穂は、何だかんだで自分のこと言わないんだから――』
――何だろう。
ふいに、悠の影が、見えた気がした。
「あーもう、どうしたんですか?」
「……誤解してるんだか、理解してるんだか……」
「はあ? もう、本当、どうしたんですか?」
――勝手に人のことを決めつけて仕切って、いつもこっちの本当のところなんか、確かめようともしないで。私の旅行の話なんか、どうせそんなの行かないだろうって、聞きもしないで。
……なのに時々、わかってくれてるとか。
何だか心に隙間風が吹いたような感じになって、私は彼女の背にべたーっとひっついてみた。
「ねえ、いくのん」
「あーもう、離れてください」
「好きの反対は無関心って、よく言うわよね。あれ、ちょっとだけ、わかった気がするの」
「はあ?」
「まあ、マザーテレサも、こんな場面で使われるの、不本意でしょうけれど」
「はあ……」
それから私は本当に肉まん一つだけ買って、コンビニから出ていった。
♭ ♭ ♭ ♭ ♭
雪は、心持ちさっきより大粒になっていた。
短い髪が、冷たい風にふられてぐしゃぐしゃにされる。
――この頭を見たら、きっと悠は『えーっ! ショートカットとか、志穂のキャラじゃない!』だとか『失恋でもしたの? ……って、志穂はそんなんで髪切らないよね』みたいなことを言うのだろう。偏見だらけで文句ばっかり言って、私という人間について、独断であれこれ語って聞かせるのだ。
――だから、一番に見せてやろうと思っていたのに。
なのに彼女は、死んでしまった。海外なんかにふらふら出てって、地平線の彼方に沈んでしまった。
「……あーあ、本当、うまくいかないのね……」
雪ははらはら、音もなく落ちていく。
首元がやけに寂しくて、私は、髪なんか切るんじゃなかった、と思った。
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