日曜日、部屋で本を開いているとノックの音が聞こえる。
「入っていいか?」
父が、うきうきとした笑顔でそこに立っていた。どうしたの、と問うと、
「スロットで大勝ちしてさ。母さんには内緒だぞ?」
そう言って、一万円札を握らせる。
「たまには参考書とかじゃなくて、服とか買っていいんだぞ?」
父の、眼鏡の奥の瞳は、穏やかに優しくたたずんでいた。
うなずいて、微笑む。
「お前は本当、真面目だからなあ……だけど、根詰めすぎるのもよくないぞ? 我慢するのは、一番よくない」
父の瞳をのぞきこんだ。
我慢するのはよくない。
なら。
「ん? 何か言ったか?」
何でもない、と首を振る。下に降りていく父の背を、いつまでもいつまでも見送った。
我慢するのは一番よくない。
そうか。
我慢しなくていいのか。
× × × ×
「北九州からの汚染はもはや尋常じゃない。この区域にはもうまともな人間が残っていないくらいだ」
「はい」
白い寝室、ベッドに座らせ、彼女のメンテナンスを行う。彼女からの報告を受け、それを大学ノートに記録していく。彼女の受けた傷にフォローを与え、その傷に耐えられるか、耐性をつけていることを確認する。
あの日から神さまは消えてしまった。だけどきっと、こうして彼女を「完成」させて、北九州を潰せば、帰ってきてくれる。神さまはおそらく、このどうしようもない世の中に絶望してしまったのだ。この世界が、人々がきれいな心を取り戻したのなら、きっと戻ってきてくれる。
だからぼくは博士であり続ける。彼女は最高のロボット。
「何人たりとも、信頼はおけない。教師も生徒も近所の人も。甘くされてもそれは罠だ。きみの家族だって残念ながら汚染は免れていないよ。だって娘がこんな目にあっているのに、気づきもしないじゃないか」
今のこの世界で幸せを望むなんて、不可能だ。
と、彼女がぼやりと口を開いた。
「そうですね」
彼女は、底の知れない真っ黒な瞳で、微笑んでいる。
薄く、微笑んでいる。
× × × ×
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