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もしも世界に悪い電波なんてなくて、人々が正気なのだとしたら、ぼくのしてきたことはいったい何だったんだろう。
彼女はきれいな顔で眠っている。穏やかに寝息を立てている。赤黒いしみをいくつもつけた半袖に、乱れたスカート。
ぼくはそれを、つうっと涙をこぼしながら見つめた。
喉の奥が痛い。絞められた首が。だけどそれ以上に、彼女との記憶をたどった心の奥底が悲鳴を上げている。
世の人は北九州からの電波のせいで、人に酷いことができて、それを見て見ぬふりできている。電波さえ取り除けば酷いことはしなくなって、酷いことに心を痛めることができる。
もし、それがとんでもない妄想だったとしたら。
ああ、ぼくのしてきたことは、間違いだ。とんでもない間違いだ。
喉の奥から嗚咽が漏れる。みっともなく、しゃくりあげる。
北九州を潰す具体的な方法なんて、わかっていやしなかった。ただ漠然と進んでいけば、どうにかできるんじゃないか。
彼女が、花がいたからそう思うことができた。そのことに今更になってぼくは気づく。
同じ苦しみを共有できる人。神さまはぼくを救ってくれたけれど、だからこそぼくとは違う場所にいるようだった。でも花は。幼い頃からいじめぬかれて虐げられた彼女は、ぼくと同じだった。初めて出会ったぼくと同じ側の人間。
北九州が悪の総本部でないのなら、ぼくたちに幸せになる術はなかったのか?
いや――
もしも世界が汚染などされていなくて最初から残酷だったならば、その中で生きる方法は、ただ彼女と手を繋ぎ続けることだったんじゃないのか。神さまは、みはらちゃんは、あの時ぼくにそれを伝えたかったんじゃないのか。
そして――
あの日、青空の下でぼくの手を握り返した彼女も、本当はそれを望んでいたんじゃないのか。
『ソラちゃん――』
荒く息を吐く。
――それすらももう、手遅れなのだ。
ぼくは彼女の不幸を、ただ傍観することに終始した。その結果彼女は世界への復讐を果たしてしまった。血に汚れた手で、眠っている。ぼくを殺し損ねて。だから、ああ、彼女は、花は、もうぼくと一緒にいることは不可能なんだ。
世界が急に色あせた。
ぼくは、どうにか窓際まで這っていって、サッシに手をかける。窓を開け放つと季節に似合わず涼やかな風が頬を撫で、ひどい虚無感を誘った。
空の青だけがかろうじて感じられる。
世界はきれいだ。どれほど酷い現実が積み重なっていようと、揺らぐことない。ただただきれいに、たたずんでいる。
ぼくはその場に横たわった。
そういえば。神さまから聞いた物語では、マッドサイエンティストにより作られたモンスターは、最後には博士を殺す。博士を殺して、それから――どうするのだっけ? 脱力するのか? 快哉を叫ぶのか? 涙を流すのか?
さて、彼女はどうするのだろう……
ぼくは窓辺で眠りにつくことにした。寝転がるぼくに、目を覚ました彼女は手をかけるだろうか。
どのみち答えはわからない。
最後に一度だけ、目を開けて窓の外を見上げた。手を伸ばす。届かないとわかっていながら、それでも力一杯、手をかざす。
掲げた手の先にあるのは、青い、青い、ただただきれいな空だった。
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