わたしのすきなもの

prev/top


後編


 それからまだ何日も経っていない日のことだ。
 その日は音楽の時間にたっぷり練習できたので、放課後のパート練習はあっさり終わった。それからわたしはまた、未練がましくも音楽室の前をうろうろしてしまったのだ。
「さすがにもう、どこのクラスもとっとと来るようになったみたいね」
「わあっ!」
 またも、志穂さんと出くわしてしまった。
「うちのクラスの人も、すぐに来るから……空き時間にこっそり練習、できないわね」
「……もともと、わたしが練習する必要なんか、ないから。いいんですよ」
 知らず、いじけたような口調になってしまう。
「そう」
 志穂さんは、慰めるわけでもない、けれど少し優しげな声色で言った。
 それから少しして、階段をぞろぞろ上がってくる音がして――まだ前のクラスの練習が終わらないうちに、音楽室の前に人が集結しようとしていた。
 わたしはそそくさ、反対側へと歩いて行く。
 その背に、淡々とした声が降ってきた。
「また今日、いいかしら?」
「……はいっ」


 いつも通り、校門前で志穂さんを待つ。
 何にもすることがないから――つい、色々考えてしまう。
 ――バスケ部なんか、指を痛めるからできないよって、言ってやったら?
 ――歌うのよりも、ピアノを弾く方が好きなんだって、言ってやったら?
 ――伴奏者を決定する時、ちゃんと「やりたいです」って名乗り出ていたら?
 はふう、と溜め息がもれてしまう。
 今更うじうじ、心の中で考えたって無駄なのに。
「お待たせ」
「あ、志穂さん……」
 割とすぐに、志穂さんはやって来た。
「またマックでいいかしら?」
「あ……え、と、ミスドとか、行ってみません?」
 ああ、この人になら、ちゃんと言えるのか。自分の好きなものが。
「そうね……さすがに、マンネリだものね」
 そうしてわたしたちは、いつもと少し違う道を歩いて行くのだった。


 本当は二個くらい欲しいけれど、我慢して一個だけドーナツを買っていると、志穂さんはその横で悠々と三個選んで会計を済ませていた。
「だって、どれも美味しそうなんだもの」
「ドーナツのカロリーなめたらいけませんよー。三個も食べたら、びっくりするくらいになっちゃいます」
「いいもの。私、食べても太らない体質だから」
「あ、そういうのずるい……」
 あれこれ言いつつ、席につく。
 しばらくはお互いもふもふドーナツを食べ、それからまた、取り留めのない話が始まるのだ。
「それで、例の給食の子がね、高校でも二年連続同じクラスで。中学の時に一度、『コンクール近いから、今日は遊べない』ってお誘い断ったら、それ以来勝手に私のこと、『ピアノの練習で忙しい人』って勘違いしちゃって。高校になってもね、他の子が遊びに誘ってきたら、私が返事をする前に『志穂は、ピアノあるから!』って勝手に断っちゃうの」
「うああ……なんていうか、早とちりな人ですね……」
「おかげで私、こうやって一緒に寄り道できるの、いくのんだけよ」
「あはは……って、いくのん?」
 それなりに楽しく、時間は過ぎていく。
 志穂さんはコンクールとかでもそれなりの成績だったりするくらい、ピアノが上手で、でも別に毎日教室に通っているわけではなくて――でも、毎日ピアノの練習だって言っても、おかしくないように見られていて。伴奏だって、その早とちりな人が『志穂はピアノすっごく上手なんだよー』って言いふらしてるから、中学の合唱コンクールの時から、ずっーと任されていて……
「……いくのんは、伴奏、やらないの?」
 急に志穂さんが、真面目っぽい口調で問いかけてきた。
 わたしは少し、ぎくっとする。
「まだ練習始まったばかりの頃に、あれだけ弾きこなしてて、空き時間を狙って学校のピアノで弾いたりして……伴奏の楽譜も、自分で用意したんでしょう? それくらい、好きなのに。どうして、やらないの?」
 ……たぶんこの人は、もうわかってる。わたしが伴奏をやらない――できない理由。だから、改めて言ったって、ただの弱音にしかならなくて――それでも、うつむきながら、わたしはぽつぽつ話すことにした。志穂さんは、わたしの口からちゃんと聞きたいみたいだから。
「……わたし、この通り、男の子みたいな見た目で……行きつけの美容師さんも、毎回、『この髪型が一番似合うから』って、短く切っちゃうんですよ。それで、スポーツなんかも、割と得意な方で……背もちょっと高めで、夏の球技大会で活躍しちゃったりして……だから、ピアノやってるなんて、誰も思わなくて」
「言わなかったら、誰もわからないでしょう?」
「……はい。小さい頃からの知り合いしか、ピアノのことは知らなくて。その知り合いも、わたしがピアノの練習ある日でも、平気で遊びに誘ってきて……スポーツの方が好きそうに見えるんですかね? あはは……」
「それで?」
「中学の合唱コンクールの時、伴奏者に名乗り出てみたんですけど、クラスの中に、わたしがピアノできるって知ってる人、いなかったんですね。そしたら、他のピアノできる子が――『ピアノやってる人の指に見えないよ』って、言って。たぶん、悪気はなかったんでしょうけど、でも――」
 悔しかった。
 悲しかった。
 スポーツなんかより、歌うのなんかより、ピアノの方がやりたいのに。それなのに、「あなたはピアノが似合わない」なんて、決めつけられて――
 また同じことを言われるのが怖くて。本当は、放課後の練習中に見ている五線譜が伴奏用のものじゃないのが歯痒くてしょうがないのに――「好きなこと」を否定されるのが嫌で、わたしは自分の好きなことを言えずにいる。
「……私もね、本当は、一回くらい合唱コンクールで歌ってみたかったのよ」
 志穂さんが、少し泣きそうになっているわたしに、静かに語りかける。
 少し泣きそうだったのか、本当に泣けてくる気がして――わたしはいっそう下を向いて、ひきつりそうな喉から声を絞り出す。
「い、いいじゃないですか……ずっと伴奏、できて」
「歌うのも実は好きなの」
「……志穂さんは、ずるい。そんな風に、『ピアノできてもおかしくない』って皆に見られて……」
「『ピアノばっかりの人』って思われてるの。それはそれで、嫌なのよ」
 わたしにとっては志穂さんは羨ましくて、わたしは志穂さんみたいに皆に見てほしくて――でも、彼女は彼女で、そんな見られ方にうんざりしていて。
「……本当、うまくいかないわよねえ」
「……ですねえ」
 二人して、苦笑いなんかしてみる。
 本当に、どうしたらいいんだろうか。


 ミスドを後にすると、志穂さんが「同年代の人と一緒に服を見るの、ちょっと夢なんだけど」と突然言い出した。すっかりダウナーな感じになってしまったので、気分転換のつもりなのだろうか。わたしも今日は特に用事がないので、もう少し付き合うことにした。
 平日だから、洋服屋さんはそんなに人がいなかった。すっかり冬物一色になった店内は、時々、お母さんに連れられた小さな子がはしゃいだ時に騒がしくなるくらいだ。
「なんで、わざわざ穴のあいたジーンズなんか売るのかしらね」
 志穂さんが、手にしたレディースのジーンズの穴を撫でながら呟いた。
「ダメージジーンズって言うんでしたっけ? まあ、着る人によってはカッコいいんじゃないですか?」
 適当に答えると、志穂さんは鏡の前でジーンズを自分の脚に重ねて、しげしげと見つめていた。
「……ちょっとワルな自分を演出?」
「あはは、志穂さん、似合わないですねー」
「いらないわよ、こんな最初からボロボロなの。でも……」
 ふ、と志穂さんは、さっきのミスドでの苦笑いと似た、けれどそれより少し乾いた表情を見せた。
「かわいそうよね。ワルなキャラクター演出のために、新品なのに穴あけられたジーンズも。そんなジーンズはいて、自分のキャラクターに囚われてる人も」
 あはは……と笑おうとして、笑えなかった。
 志穂さん、気分転換のはずなのに、どうしてさっきのことを蒸し返すかな……
「……囚われる必要なんか、ないのにね」
「……まあ、そうなんですけどね」
「もっと好きなように――人に言われることなんか気にせずに、生きていけるはずなのにね」
「……そうできたら、いいんですけどね」
「実は簡単に、できるのかもね?」
「……そうですかねえ」
 そうやって、特に何か買うでもなく、わたしたちは店を後にしていった。

♯  ♯  ♯  ♯  ♯

 騒動が起きたのは合唱コンクールまであと一週間ちょっとという時だった。
「ええと、範田生乃さん、いる!?」
「えっ……」
 突然、知らない人――たぶん、上級生? がうちのクラスにやってきて、わたしを名指ししたのだ。
「あ、あの……わたしですが」
 戸惑いつつ答えると、その人はさらに混乱しているような様子でまくしたてた。
「花宮が……うちのクラスの伴奏者なんだけど! どっか行きやがって! なんか、『伴奏なら、一年二組の範田生乃さんに代わってあげて』とか言い出して!」
「え……はあ!?」
 意味がわからない。
 え、志穂さん……?
「ちょっ……志穂さん、どこですか!?」
「知らねーよ! つーか、誰なんだよあんたは!!」
 それはこっちのセリフですよ! ……と言うより先に、わたしの足は動きだしていた。
 何を考えているんだ、あの人は!?


 志穂さんは、割とすぐに見つかった。携帯に電話をかけたら、『今、マックにいるから』と呑気な声が返ってきたのだ。わたしは、『店の外に出て待ってて下さい』と指示し、駆け足で向かっていた。……店の中では、大声を出すわけにもいかないだろう。
 息を切らせていつもの場所につくと、志穂さんはのんびりこちらに目を向けてきた。
 瞬間、頭に血が上る。
「何っ……してるんですか!!」
「ちょっと、お茶」
 この人は……この人は、何、一人で悠々とマックに入っているんだろう。わたしがいなくても、大丈夫だったんじゃないか!
 そんなことはどうでもよくて……わたしは、本題をぶつける。
「伴奏はわたしに任せるって、何考えてるんですか!」
「何って……いくのん、伴奏、私なんかよりすごくやりたがってたじゃない。私も、歌ってみたいし。ギブアンドテイクっていうのかしら、こういうの?」
 悪びれもせず――昨日の、どこか悲しげな雰囲気さえも置き去りに、志穂さんはしれっと言い放った。
 この人は……何なんだろう……
「……ふざけないでください。二年生の伴奏、一年ができるわけないでしょう」
「別にいいんじゃないの? それくらい」
「……志穂さんだって、一年に混じって歌わなきゃいけないんですよ」
「別にいいわよ、そのくらい。ああでも、欲を言えばソプラノの方がやりたかったかしら。いくのん、アルトよね?」
 もう……何なんだろう、この人!
 言っていることは支離滅裂なのに、落ち着き払っていて――猫みたいな目を、真面目にこっちに向けてきて。
 何なんだろう、本当に……
「もうね、周りから押し付けられたキャラクターに縛られるの、馬鹿馬鹿しくなってきたの」
「……それで、伴奏ボイコットですか」
「そう。結構、簡単だったわよ? キャラ付け捨ててやることなんて。いくのんだって、そんなに考え込まずに、言いたいこと言ってやれば、それで済むのよ?」
「……そのせいで、あなたのクラス、大混乱なんですが」
「いいじゃない、そのくらい。周りだって、散々人のこと決めつけて――こっちの気持ち聞く前に、勝手に押し付けきたんだから。こっちだって、このくらいやってもいいのよ」
 ……確かにそうだ。周りの人たちは、勝手に見た目とか第一印象みたいなのでこっちのこと判断して、そこから人へのキャラ付け、全然動かそうとしないで……こっちの気持ちなんか、お構いなしだ。
 不満だよ。
 嫌だよ。
 でも――
「だからって、こんな、間際になって無責任なことすること、ないでしょう!」
「まあ、いくのんなら、大丈夫でしょ? 今までずっと、伴奏練習してたし……」
「そうじゃなくて! 大丈夫とか、代わっても問題ないとか、そういうんじゃなくて……」
 わたしは言い淀んでしまう。だって、この先は、わたしにそのまま返ってくる言葉で――
 でも、言わなきゃ駄目だ。
 言ってやらなきゃ、いけないんだ。
「――最終的に伴奏引き受けたのは、自分でしょう! そりゃ、周りの人の勢いに押されて断れないの、わかりますけど……っていうか、わたしがそうなんですけど! でも、本当に嫌だったら、頼まれた時点で断らなきゃいけなかったんです! だから、こんな間際で放り出すのは、絶対、駄目なんです!」
 上手く言えないけれど、でも――そうなんだ。結局これは、自分の責任なんだ。
「……じゃあ、いくのんが伴奏じゃないのは、いくのんがちゃんと立候補しなかったせいだっていうのね?」
「……そうです」
「いくのんがスポーツ少女に見られるのは、いくのんが否定しなかったからしょうがないのね?」
「……そうですっ」
「周りがどれだけ勘違いしてても、否定しないいくのんが悪いのね?」
「……そうですっ!」
 ……なんて、意地の悪い……いや、小学生みたいな人なんだろう。
 でもそうだ。最終的には全部、わたしのせい。臆病風に吹かれて、好きなことをちゃんと好きだって言い切らないで――そんな覚悟じゃ、駄目だったんだ。
 本当は前からわかっていたけれど、今、はっきり、認めることができた。
 志穂さんはそんなわたしを前に、ふてくされたように口をつぐんでいる。
 わたしはそれを見て呆れて――呆れたおかげで、ちょっとだけ冷静になれて――それで、大事なことに、気付いた。
「そうだ……志穂さん、周りに伴奏押し付けられたみたいな言い方ですけど……毎回、音楽室に一番乗りで来てたじゃないですか」
 志穂さんは、少しだけ目を見開いて見せた。「まずい」って言ってるような、表情だ。
「本当は歌いたかったとか、色々言ってましたけど……でも、伴奏、やる気まんまんなんじゃないですか」
「……それは」
「あ、あはは……」
 なんだか、気が抜けてきた。こっちが、馬鹿馬鹿しくなってきた。
 そうだ、結局――
「志穂さん、ピアノ、割と好きなんじゃないですか」
「……そんな、別に」
「駄目じゃないですか、自分のキャラクターに縛られないとか言って、好きなこと否定して――結局、志穂さんだって、そうやって周りから押し付けられたキャラに囚われてるんじゃないですか」
 言ってやって、すっかり気も抜けきって、わたしは周りを見る余裕ができた。
 道行く人たちは、言い合うわたしたちを怪しげに見て、少し離れたところからじっと観察している人なんかもいて――本当、馬鹿みたい。
「馬鹿みたいですよ、志穂さん」
「……そうかしら」
「すごく、馬鹿みたいです」
「……そうかもね」


 それから志穂さんをクラスにきっちり謝罪に行かせたのだけれど、その前にわたしたちは約束を交わした。
「とりあえず、今回みたいな無責任なことはしないようにしましょう」
「自分で背負ったものには、責任をってね……面倒くさいわ」
「……自分から否定しにいかなかったんなら、人にどう見られても文句は言わないようにしましょう」
「でもやっぱり、ムカつくこともあるわよね」
「…………あの、ちゃんと目を見てうなずいてくれませんか?」
「はあーい」
「………………」
 もう、この人は、本当に……
 一呼吸置いてから、わたしは一番大事なことを言う。
「くれぐれも、自分の好きなことは見失わないように。ちょっとずつ、周りのイメージを変えていくように頑張りましょう」
「張り切りすぎず、自分のペースで、ね」

♯  ♯  ♯  ♯  ♯

 そうして訪れた合唱コンクール当日。
 それからの志穂さんは、約束通り、ちゃんと伴奏者の責任を果たしたようで――あれから、放課後に寄り道に誘われることもなかった――二年四組は、落ち着いた様子で壇上に登っていた。
 やっぱり二年生は、一年生より迫力があるように聴こえて――志穂さんの伴奏も、わたしなんかよりもずっと、綺麗に明るい音を奏でていて。
 それを見て、わたしは胸の内で決意する。
 来年は堂々と、音楽室のピアノで練習してやるんだ。
 来年こそは、あの椅子に座ってやるんだ。
 幸い、誰かさんのせいで、わたしが実はピアノを弾けるってこと、クラス中に知れ渡ったし――あと少し頑張れば、きっとなんとかなるだろう。


-END-


prev/top
後日談
傘と胡椒 index



Copyright(c) 2010 senri agawa all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system