天の川に願う

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前編


「……あれ、人かな」
 白っぽい月が真っ黒な空に浮かぶ夜、ふらふらぼんやり砂浜を歩いていた。昼間は綺麗な青緑色をしたこの島の海も、こんな時間には闇色になって静かに揺れるだけで――だから、バシャバシャもがいて、浮いたり沈んだりしているその銀色の頭は、とても目立ったのだ。
 特に迷うことなく、おれは海の中に駆け入っていった。そして、それなりに深いところまで流されていたその銀色を掴んで、身体を引き寄せて、浜辺まで引っ張っていき、あっさり、その人物を助けてやる。
「――っげほっ! げほげほげほっ……ああ、死ぬかと思いました……アリガトウございます!」
 彼女は盛大に咳き込みながらも、甲高い声で礼をしてくる。別に、と手を振ってやるも、こっちを見上げる余裕もないようだ。顔は伏せたまま、肩口で切り揃えられた銀色の髪からは海の雫がぼたぼた落ちていく。
 それからしばらく胸を押さえて荒い息をし続け、一段落してから、彼女は上目遣いにチロリとおれを見た。
「はあっ……夜の海なんか行くもんじゃないですねえっ……あ、何か、お礼をしないとですね! 命のオンジンってやつですから!」
「いや、別に」
「アタシ、宇宙人ですから。たいていのオネガイなら叶えてあげられますよ〜」
 額にへばりついた前髪を撫でつけつつ、彼女は明るい声で言う。
 何と答えようか迷ううち、おれはふと首の辺りに違和感を覚えた。手をやると、ぬるっとした感触があり――ああ、さっきワカメが挟まったのか。
 仕方ないな、と首をがこっと外し、おれはワカメを取り除く。彼女が「ま」と声を上げる。
 彼女の様子に構わず首を戻し、そうするうちにふと思いつき――おれは我ながら淡々とした声で、こう口にしていた。
「じゃあ――おれを、人間にしてよ」

×  ×  ×  ×  ×

「ねえ、シロル」
「……何か用?」
 広くて陽のあたる部屋の中、彼女は椅子に座って背を向けたまま、気のない返事を冷たく放った。
「用っていうか……昨日の夜、そこの海岸で宇宙人に会ったんだ」
 めげずに話を続けるも、喉をついて出てくる声――下手をしたら彼女のものより冷淡に聞こえてしまうようなその響きに、自分でも苦笑いしたくなってしまう。
 彼女はそんなおれに、棘のついたような調子でぼそっと返すだけ。
「そんなの、この島ならどこにでもいるでしょう」
「まあ、そうだけど」
「……出ていってよ。あなたのその声、聞きたくないの」
 そんなこと言わずに、とか続けてやろうかとも思ったけれど、そんな言葉は、すぐ近くにある海の波音に消されてしまいそうで、口にすることもできなかった。
 彼女のふわふわした、珈琲色の髪の毛を見つめるだけ見つめてから、おれはのろりと部屋を出ていった。


「アンドロイドHA-04型、登録名『スイ』。三年前、まだこの型が量産ラインに入ってないところを、トール・ニスベット氏がかなーり無茶言って個人的に作らせたシロモノ……外見及び人格のモデルは日本人、スイ・ナナシマ。十歳の頃からこの島に来ていたものの、十六歳にて事故で死去……ちなみに、彼はニスベット氏の愛娘であるシロル・ニスベット嬢の恋人だったとか……ははあ、ナルホドですねえ〜」
「……あんた、何しに来たんだ?」
 屋敷から出てまた海に出向いてみると、そこには既に昨日の宇宙人が来ていて、おれを見るなりベラベラ喋り出した。
「アタシのパパは、アンドロイド製造班の研究者ですからねえ〜、この島のアンドロイドのジョウホウなら、いくらでも手に入れられるんですよ」
「訊いてないし」
 冷めた口調でおれは言うけど、宇宙人はにっこり微笑んだまま。昼の陽射しに、銀髪がうざったいくらいの光を帯びている。溜め息一つ、つきたくなった。
 そんなおれの様子に、宇宙人はまた能天気な言葉を浴びせてくる。
「HA-04といったら型遅れもいいトコですけど、ちゃんとニンゲンぽくなってるんですねえ〜」
「……なりきれてないから、困ってんだろ」
 穏やかな波にも飲まれるような小声で、おれは無愛想に返してやる。
 しかし宇宙人は、朗らかな様子を崩したりはせず、言うのだ。
「あ〜らら、アレですか、お嬢様が『やっぱりアンドロイドなんかじゃあの人の代わりにはならないわ!』とかってカンジですか? これだから地球人の金持ちはワガママなんですよねえ〜」
「うっさいな、人間になれないなら、もういいよ」
 いまいち苛立ちの乗らない、冷ややかな声で突き放してやってから、おれは宇宙人に背を向けた。
 ――大筋で、そんな感じだけどさ。
 細かい事情とか、色々あるのだ。第一、こんな奴にあれこれ言われる筋合いはない。
 なのにまだ、明るい声は追いかけてくる。
「まあ、そう言わずに。メンテナンスくらいならしてあげますから〜。あ、名乗り忘れてましたケド、アタシ、イサラっていいます。アンドロイドのコトならドンと来いですよ〜」


 半ば無理やり案内されたのは、宇宙人たちが来るまではなかったビル群の立ち並ぶ島の中心部、マンションの一室だった。海の近くにあるシロルの家がアラブの豪邸といった感じなら、このマンションはアメリカの金持ちが住む所、みたいなものだろう。まあ、この高層マンション、全住人が宇宙人らしいけれど。
「言ってみれば、地球侵略支部のお偉いサンの住処ですねえ〜」
「侵略とか言ってる連中に、のこのこでかい住処まで建てさせてんだな」
「まあ、侵略に関してはこの島の地球人サンも一枚噛んでますしねえ〜」
 物騒な話の割にのほほんとした雰囲気に呆れるような気持ちが湧いてきて、また溜め息なんかついてみる――つくづく、変な島だよなあと思う。
 この島に地球人そっくりの宇宙人が上陸したのは、二十年前とか、割と最近のことらしい。地球を乗っ取ることが目的の奴らは、この島を拠点として侵略の準備を進める。代わりに、この島の住人には侵略の恩恵を与えてやろう、みたいな約束をしたとか。怖くて断ることなんかできず、それにちっぽけな国の領土であるこの島が世界の主導権を握れるというのは悪い話でなく、ズルズルと宇宙人との関係を大国には秘密で続けているのだ。アメリカとかにバレてないのは、宇宙人の力で何とかしているからだとか。
 おれみたいなアンドロイドも、侵略計画の一環で作られているらしい。宇宙人の技術を駆使して、地球の材料で量産できる兵器にするために。
「でも、個人用にアンドロイド特注なんて、例外中の例外ですからねえ〜。しかも、特定人物の人格プログラムまでさせて……ニスベット氏も、相当な額をつぎ込んだとかで」
「娘と妻に甘いんだよ、あの人は。……まあ、今となっちゃ、アンドロイドなんか無駄どころかお荷物だけどな」
「ふぅーん……まあ、ちゃちゃっとメンテしちゃいましょう。そこのイスに座ってください」
 通されたイサラの部屋は、床一面、足の踏み場もないくらいのコードがのたうっていた。その隙間に、どうにか椅子や机が立っている状態だ。
 言われた通りに座ってやると、イサラは前置きなしにおれの頭を外した。
「えーと、ここはこのコードでいいですかねえ……」
「……あんた、本当に大丈夫なんだよな?」
「心配ご無用ですよ〜。アタシ、同世代の中ではユウトウセイですからね〜」
 のほほんとした様子に不安を覚えないでもなかったけれど、イサラは割とてきぱき、おれの頭やら首やらに端子を繋いでいき、パソコンをカチャカチャ動かしていった。
「う〜む? 人格プログラムの一部が破損してますねえ〜……まあ、これくらいなら大したことありませんか」
 聞くでもなく、ぽそぽそしたひとり言が聞こえてくる。
 ――大したことない、のか。
「ありゃりゃりゃ……思考を声帯に伝達する回路がぶっ壊れちゃってますねえ……ああ、それでアナタ、そんな素っ気ない声しか出せないんですか」
「……直んないの?」
「ちょおっと、部品が必要ですかねえ〜……とりあえず、今日のところはムリですねえ」
「そ、か」
 切り離された胴体に目をやりつつ(というか、そっちに顔の向きが固定されているのだ)、おれは感慨もない声で呟く。
 この声が直ったら、彼女は振り向いてくれるだろうか?
 ……そんなもんじゃない、か。
 今日はとりあえずこんな感じで、とイサラはとっととコードを外し始めて、ほどなくおれの頭を首に戻した。
「じゃあ、部品についてはまた後日ってコトで」
「別に、そこまでしなくていいよ」
 本当は、してほしくもあったけれど。直っても何も変わらなかったら嫌だな、と思い、おれは軽く遠慮を示した。
 しかしイサラは、あくまで能天気な声で言う。
「いえいえ、命のオンジンですからねえ〜、そのくらいはしないと、アタシの気が済みませんよ〜」
 へらへら笑うイサラの顔を見て、また溜め息を漏らしつつ。おれは、言わずにはいられなかった。
「……なあ、宇宙人の技術でも、おれって人間にはなれないの?」
「そんなになりたいんですかあ〜? まあ、ムリですけど」
「七月七日までに、人間にでもならないとさ……おれ、捨てられちゃうんだよね」

×  ×  ×  ×  ×

「私たちも、そろそろ終わりかしらねえ……」
「もうすぐなんでしょ? 旦那様がこの家を引き払うのも……再就職の手当てとか、あの人、してくれるのかしら……」
 無駄にでかいお屋敷には、それなりの使用人がいた。数年前より、人数はだいぶ減ったのだけれど。
「本当、あんな高い買い物した後で、事業に失敗して……」
「あのアンドロイドさえ買ってなければ、私たち、もうちょっと働いてられたのかしらねえ?」
 廊下を歩くと、家政婦たちの話が嫌でも聞こえてくる。通り過ぎる度纏わりついてくる視線なんかは肌に感じることもないけれど(まだまだ、アンドロイドには痛覚とかその他諸々の皮膚感覚は備わっていないのだ)、敵意に満ちた顔なんか見たくもなくて、目を伏せる。
 そこへ、反対側から足音が近づいてきた。頭に刻み込まれている、聞き違えようもない、シロルの足音。
「あ、シロル――」
「邪魔よ、どいて」
 彼女は、こっちを見ようともしない。そのまま、行き違ってしまう。
 どうしようもなくて、ついでにいい加減家政婦の話が耳触りで、おれはまたお屋敷を出ていった。


「財政困難なら、家政婦なんかとっとと追い出しちゃえばいいですよねえ〜」
「……奥様が、こんな広い家掃除したくないんだってさ」
 扉を開けると、図ったようにイサラが立っていた。ついに家まで押し掛けるなんて、図々しい奴だ。
「ありゃまあ、ワガママな奥様ですねえ〜。この母にして、この娘ありってカンジですか?」
「シロルのことを、悪く言うな」
 イサラの顔を見ないようにして、おれはずかずか歩いていった。
「あ、待ってくださいよお〜」
 甲高い声を無視し、家の前の道路沿いを進んでいき――行きつく所は、またも海。なんとなく、来てしまうのだ。
「好きですねえ、海。アタシも結構好きですけど」
「ほっとけ。……なあ、言ったろ。礼なら、旦那様がおれを売っ払って一家で国外逃亡する計画、秘密にしてくれるだけでいいって」
 宇宙人がこの島に来ていることは秘密で、当然ながら、その宇宙人の作ったものが島の外に持ち出されるのも禁止だった。
 そして、その禁を犯して、旦那様はおれというアンドロイドを他国に引き取ってもらい、その金で新たな生活を送ろうとしているのだ。
「まあ、型遅れでも、他国はノドから手が出るほど欲しがるでしょうしねえ〜」
「黙っててくれればいいんだ。宇宙人に知られたら、シロルがどんな目に遭うか――」
「そんなに大事なお嬢様なんですかあ〜?」
 答える気にもなれず、おれは砂浜を蹴った。
 ――大事なんだよ。
「だってねえ〜、お金は必要なんでしょうけど、ワガママ言って作ってもらった恋人型のアンドロイドでしょ?」
「黙ってろ」
「お家のためでも、カンタンに手放せるなんて……身勝手にも程があるでしょ〜」
「黙れって言ってんだろ」
「アナタも、大人しく売られちゃわないで、ウチの研究室にでも来たらどうですかあ〜? 古い型だと、皆逆に面白がってくれますよお〜」
「知るか」
「絶対、そっちの方が楽しいですって。勝手なお嬢様のためにジブンを投げ出すより――」
 最後までは、言わせてやらなかった。
 おれは結構な力を込めてイサラを突き飛ばした。呑気な面が、驚きの色を見せて――瞬間、その身体は水飛沫を立てて海の中へ落ちた。
「っきゃあっ! もお、何するんですかあ〜っ……」
 どこか能天気さの抜けない抗議の声を聞き流し、一瞥だけくれてやってから、おれは海をも立ち去っていった。


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