天の川に願う

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後編


「ついてこないでって言ってるでしょう」
「でも……」
 散歩に出るシロルの背を追い、おれはまたしても海に来ていた。
 シロルにとっても、海は『スイ』との大事な場所なのだ。
「……帰って」
「なあ、シロル、話を聞いて」
「いいわ。あなたはずっとそこにいなさい。私が帰るから」
「シロル――」
 シロルは、踵を返して行ってしまう。
 伝えることも、できない。
 陽に透ける髪を見送っていくだけ。波の音を聞くだけ。その静かな音色に――おれは、組み込まれた『スイ』の記憶を呼び起こされる。
 浜辺に座りこんで、『スイ』は海の向こうの国について優しく語る。隣で、シロルはうっとりと耳を傾ける。あの国の海は、こことはだいぶ違う色をしていて、でも自分はこの島の海の方が好きで――何より、隣にいる君のことが好きで――
 次に浮かび上がってくるのは、おれ自身の記憶。
 初めてシロルと来た砂浜で、『スイ』の記憶を手繰り寄せて、彼女の好きそうな貝殻を探して。見つからなかったけれど、彼女は笑ってくれて、おれも柔らかい声で笑えて、二人でずっと夕日を眺めたりして――……
 シロルの笑顔が、もう随分遠いもののように感じられる。
 彼女があんな風に笑ってくれなくなったのは、あの事故の日から――いや、どうだったろう?
「やあっぱり、ワガママなお嬢様ですよねえ〜」
「……何の用だよ」
 人の思考を遮るように、またイサラがやって来た。こいつも大概、暇なものだ。
「いえね、イチオウ報告を、と。アナタの声帯の部品、探してみたんですけどねえ……なにせアナタ、型遅れですから。部品、見つからないんですよ」
「直んない、のか」
「地球に来てからも、技術っていうのは日進月歩でしてねえ〜……部品も、古いタイプは次々廃れていくワケです」
「……そ、か」
 淡々とした声で、漏らす。
 もう、気持ちを声に出すこともできない、のか。
「ザンネン、ですかあ?」
「……別に。もう、黙っててくれるだけで十分だ」
「ホントに?」
 答える気にもなれない。
 しばらく、波の打ち寄せる音だけが流れる。
「でも、何でアナタ、そんな、ちょっとだけ壊れちゃったんですかあ?」
 イサラが、とりあえず場を繋ごう、という感じで話し掛けてくる。
 こいつに教えてやることもないけれど、何となく拒絶する気も起きなくて、素気無い調子で、おれは答えてやる。
「一年くらい前に、事故で……ちょっとばかし、ダンプに跳ねられてな」
「うへあ。ちょっとっていうか、大惨事じゃないですかあ……まあ、それで大した破損じゃないのは、さすが我らがテクノロジー! ってトコですけど」
「……大した破損、なんだよ」
「へ?」
 思えば、シロルの様子はその少し前からおかしくて、事故に遭ってから――声が冷たくなってから――決定的に、おれへの態度が変わった。
「ああ〜……アナタ、声にニンゲン味がなくなってますもんねえ……ついでに、人格プログラムもちょっとだけ破損してますし。それで、お嬢様が愛想尽かしちゃったワケですか」
「……うっさいな」
「そんでもって、変な声にジブンでも戸惑って、それがまた人格に影響を及ぼし――ああ、アタシたちの技術も罪ですねえ、ここまでニンゲン的にすることもなかったのに」
「……もっと人間的じゃなきゃ、駄目なんだよ」
 人間じゃないと。
 『スイ』じゃないと、意味がない。
「捨てられちゃっても、シカタナイ?」
「そうだよ。でも……何も、七月七日にすること、ないよなあ……」
 溜め息混じりなのに冷淡なおれの声に、イサラは不思議そうな顔をする。
 なんだか、ひどく感傷的な気分だった。海を見て色々思い出したせいだろうか。こいつ相手でもいいから、話したくなってきた。
「七月七日ってさ――『スイ』の、誕生日なんだよな」
「あれまあ〜……」
「で、さ。『スイ』の生まれた国では、七月七日って『七夕』とかいうんだって」
「タナバタ? ああ〜、この前聞きましたよ、なんか、笹の葉にネガイゴトを託すとかなんとか!」
 よく知ってるな、宇宙人のくせに、と思いつつ、おれは先を話す。波の音に、遠く離れた『故郷』を手繰りながら。
「そう。それと――織姫と彦星の話」
「オリヒメ? ヒコボシ?」
「なんか、二人はすごく愛し合ってたんだけど、そのせいで二人とも四六時中ひっついて、ろくに仕事もしなくなってさ。それで怒った神様に、一年に一度しか会えなくされたんだって」
「わあお、それはまたカコクですねえ〜……でも、一年に一度しかお互いに会えないんなら、浮気とかしちゃうんじゃないですかあ?」
 イサラのその言葉に、思わず苦笑いする。『スイ』の記憶の中に、この話を聞いて同じことを言った奴(おれ自身は、一度も会ったことがないけれど)がいたのだ。
「しないんだよ。お互いに、別の相手を好きになるなんてこと、考えもつかない。純愛? プラトニック? とにかく、そんな感じなんだよ」
 その姿に――織姫に、シロルが重なる。
 シロルにとっては、『スイ』だけが全てで。彼が死んでも、諦めきれなくて。なんとか、彼と全く同じものを手に入れようとして。それさえも、一片でも『スイ』が欠けていたら、いらないと捨ててしまえて。
「……それ、純愛とか言うんですかねえ?」
 珍しく、能天気さの抜けた声が返ってきた。
 何だかムッとして、おれはつっけんどんに答える。
「何でだよ。だって、そうだろ。年に一度しか会えないのに、誰にも気持ちが移らないで――」
 二度と会えなくても、誰にも、そっくりな奴にも、なびいたりしなくて。
「誰にも気持ちが移らない、じゃなくて、単に周りを見てないだけじゃないんですか? 年に一度会える日だけが、ホントウの時間だとか思いこんで。周りの人間なんか、最初から『いかに自分の好きな人が素晴らしいか』ヒカクする対象でしかなくて。他人の良い所なんか見ようともしないで、好意に気付きもしないで。それって、すごくツマラナイことじゃないんですか?」
 へらへらしていない、強い調子だった。
 なんだよこいつ、なんでいきなりこんな。
「ああ、スミマセンねえ、ちょっと、アタシの周りと重なるっていうか」
「周り?」
 聞き返すと、イサラはさっきのおれのように苦笑して、答える。
「ハイ。ほらアタシたち、地球侵略とか目論んでるワケじゃないですか。でも……アタシはいまいち、乗り気じゃないんですよ。皆、『この星を自分たちの星と同じにしなきゃいけない』『自分たちの星の方が素晴らしい』って、それだけを妄信して――今いる状況の良い所なんて、見やしないんですよ」
 今いる状況の――良い所?
「アタシは生憎と、この星育ちですから。あっちの星の方がどうとか、ワカラナイわけです。っていうか、この島の、この明るい色の海とか――好き、なんですねえ」
「侵略するくせに、何言ってんだよ」
「まあ、たぶん、まだまだ先の話でしょうからねえ、侵略なんて。だから、好きになっても、いいと思うんです。っていうか、思わない方がオカシイです」
 ――周りに目を向けるとか。
 ――思わない方がおかしいとか。
「まあ、つまりですねえ、アタシからすれば、オリヒメさんもヒコボシさんも、浮気しちゃえばいいんですよ」
「……周り見たって、やっぱり相手が一番かもしれないだろ」
「まあ、そうかもしれませんけどねえ」
 なんだか妙な雰囲気のまま、おれたちは海を眺めていた。
 もしかしたら、イサラの星の海より綺麗かもしれない、この海を。

×  ×  ×  ×  ×

 あれこれまごついているうちに、七月になってしまった。
 それからも、おれはシロルに、せめてちゃんと話をしたくて声を掛けていたけれど、彼女は聞く耳なんか持ってくれなかった。
「『スイ』は、もっと優しい声だったのに」
 ――おれだって好きでこんな風になったんじゃない、なんて、言えなかった。
 彼女が必要としているのは、声も全部完璧な『スイ』だけで。それを思い知らされて、記憶の中の『スイ』と今の自分の違いに打ちのめされて。冷めた声すら、出てこないのだ。
「……現状の、良い所を探すとか」
 乾いた笑いは、この素っ気ない声色には殊のほかよく似合っていた。


 シロルが、また海へと歩いていった。おれも、黙ってついていく。
 砂浜に着くと、彼女は突然座り込んで――何かを、拾い上げた。
「あ、それ……」
 『スイ』と見つけたのと同じ、綺麗で大きな貝殻。
 海風が吹いて、彼女の髪の毛はやわらかく舞い、その顔を隠して――
「ねえ。どうして、『スイ』じゃないのに私の傍にいるの」
「え……」
 波の音も引っ込むようだった。
 心臓を掴まれるような(持っていないけど)、ぞっとするくらい冷たい、でも不思議と美しく響く声。
「そんな、何の感情もこもってない声で、私にいつも話し掛けて。ねえ、どうして? いらないのに」
「――っ」
「おかしいなって、思ってたの――あなたの見た目が、全然変わらないって気付いた時から。それでも気にしないふりしていたら、あなたはそんな冷たい声しか出せなくなって。性格も、少し違ってきて。『スイ』のはずだったのに。『スイ』と同じだったのに。ねえ、あなたはどうして、『スイ』と違うの?」
 シロルは、貝殻を見つめたまま話す。
 おれの方なんか、見もしないで。
「……そうよね、あなた、ただの機械だものね。だから、見た目なんか変わるはずもないし、私に対する態度だって、全部プログラミングされたもので――」
「シロル、おれは」
「全部、プログラムされてるから、私に付きまとうんでしょう! やめてよ、そんなのっ……『スイ』でもないのに!」
「シロルっ……」
「いらないのっ! 『スイ』じゃないなら――私と同じ人間じゃないあなたなんか、いらないのよ!」
「っ……」
「アンドロイドなんか、欲しがるんじゃなかったっ……『スイ』と同じ顔で、なのにこんなに気持ち悪い声しか出せなくなって、しかも、いつまでも同じ姿でついてきて! ……ねえ、プログラムされた感情で私のこと好きだって思ってるんでしょう? だったら、もう、私の前から消えて――」

「そりゃあ、プログラムでもされてなきゃ、アナタみたいなの、好きになるワケないじゃないですか」

 背後から、能天気だけどもひどく冷たい声がして、はじめて気付いた。
「イサラ……」
「って言いたいところですけどねえ、宇宙人の技術、舐めないでください」
「何っ……なんなのよ、あなたっ……」
 いつからそこにいたのか、イサラは、奴にしては珍しく不機嫌もあらわな表情で立っていた。銀の髪が、鈍く光る。
「もうね、アナタたち、見てられないんです。ねえ、アナタ、そこのスイくんがアナタにフラれる度に、ここに来て落ち込んでるの、わかってるんですか?」
「な、何よっ……」
「まあそりゃあね、『スイ』の記憶を基にしてはいますけど――アナタのこと考えて、あれこれ思い悩んだりしてるのは、紛れもなくそこにいるスイくんなんですよ。アタシたちの手にかかれば、人間並みに色々考えるアンドロイドなんてねえ、おちゃのこサイサイってヤツなんです」
「それが、何だって」
「スイくんはね、自分で考えて悩んで――自分の心で、アナタのこと、思ってるんです。それなのに、アナタ、何なんですか。『スイ』『スイ』って、いもしない人間に縛られて、他人の好意に目も向けないで」
「っおい、イサラ、もういいから――」
 これ以上、言わないでくれ。
 おれのことなんか、もう、いいから――
「アナタの『スイ』はね、もう、いないんですよ? いい加減、目ぇ覚ましたらどうですか?」
「……っ」
 シロルが、目を見開く。
 やめてくれ、もう――
「死んだニンゲンと人を比べるの、もう、やめたらどうですか? ……全く、理解に苦しみますねえ。スイくんはスイくんで、こんな身勝手な女のどこが好き――」
 最後までは、言わせてやらなかった。
 おれは、イサラの横っ面を、手加減なしで引っ叩いていた。
 それから喉をついて出るのは、どうしたって冷淡な声。
「イサラ。シロルを、馬鹿にするな」
 イサラと、それからシロルの目が大きく見開かれる。
 それからイサラはいつかのおれみたいな溜め息をつき、シロルは――ぼたぼた、涙をこぼし始めた。
「あーもう、愛されてますよ、本当に」
「っ知らないっ……そんなの、知らないっ……」
 子供みたいに泣きじゃくるシロルに、おれは近づいていく。
 どうしたって冷たい声しか出ないけれど。今しか、伝えられないだろう。
「シロル」
「知らないっ……」
「聞いてくれないかな」
「知らないっ……」
「好きなんだ」
「知らないっ……」
「自信あるよ、たぶん『スイ』よりずっと、シロルのこと、好きだ」
 相変わらずのこんな声で、でも、できる限り優しくしたつもり。
 やっと、言ってやったんだ。
 自分の言葉で。
 シロルはぼろぼろ大粒の涙を流して、しゃくりあげながら、「知らない知らない」と繰り返す。
「知らないっ……『スイ』は、女の子叩いたりしないものっ……」
「シロル」
「知らないっ……」
 イサラの方を向いてみる。彼女は、肩をすくめてみせた。
 おれも、苦笑して――
 ああ、やっぱりおれじゃあ駄目か、と溜め息をついた。

×  ×  ×  ×  ×

「それで、彼女のためにやっぱり売られちゃおうってんですから……アナタも大概、ケナゲですよねえ」
「シロルのためっていうかさ。結局、こうなるしかなかったんだよな」
 七月七日、の午前零時。
 こんな時間に、おれとイサラは海に来ていた。示し合わせたわけでもないのに、同じ時間にばったりと。
「シロルがおれに振り向いてくれたとしても、シロルの家が危ないのは変わらないわけだし。おれが売られるのは、変わらないんだよ」
「でも、アタシが他の宇宙人にバラしたら、売られるのは阻止されるわけでしょう? それをさせないってことは」
「……まあ、やっぱり、シロルにはひどい目に遭ってほしくないんだよな」
「あーもう、ホント、馬鹿ですよ……」
 昼間は鮮やかな海も、こんな時間じゃどこまでも黒い。
 波音だけが、やけに優しく聞こえる。
「あーあ、売り飛ばされたら、絶対、ひどいコトされちゃいますよお〜。バラッバラにされて、ブレインだけ大事に保管されて、その他の部品とかは別の安っぽい地球人製の機械に組み込まれたりするんですよお〜」
「いいよ、もう、別に」
 夜の海はどこまでも闇色に染まっていて――もしかしたら、この島の先に他の国なんかないんじゃないだろうか、と思ったりする。
「結局、お嬢様には、『スイ』しかいないわけですかねえ……」
「そういうもんだったってことだろ。周りなんか、比較の対象にもならないくらい大きな存在の、『大事な人』――浮気なんか、できっこないんだよ」
「そういうもん、ですかねえ……」
「そういうことも、あるんだよ」
 たぶん、おれにとってのシロルがそうであるように。
 海は底なんか見通せないくらい深くて、どこまでも暗闇を抱え込んでいるようだった。
「まあ、でも……さすがにお嬢様も、アナタのこと、考えるようにはなったでしょうねえ? アタシも色々言っちゃいましたし。一生モンの傷跡、残してやりましたか」
「どうだろな。でも――」
 一生モンの傷跡なんかじゃなくて――と言いかけて、おれはやめた。
「どうしたんですかあ?」
「……生まれ変わって、ちゃんとした『スイ』になりたいなって、思ったんだけどさ。考えてみりゃ、アンドロイドに生まれ変わりも何もないんだよな」
 海から空に視線を移すと、そこには無数の星が煌めいていた。
 天の川を渡って、年に一度の日を迎える織姫と彦星――こんなに星が出ていたら、会えやしないんじゃないだろうか。
「――じゃあ、オネガイしてあげますよ」
「え?」
 静かな夜、誰もいない海に、明るい声が響く。
「アタシの星の技術だと、アナタをニンゲンにできませんけど――もしかしたら、どっかの星に、そういうコトができちゃう知的生命体がいるかもしれません。だから、そんな星の人が、アナタのオネガイ、聞き届けてくれるように。笹の葉に短冊でも吊るして、オネガイしてあげます」
 海と同じく真っ黒な空は、海と違って大小無数の光を抱え込んでいて――この星のどれかは、おれをシロルの『大事な人』にしてくれるのだろうか?
 何だか、笑いたい気分になった。やはり冷淡な声しか出ないけれど、気持ちだけは優しく、おれはイサラを見つめた。
「じゃあ、よろしく、頼む」
「――ハイっ! これで、貸し借りなしです!」
「シロルの家のことも、秘密にな」
「あーハイハイ、わかってますよお〜」
 そうして、明るい声と冷たい声を響かせあって、笑いあって。どちらの声も、空か海かが吸い込んでくれて、辺りには静寂が満ちた。聞こえてくるのは、波の音だけ。
「じゃあ、サヨナラですね」
「ああ。じゃあな――」


 ――たぶん、もう二度と会えないだろうけれど。
 このたくさんの星のどれかが願いを叶えてくれたなら、もしかしたらまた会うこともあるかもしれない。
 だから、とりあえず待っていよう。
 海の向こうにたどり着いても、同じ夜空を見上げて。


-END-


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