幸せになれない星の住人 プロローグ

幸せになれない星の住人

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プロローグ


 気味の悪い真似なのは重々承知だ、と一応ひとりごちておく。
 昼下がり、ぽつぽつと人の座る電車内に、CMでよく耳にする歌が鳴り響いた。がさついた音質で、聞き慣れたサビが高音さなかまで流され、唐突に消える。それから「もしもし」と、どこか乱暴な男性の声が続いた。
「あ? 今? 電車ん中だって」
 ドア近く、優先席の真隣で平然となされる通話。私の横に座る大きな鞄を抱えた女性が、声のする方を見てぐっと眉根を寄せた。他の乗客をうかがってみると、女性のように顔をしかめる人、素知らぬ顔で携帯をいじくる人、顔を下げ眠る人、なるほど反応は様々だ。
 そんな彼らもどこ吹く風、男性はかったるそうに、しかしながらタタンタタンと揺れる電車に負けじと声を張り上げる。
「あー? あと十五分くらい。仕方ねーだろ……ああ、ああ、あの白いオブジェな、わかってるって」
 青空の下のんびりと広がる景色を流しながら、普通電車は走っていく。まもなく、酒に酔ったような節回しで次の駅名がうたいあげられた。ガタンと一度だけ、車体が落ち込むように揺れる。乗客の体も合わせて揺すられる。
 そして私は。
 想像するのだ。
 おそらく現在、周囲をはばからず電話をするこの男性は、誰かと待ち合わせをしているのだろう。あと十五分で着く駅といえば、近くに大きなアウトレットモールがある。恋人と買い物でもするのだろうか。
 しかし。会話から察するに、相手は約束の時間より長く待たされているようだ。男性は悪びれる様子もない。遅れてやってきた彼に、恋人は頬を膨らませ怒るだろうか。怒りながらも、気分を変えてショッピングを楽しむのだろうか。
 もしくは、彼を許さないだろうか。
 例えばこのようなことは何回もあって、なおも反省の色を見せない彼に彼女は限界を迎えていたとする。彼が着いた瞬間に怒鳴り散らし、買い物中もずっと無愛想。それに気を曲げた彼が逆切れなどしてみせて、二人の関係は完全にこじれる。別れてしまう二人。
 傍若無人な彼は、優しい彼女を失う。そうなった後に、また新しく辛抱強い彼女を見つけるのだろうか。
 もしも見つけられなかったら?
 彼を愛してくれる女性は今後一切現れず、どれだけ彼自身が熱を注いだとて誰も応えてくれない。そうして生涯孤独に過ごすのだとしたら。別に恋人がいなくても、結婚などしなくても、生きてはいけるさ。そう開き直っていくとして。
 仕事に生きがいを求めようとして頑張ってみるも、なにひとつやりがいを感じられなかったら。収入を得るためなんだと歯を食いしばる日々が延々続いたら。自分がどれだけ頑張っても他の人間に足を引っ張られ、ずっと成功できなかったら。それどころか「いつまでたっても使えない」と上司に散々怒鳴られ、職場を後にするはめになったら。
 趣味に喜びを見出そうとして、夢中になれるものがなにひとつ見当たらなかったら。好きなものがあったとして、途中でたいして熱中できないと気づいてしまったら。自己満足すらままならなかったら。自分より格上の人間を目の当たりにし、へそを曲げてしまったら。
 一生付き合える友人を大切にしようとするも、すれ違いを繰り返しわだかまりばかりが募ってしまったら。もしくは年々疎遠になっていき、気づけば周りに誰ひとりとして残っていなかったら。誰も自分のことを本当には理解してくれなかったら。理解してほしいと心を開ける相手がいなかったら。
 なにも見つけられなかったら。
 その時彼は、どうするのだろうか。

 およそ十五分後。
 電車はゆるやかに減速し、真新しい駅のホームに滑り込んでいった。プシューとドアが開くのを待ち、のしのしと、大股で車外へと繰り出していく男性。
 すべては勝手な妄想だ。
 けれどその背中に、私は問いかける。
 あなたがもし幸せになれない星の住人だったとしたら、どうしますか? と。


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