幸せになれない星の住人 11−2

幸せになれない星の住人

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11−2


 よくわからないので、とりあえず黒猫の新しい画像でも見せて、宵見を笑わせてやろうと思った。しかしこんな日に限って携帯を家の机の上にでも置き忘れてしまったらしい、ポケットや鞄を探しても見つからなかった。
「くっそ、せっかく昨日撮ったやつがあったのに」
「わざわざ? ……サツキくんは、変だね」
「なんだよ」
 少しばかり心外な言い草だった。しかし、宵見はいつの間にか微笑んでいる。それならそれで、よしとすることにした。絵をまじまじ観ていた気恥ずかしさ、あの夢の気まずさ、会った時に感じていたそれらは心に確かに残っているが、ロープつきで外に放ったように、いくらかは離れられたような気分だった。
 二人で玄関に立ち、靴を履き替える。そのまま一緒に帰る流れになった。宵見と下校するのはこれが二度目か。
「あの子、最近見てないなあ。少し探してるのに」
「元気に育ってるみたいだよ。結構でかくなってる」
「そうなんだ。会いたいなあ……」
 徐々に下がっていくような声のトーンで宵見は呟く。そういえば前に一緒に下校した時も、宵見はこんな調子だったような気がする。元気がない時に限って出会うのが俺だなんて、宵見も運が悪いよな、と自虐的に思った。
「あの子と波長が合ってるんだなって、勝手に思ってたんだけどそうでもないのかな? なんだかね、飼ってもいないのに飼い主気分なんだ。おかしいよね」
「宵見は、猫好きだな」
「うん。ずっと、飼いたいって思ってた」
 暗くなった道、自分のつま先を見つめながら宵見はやわらかく語る。あの黒猫に思いを馳せるように優しげに。そして、その声に切なげな響きが混じっているのもよくわかった。
 固い声ばかり向けられていたのが、今日はずいぶん無防備だ。
 まるで、こっちが「猫殺し」だと忘れてしまっているような。
 俺は、宵見にかける言葉が上手く見つからない。俺に何を言えるのか、何を言ってはいけないのか、宵見は何を言ってほしいのか。どれも曖昧すぎて、口を開くのがためらわれてしまう。
 ゆるやかに、ぽつぽつと言葉を投げ合うのが続く。そうするうち商店街に入って、宵見が顔を上げた。
「そういえば、もうこの道を通るのもあと少しなんだね」
「ああ、そうだよな。もう卒業か」
「どこの大学行くのにせよ……サツキくんは、進路は?」
 こちらを見ないまま、宵見は質問する。それはわざわざ視線を送らずとも言葉は返ってくるのだという、ある種の信頼のように見えて、俺は少し胸のあたりがくすぐったくなった。
「適当な馬鹿大学。たいして勉強好きでもないしな。親は入りゃどこでもいいって感じだし」
「そうなんだ。城原家は放任主義?」
「だな。特に父親なんかひどい仕事人間で、こっちが何しようとお構いなし」
 街明かりに気分がぼんやり浮かぶようだった。俺は、普段つるんでいる連中に言わないようなことを、宵見に向かって口にしていた。宵見にかける言葉には戸惑うのに、自分のことを話すのは何でか簡単だった。
 父さんは仕事人間。家にはいつかず、話もしない。それは再婚前からずっとそうで、だから、「どうして仕事人間になったのか」、その理由を俺は全く知らない。
「仕事が生きがいとか、そういう人なのかな」
「知らん。どんな仕事やってんのかもそういや知らねーしな」
「お父さんの仕事かあ、私もあんまり知らないな」
「どこの家もそんなもんなのかね」
 うそぶいてはみたが、自分の家が他の家と同じような感じだとは、とてもじゃないが思えない。うちはおかしい。きっと、家族の誰もかれもが。
 宵見の家はどんな場所なのだろう。こいつは、どんな家庭で育ったのか。訊いてみたい誘惑に駆られたが、やはり口が上手く動きそうになかった。
 と、その時、ぼんやりと宵見が呟いた。
「あ、神社」
「ああ、あそこの……」
 商店街の中、学校とJR駅の中間地点あたりに、赤い鳥居がそびえたっている。そこそこ流行ってはいるらしい、中途半端な大きさの神社。
「お参りするのって別の神社だから、そういえば、ここに入ったことってないな」
「俺もだ。毎回目には入るけど、用事もないから行かないんだよな」
「ねえ……ちょっと、行ってみよっか」
「は?」
 いきなりどんな提案だよ、と口にしようとしたが、それとは逆に足は止まっていた。
 商店のライトに照らされた宵見の顔、その瞳が悪戯っぽく揺れる。こいつはこいつで、街明かりに浮かされているのだろうか。
「もうすぐ卒業だし。このままずっと入らないままって、きっともったいない」
 俺も一緒でいいのかよ。思ったが、口ごもる。代わりに別の、水を差すようなことを心も込めずに言う。
「何のイベントもない日の夜に行ったって、つまんないんじゃねーの」
 宵見が軽く、苦笑した。そしてそのまま、俺達は色褪せてくすんだ赤い鳥居をくぐっていった。
 境内は点々とライトがつき、客を誘うようだった。砂利道を歩いていると羽虫がたかってきて、俺も宵見も手をばたつかせて追い払う。少し行くと、正面に本堂? らしきものが見えてきた。
 賽銭箱と、でかい鈴。間近に行くと、本堂の中が見渡せた。あたたかみの強い照明の中に浮かび上がる、祭壇。神社の大きさのわりにずいぶんと、きんぴかで立派に見えるそれは、真新しさよりも厳かな静けさをたたえていた。
「せっかくだから、お参りしてみよっか?」
 中に見入っていると、隣の宵見が首を曲げた。「せっかくだから」、それはなんだか今日限定の免罪符のような言葉だったが、しかし、俺は首を振った。
「やめとくよ。考えてみれば俺、神様に合わせる顔がない」
「そんな」
 宵見は口をつぐんだ。俺は神社の奥に視線をぬいつけ、その顔を見ないようにする。だってきっと、宵見は思い出したのだ。あいつの中での、俺の悪行を。
 俺は。
 猫殺しは誤解だ。猫は、殺したことがない。殴ったことも蹴ったことも、一度もない。しかし、手引きはした。犬を絞めた。金魚を踏み潰した。
 具体的に何をしたかとかそれ以上に。
 俺は、頭がおかしいのだ。
「お祈りなんかしたら、罰あたりなんじゃねーの? よくわからんけど」
「それは……どうなのか、わからないけど」
 だからもう帰ろう。ここの神様に俺の存在を勘付かれる前に、とっとと逃げようぜ。
 そんな風に冗談めかして神社に背を向けようとした。
 なのに。
「――サツキくんなら、大丈夫じゃない?」
 唐突に宵見がそんなことを言うから、体の向きを変えそこなってしまった。宵見は深い瞳を、ただ俺に向けている。
 どうして、とか、どういう意味だ、とか、いくらでも疑問は浮かんだ。大丈夫って、何がだ。しかし、ふざけているようには見えない。宵見はどこか、優しく微笑んでいる。
 もしかして宵見は。
 心に引っかかるものを感じたが、面と向かって訊ねることはためらわれた。
「ほら、お祈りしよう」
 そうして俺たちはそれぞれ五円を入れて、がらがらと鈴を鳴らした。
 直前まで祈る資格もないと強がっていた俺は、手を合わせ、目をつぶる中でこんなことを思っていた。
 ――父さんは。仕事人間で家に寄りつかない。だから、父さんのことはよく知らない。想像するしかなかった。
 その想像の中の一つ。それは、もしかしたら、父さんが俺と同じなのではないかというものだった。
 俺は、自分がおかしくなったことについて、育ってきた環境的には何の心当たりもなかった。虐待されたわけでもない、いじめに遭ったわけでもない。周りは、何もおかしくない。自分は突然変異の、化物なのか? いや――もしかして、遺伝か? そんな風に考えたことがあった。
 遺伝だとしたら。父さんは俺のようにおぞましい暴力衝動を抱えていて、それを押さえつけるために仕事を選んだのではないか。禁欲。そのために他のことは全て捨てたのではないか。
 そして。希望的観測だが――そうして仕事に打ち込むうちに、もしかして、衝動のことなど忘れてしまったのではないか?
 確かめる時間は与えられなかった。それに、仮にそんな暇があったとして、俺は怖くて訊けやしなかっただろう。だけど、もし。
 何かに打ち込むことができたなら、大人になるまでにそういうものが見つかれば、大人になれば。
 まともになれるのではないか?
 もしそうならば。誰かを傷つける前に大人になりたい。衝動を抑えるために読んだ本の中で、頭のおかしい殺人鬼と自分の姿が重なって恐ろしくなった。殴りたい、だけど、それで誰かが悲しむのはわかるんだ。俺はそれには耐えられないんだ。好きなものが傷つく姿に快感なんか覚えるけれど、それと同時にどうしようもない罪悪感を覚える。できるなら、誰も傷つけずにいたいんだ。
 俺は、まともになりたい。
「――お互い、ずいぶん長いことお願いしてたね」
 顔を上げるのを見計らったように、宵見の声がした。ほんのりと、控え目に笑みを浮かべる宵見。俺はすっかり呆けてしまったように、その姿を見つめていた。時間が止まったようだった。
 止まった時計を動かすように、くるりと宵見は方向転換、セーラー服のスカートと短い髪が揺れる。
「それじゃ、行こっか」
「――ああ」
 そうして俺たちは神社を後にした。
 お互い、何を願ったかは訊かなかった。


 家に帰ってドアを開けると玄関に黒猫の死体が置いてあった。


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