幸せになれない星の住人 14−3

幸せになれない星の住人

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14−3


 いつの間に? 間抜けにそう思った。思ううちに包丁は何度も俺の腹に突き立てられていた。
 がくりと膝を折った。そのまま床にうつぶせに倒れ込む。腹のあたりが熱いような気がしたが感覚がよくわからない。痛みを感じるわけではないのにただ体が動かない。
 体の中から何かが漏れ出ているのがかろうじてわかった。
 それが尽きたらどうなる? 頭は妙に冷静なくせにわからない。
 倒れた俺を見下ろしてからつつじはくるりと背を向けた。どこへ行く気だ? 声が出ない。
 頭が回るのに呆けている。そんな変な感じがする。
 つつじ。
 ぐるぐると脳が情報をかき混ぜる。頭の中が渦を巻く。その渦から色々なものがこぼれ落ちる。
 過去の記憶。
 絞めた犬。殴られる美人女優。踏みつけた金魚。
 読んだ本。
 殺人を犯した人間についての本。幼い頃から動物を殺した。幼い頃から虐待を受けていた――
 ああ。
 いつか自分がこうなるんじゃないかって心配していた。
 だけど。心配すべきは俺だけじゃなくて。
 つつじ。
 動物虐待はシリアルキラーの萌芽。
 つつじはシリアルキラーの卵?
 どこへ行くんだよつつじ。
 待てよ。そっちへ行ったら駄目だ。
「つつ……じ……」
 感覚のわからない体を無理矢理に動かした。芋虫のように床を這う。這ってつつじの足首をつかむ。ああ。俺の手は真っ赤じゃないか。
 もう顔を上げることはかなわない。つつじがどんな顔をしているか見ることができない。
 その間にも腹から何かが漏れ出す。
 つつじ。つつじ。
 ごめんな。殴ったりして。
 言い訳に聞こえるかもしれないけれどこんなことしたくなかった。つつじを酷い目になんて遭わせたくなかった。
 始めて会った時とても綺麗な子だと思ったんだ。
 自分のためだった。お前のためだなんて言えない。だけど。俺は。お前の望みを。できるだけ叶えてあげたいと思ったんだよ。
 だけど。
 駄目なんだよ。このままじゃ幸せになんてなれない。
 どうして誰も教えてやらなかったんだろう。どうして誰も教えてやれなかったんだろう。
 間違ってるんだよ。
 ――神様。
 俺はまともになりたかった。だけど駄目だった。
 だからせめてどこから間違っていたのか教えてください。つつじにも教えますから。
 ちゃんとわかれば次は頑張れますから。

 意識がどこかに沈んでいく。足首を握った手に感覚がない。しだいに何も見えなくなっていく。
 ああ。
 ああ。
 このまま眠ったらどうなるのだろう。わからない。わからない。
 ああ――
 台所の窓から夕陽が射しこんでいた。
 夕焼け。いつか見た。
「……えそら」
 顔が浮かんだ。
 絵空。
 去年絵空が描いた絵を俺は見た。あれと同じ空を見た。同じ場所から同じように見たんだと思った。きっとこれを描いたのは普通の人間なのに。
 迷っていた。わからなくなっていた。足を半分以上踏み外していた。だけどあの絵を見ていたら自分もまともになれるんじゃないかと強く思えたんだ。
 過ちを犯し続ける中でそれにどれだけ救われたか。
 絵空は言ってくれた。俺なら大丈夫だと。
 絵空。
 謝りたい。約束守れなくてごめん。
 それから伝えたい。あの絵と同じ空を俺は見たんだって。
 ずっと気になっていたんだ。あの絵を描いた絵空という人が。
 変だけどいい名前だと思った。
 ずっとそう呼びたかった。
 絵空。
 絵空。
 ああ。
 絵空に会いたい。
 会って絵空の描く絵が好きだと言いたい。


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