幸せになれない星の住人 15−2

幸せになれない星の住人

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15−2


 かける言葉も思いつかない自分が嫌になった。
 従妹の絵空ちゃんとは、彼女が中学三年の時以来しばしばメールをしていた。彼女は自分の近況をちょこちょこと打ち明けたり、とりとめのない質問をしてきたり、小説家志願の僕のためにとネタになりそうなことを報告してくれたりしていた。
 その中で、彼女の幼馴染みへの羨望には気づいていた。彼女もある程度は自覚的だったんじゃないかと思う。
 そして、そのことについて僕は何も言えない。
 だって、その気持ちは痛い程にわかっていて、同時にわかっていなくもあるから。
 人柄良く、人望があり、才能に溢れる、そんな人物に対する渦巻く感情というものを、僕はよく知っている。嫉妬に潰されぬよう自分を律するみじめさ。全部、この身で体験した。そして、彼の不幸を願ったことがないかと言われれば、嘘になる。
 しかし、彼女は僕とは違う人間なのだ。彼女の抱えるものを知ったかぶりすることなど、僕には許されない。例え彼女がそれを許し、むしろ望んでいたとしても、それが変わることはないのだ。
 以前彼女にはずいぶんと偉そうなことを言った。
 彼女はあの時、「そうかもしれないけれど、もう少し頑張ってみます」と答えたのだ。僕とは、違う。
 だから彼女の気持ちは、わかるし、わからない。
 僕に、いったい何が言える――?


 しばらくの間、何も手につかなかった。電話の前からそうだったのでいかにも言い訳じみているが、彼女との会話で、心のどこかが持っていかれたような心地がしていたのは本当だった。
 それから何日も経って、ふと思い出す。
 そうだ。三題噺。
「受験」「洗濯機」「黒猫」
 今日は安里ちゃんと会う予定の日だった。書かなければ。いや、もう午後三時過ぎ、書いても間に合わない。とりあえず公園に行こう。
 いや。やめよう。
 彼女の期待を裏切るべきじゃない。僕の作品を楽しみにしている彼女。一瞬でもつまらない顔はさせるべきではないだろう。
 ちゃんと、練ってから外に出よう。
 大丈夫、彼女は待っていてくれる。

 それから数時間後、いや、数日後? よくわからないが、母が血相変えて僕の部屋にやってきた。
「通、あんたっ……」
 眉をひそめる間すらなく、僕は玄関に連れていかれた。そしてそこには、制服――警官らしき服を着た、中年の男性二人が立っていた。
「拝浦通さんですね?」
 胸元から出される手帳。警察手帳だ。まるでドラマのようだ、呆けた頭でそんなことを考えていた。
 そして、その僕の頭に次の瞬間、岩石で思い切り叩きつけられたような衝撃が走った。
「西森安里さんの事件のことで、お伺いしたいことがあるのですが」


 安里ちゃんとの出会いは去年の夏前。
 小説家志願だった安里ちゃんはすでにどこでデビューしたいか決めていて、その出版社の新人賞をチェックしていた。そして、いつかの賞で二次まで行った人間が近所に住んでいると小耳にはさんで、直接確かめに来たのだ。学校の帰り、僕がどこを通るのか当たりをつけて、待ち伏せしていた。
『あの、あなたは小説書いてる人ですかっ』
 第一声はそれ。後で思い出した彼女はずいぶんと恥ずかしがっていた。もっと、ちゃんとした挨拶をしようと思っていたのに、と。だけど僕は彼女のその元気な台詞に、微笑みを浮かべた。面白い子だな、と思ったのだ。
 彼女にねだられて、僕は落選した作品を見せた。彼女は喜び、読み終えると詳細な感想、その前に素直な感嘆を寄越した。
『すごいですね!』
 ――ああ。我ながら陳腐な表現だと思う。だけど僕はあの時まさしく、彼女の言葉は魔法のようだと感じたのだ。
 それから公園で週に一回は会うようになった。彼女はすぐに僕に対する言葉遣いを崩すようになったが、そこから尊敬が失われることがないのはよくわかっていた。彼女は小説の先輩ができて嬉しいと、技術的なことなどを盛んに訊ねた。それだけでなく、いつから書いていたか、好きな作家は、小説に関することをたくさん質問してきた。
 そのかたわら、関係ないことも話した。
『トーリくんは、トオルではないんだよね』
『父親が変にひねってみせたらしいんだけどね。おかげでこっちはしょっちゅう名前を間違えられる』
『ちょっとわかるなあ。わたしは、自分の名前の漢字がイヤなの』
『どうして? 安らぎの里。いい意味じゃないか』
『どうせなら、アンズの杏にしてくれた方がかわいかったのに』
 可愛らしい子だった。見ていて飽きない子だった。
 あの当時の僕はもう小説を書くのはやめようと考えていて、その一方で小説を手放したら何も残らない自分に言い知れぬ恐怖を覚えていた。
 だけど彼女は、僕に短編をねだった。
 お題を出して、にこにこと完成を待つ。できたらきっちり読んで、僕を褒める。
『わたし、トーリくんの小説好きだなあ』
 自分が甘えているのはわかっていた。サークルで評価されなくなった分を、彼女で補おうとしている。小手先の短編を書いて披露して、彼女に見せる。そんな浅ましい自分に気づいてはいた。
 ただ、何もなくなりかけていた、そんな僕に、彼女の言葉は確かに生気を吹き込んだのだ。
 僕はいつしか、彼女にすがって生き長らえていた。


 おかしいじゃないかと思った。
 安里ちゃんは僕を慕ってくれた。しかし、触れてみればよくわかる。彼女はあきらかに、僕が妬む彼と同じ側の人間だったのだ。
 明るく、人に囲まれ、努力を惜しまず、幸せな全てを手に入れる側の人間。
 それが、こんなことになるなんて、おかしいじゃないか。

 警察は僕をとっとと解放した。当然だ。事件当日僕は部屋から一歩も出ていなかったのだから。
 町に出没する変質者が、公園に一人いる彼女を襲った。抵抗されて、弾みで彼女を殺してしまった。捕まった犯人はそう答えたという。
 おかしな人間のせいで、彼女が命を落とした。
 何とも、おかしな話だ。どう考えても、間違っていた。


 僕は期待すればする程辛い目に遭うことを知って、期待することをやめた。自分はそういう星の下に生まれた人間なのだと。心のどこかで抵抗しつつも、おおよそはそれを受け入れていたんだ。
 だから、安里ちゃんのような人間が幸せになるのは、当然のことだと思っていた。
 その彼女がこんなにあっけなく、幸せをつかみきる間もなく死ぬというのはどういうことだろう。
 彼女が死ぬような世の中なんて、もしかして、生きている価値はないんじゃないのか?


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