幸せになれない星の住人 15−3

幸せになれない星の住人

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15−3


 人間が骨になるところを私は初めて見た。
 高温で焼かれた棺の残骸が、収骨室に運ばれる。台の上には全身の骨と、棺のネジ。
 骨を収める時は、足から拾っていくらしい。最初の骨は隣の人と同時に箸でつかみ壺に入れる。その後は各自で骨を拾う。
 脚の骨、尾てい骨、あばら骨、頸椎、頭蓋骨。それらの大きな骨と、その周りに散らばる骨の残骸。骨はどれも教室の壁のように真っ白で、いっそ作り物じみていた。
 頭蓋骨は斎場の人が骨壷に入れた。大きいからと、遺族に断りを入れてから割る。
 まだ台の上に白い破片は無数に散らばっているのに、収骨はそれで終わった。台の上に残ったまま骨壷に収められることのなかった骨たちは、斎場で供養して処分するらしい。

 収骨が済み再び葬式会場に戻る。昨日には棺が置かれたそこからは、果物の腐るような甘ったるいにおいがかすかにした。
 無数の百合の花に囲まれた、大きな遺影。
 眼鏡の奥の優しそうな瞳。
 すすり泣く音が周囲からした。しかし喪主と、その妻である故人の母親は、泣くこともできないように、ただただ呆然としていた。

 自殺者の葬儀はたいてい、密葬になるらしい。近しい親戚のみで、小さく執り行われる。
 あの人は盛大な葬儀は逆に嫌がるのかな。
 そんなことを、考えていた。


 拝浦通さんのことは、最初大嫌いだった。
 お正月などにおじいさんの家に親戚で集まると、トーリさんの母親は決まって妹である私の母、そして私の悪口を言った。
 私の母は結婚前、ある既婚者に熱をあげていたらしい。その人のことを愛していて、手に入れようとしていた。ストーカーじみた行為が続き、相手は弁護士を呼んだ。その時から母は期待することをやめ、たいして好きでもない相手と結婚した。笑いながら、そう本人は話していた。
 この件で母は親戚から疎まれていて、特にトーリさんの母親などはなにかにつけて「あんたはろくでもない」と毒づいていた。その余波は私のところまで来て、幼い頃から私は「ろくでなしの娘」「おかしな名前の娘」とののしられていた。
 それに対して母は、笑ってへらへらとうなずくのだ。
『私の娘なんだから、たいしたことないんだって』
 母は私に絵空なんて名前をつけたくせに、すぐに期待することに飽きていた。それからは人前で私のことを平気で下げてみせた。
 私が下げられる代わりに上げられる人物。それがトーリさんだった。
 通くんは優秀ね、すごいね、頭が良いね。そう言われるあの人のことを心底私は妬んでいて、顔を見るのも嫌だった。こんな人いなければいいのに。そう思ったことが何回あったかは計り知れない。
 そして、中学三年生の時。
 私は、自分は母が言うよりずっと勉強はできると思っていて、トーリさんに対抗したくて、N高受験を望んでいた。頑張れば行ける。その時は確かにそうだったのだ。
 しかし、進路相談でまず当時の担任、林田がケチをつけた。あいつはそこまで年はいっていないはずなのに、やけにやつれた先生で、異常なまでに慎重だった。話によると、担任を受け持って間もない頃、生徒が上位校を受けるのをばんばん推奨して、落ちた生徒の親から文句を言われたらしい。それから保守的な姿勢に転向したのだという。
 ものすごく頑張らないと無理だぞ。もっと、余裕のあるところの方がいいんじゃないか。弱々しい口調でそう忠告する林田に、母が同調した。
『期待してるとろくなことにならないわよ』
 何度も私に言い聞かせたことを、担任の前でも繰り返した。
 そうして私は、N高受験を断念させられる。
 その話はその年の正月の席でネタにされた。うちの子なんてあそこで十分だから、そう聞くとはらわたが煮えくりかえった。当然といった顔でうなずく伯母の顔面に熱々のお吸い物をぶちまけてやりたかった。黙って微笑んでいる従兄を、どうにか不幸にしてやりたかった。
 耐えかねて外に出る。おじいさんの家の庭には真っ白な雪が積もっていた。とても寒くて、手をこすり合わせる。一気にほっぺたが真っ赤になっていくのを感じた。
 戸口の前で立ちながら、私は涙をこらえていた。
 そして、呪詛を吐いていた。皆、皆死んでしまえ。
 その時だった。戸が開いて、トーリさんがやってきた。凍える私を見て、「大丈夫?」と首を傾げる。私はそれに反発し、そっぽを向いた。
「――色々なことを諦めて、期待しない方がいいよ」
 すると、やわらかく声が降ってきた。それは母の言葉とそっくりで、後になって聞いてみると受け売りのつもりだったらしい。そこまでだったら私は怒りでトーリさんになにをしていたかわからない。
 だけどあの人は、それにこうつけ加えたのだ。
「期待しない方がずっと楽で、辛い目に遭わずに済むから。……頑張っているのにね」


 お坊さんが来るまで少し時間があったので、親戚の人々は待合室に引っ込んでいた。私はこっそり抜け出し、式場の中に入る。なまぬるい空気の漂うそこで、トーリさんの遺影を正面に立った。
「期待しない方がいいって、トーリさんが言ってたくせに」
 詳しい事情は聞かされていない。代わりに陰湿な悪評は耳に飛び込んできた。
 ただ、私は、きっとトーリさんはなにか期待を裏切られて自殺してしまったのだなと、ひとりで思っていた。
 あの日、私に手を差し伸べてくれたあの人はもういない。
 死んで焼かれて骨になってしまった。
「トーリさんが死んじゃった理由なんて、きっと、誰もわからないよ……?」
 そうつぶやいたら、喉の奥からなにかが溢れ出しそうになって、とっさに私はそれを抑えた。
 それを吐き出さずに押し殺してしまった瞬間、私の中でなにかが空っぽになった。


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