幸せになれない星の住人 3−2

幸せになれない星の住人

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3−2


「ほら、こうやって首の後ろ持つと、大人しくなるんだよ」
 そう言いながら俺は、黒猫の襟首をつかんで持ち上げた。小さな猫は鳴き声も上げず体も動かさず、黙って薄青い目を見開いている。宵見絵空は、俺の顔と猫の顔に交互に視線を送っていた。
「洗濯バサミとかで首根っこ挟んでも大人しくなる。子猫の頃に母親にくわえられた時の名残なんだってさ。そうやって母親が子猫を運ぶのを邪魔しないよう、動かないようにする習性なんだな。成猫でもこうやると大人しくなる。俺の場合、でかいクリップでとめて鞄に突っ込んで誘拐してる」
「……痛くないの?」
 宵見は固い声で、絞り出すように訊いてくる。俺は肩をすくめ、笑ってやった。
「猫って首の後ろは痛覚鈍いんだってさ。ただ、人間がやるのはよくないらしいけど」
 その言葉に眉間にしわを寄せる宵見が面白くて、俺は黒猫の首根っこをつかんだまま歩き続けた。宵見はその隣を、一生懸命についてきた。
 この黒猫に手を出さないでくれるなら、この前のことは黙っていると約束する。
 ゴールデンウィーク明けまもなくに宵見絵空は俺にそう突きつけた。何だこいつ、と素直に思った。
 ただ、この様子では宵見は、俺があの時の白い猫のみならず、薄汚い屋敷の主人などが騒ぐ、他の猫の失踪にも関わっていると確信しているようだった。廊下には学校の連中がうろつき、俺は下手に騒ぐこともできず、要求を呑むしかない。第一あの時の宵見からは、有無を言わさぬものが感じられたのだ。
 そうして大人しくしている間、宵見は本当に黙っていてくれた。俺の方をたまにうかがうような素振りを見せるが、こちらが気づくと目をそらす。拍子抜けするような感覚があった。
 それで、今日だ。
 手頃な猫を探していると、塀の上を黒い塊が歩いていた。もしや、と思って捕まえると、宵見に渡された画像の猫に間違いなさそうだった。黒い細っこい体に、真ん丸な、子猫特有の青い瞳。
 差し出された画像が夜に、しかも外でなんか撮られたものだったから、もしかしてこの猫は宵見のペットですらないのではと薄々勘付いていた。うちの可愛い子に手を出さないでとちゃんと釘を刺したいのならば、家の中で撮った、携帯なんかじゃないきちんとした写真を寄越せばいいのだ。宵見が殺さないでとお願いするのは野良猫で、そいつのちゃんとした写真すら持っていない。
 おかしな奴。わけがわからない。
 黒猫が首を傾げるのを見つめ、自分のものでもない野良猫を守ろうとする宵見のことを変に思い、気づけばメールなどしていた。
 猫の首根っこをつかむ画像なんか添付したせいか、宵見は『今どこにいるの』なんて訊いて、血相変えてやってきた。教室で見た制服姿のまま、息を切らして到着した宵見は、俺の目にひどく滑稽に映った。
「それで……そうやって猫を捕まえて、殺すの?」
 宵見は静かに呟いた。
 この猫のこととなると比較的わかりやすい反応を見せるくせに、こんな風に、そして今日会って少ししてから「猫ってそんなに簡単に捕まえられるの」と訊いてきた時なんかは、表情や声色の起伏を強いて消しているようで感情がよく読み取れなかった。責める様子が全く感じられないのがまた、調子を狂わせてくれる。
「そうだよ。人気がないの確認して鞄に突っ込んで、家まで持って帰る。で、玄関の中で殺す」
「玄関……家の人とか、近所の人にバレないの?」
「親はほとんど帰ってこない。それに鳴き声が聞こえないように、まず喉を潰すんだ」
 そう、俺はつかんだ黒猫の喉を掻き切るジェスチャーをした。宵見は「あっ」と、思わずといった風に声を上げる。さすがにかわいそうになってきたなと、俺は猫を宵見の前に掲げた。
「そんなに心配なら、お前が持ってろよ」
「え、あ」
 宵見はあたふたと、手を伸ばしきれずにいた。その様子に苦笑してしまう。
「猫屋敷の猫なんか、皆人慣れしてるからそう暴れたりしねーよ。こいつなんかちっこいから噛んできたってたかが知れてるし。ノミだらけかもしんねーけど」
 俺をじっと見上げてから、宵見はおずおずと手を差し出した。降ろした猫は両腕にすっぽりと収まり、宵見の胸の前、白いセーラー服の上羽織った黒いカーディガンに溶け込むようだった。
 駅近く、住宅街の中途半端な太さの道を行きながら、頭一つ分低いところにある宵見のつむじを何ともなしに眺める。黒猫を抱いた宵見は戸惑うようにしながらも、みゃうみゃうと鳴く小さな体を慈しむように撫でていた。
「喉を潰した後、殺すの」
 ぽつり、と漏れた言葉の内容を頭が認識するのに、少し時間がかかった。宵見絵空はいつの間にか、真っ黒な瞳でただ俺に視線を向けていた。非難するでもない、ただ事務的に質問しているだけ。知りたいからと目を輝かせるわけでもない、そんな塩梅での問いかけだった。
 弱みを握られているからと仕方なく馬鹿正直に答える。いやそれはどうでもよくて、答えるのはただ何となく。
 宵見の問いをはぐらかさない理由はどちらなのか、自分でも判然としなかった。
「殺すよ。日にもよるけど、色んな方法でお好みにいたぶって。ひたすら蹴りつけたりナイフで切りつけたり」
「……玄関なんかでやって、その後は?」
「死体はあの、駅の向こうの川に捨てる。でかい川だからそうそう引き上げられたりしないみたいだな。もしくは速攻で魚に食われてるとか。玄関は、あらかじめビニールシート引いてるから汚れない。臭いは消臭剤でごまかしてる」
「……へえ」
 あれこれと訊いてくるくせ、答えが得られれば興味はなさそうな素振りをして、宵見は猫の頭に向き直る。こっちが「お前は何なんだ」と問い質したくなるくらいだったが、それをしないのは立場が弱いからか気まぐれか。
 しばらく歩いていると、駅前マンションが近くなってきた。と、そこで、宵見がまたこちらに目線を合わせる。訊きたいことを訊く時だけ、無表情でも、ちゃんと人を見つめるその瞳。
「猫を殺すのって、どんな気持ち?」
 立ち止まって、しばらく宵見と睨み合った。宵見は視線を外さず、唇を引き結んで、俺を見ている。
 気づけば道もだいぶ暗く、黒いカーディガンと紺のスカート、抱かれた黒猫、そして俺の真っ黒な学ランまでもが闇にすっぽりと覆われるようだった。
「――快感、なんだろうな」
 自然にぽろりと、囁いていた。宵見から目をそらし、歩き出しながら。
 宵見は遅れてついてきて、言葉の真意に食らいついてくる。
「快感……それは、猫のことが嫌いだから?」
「いや、基本的に動物は好きだよ。犬も猫も可愛いと思う。可愛いな、好きだなと思って見てるうちに、傷つけたいな、痛めつけたいなって、いつの間にか思ってる」
「……好きなものを、殺したくなる?」
 かすれそうな声で、宵見はそう呟いた。いつの間にか足を止めていた宵見を振り返る。俺を見据える瞳が、どこか呆けた色をしていた。何も感じていないといったポーズをとっていた宵見はしかし、ここに来てはっきりと、俺にわかるように怯えていた。
 「理解できない」「気持ち悪い」
 俺もまたここに来てようやく、ああ、こいつは結局普通の奴なんだな、と思った。
「――俺は別に、殺したいわけではないんだけどな」
 それだけ言って、敢えて先を続けずにいると、宵見はふっとうつむいて「そう」と小さく漏らした。きっと「殺したいわけではないが、痛めつけたまま逃がすわけにもいかない」だとか、勝手に解釈してくれたのだろう。
 また歩くのを再開し、まもなく色褪せたオレンジのマンションが見えてきた。そこで宵見は固い声で、とってつけたように告げた。
「私、家ここだから」
 とってつけたようにと言ったものの、嘘でもないだろう。立ち止まった宵見は、俺が去るのを見届けようとしていた。俺もまた、とってつけたように本当のことを言う。
「そうか。案外近いとこに住んでたんだな。俺は、駅の向こうの方の家」
「ああ、JR乗るんじゃなくてここらへんの人だったんだ」
「こっちに引っ越してきたの三年前からだけどな」
 何てことなく会話して。そうして、普通の同級生のように、白々しく俺たちは別れた。
 宵見に抱えられた黒猫が青い瞳をぱちぱちと瞬かせるのが、最後に見えた。

 饒舌に語る自分を振り返ると馬鹿みたいだった。
 何が「こうやって猫を捕まえる」だ。何が「お好みでいたぶる」だ。
 何が、「好きなものを痛めつけたい」だ。
 いかにも手慣れた、淡々とした猫殺しを演じて、そんな自分にあの瞬間確かに酔っていた。暗闇の中、街灯に浮かび上がる自分の影に問いかける。
 自分の本性を晒した気分になって、楽しかったか?
 笑いすらも出てこなかった。思い出すのも火が出るのに、宵見と歩いた自分が何を言ったか、どれだけクサかったか、何度も何度も頭の中で繰り返してしまう。
 野良の黒猫を可愛がる宵見絵空なんかよりも、自分の方がずっと滑稽だった。歩調を速める。早くこの闇から抜け出したい。
 やけに長く感じられる時間の後、ようやく辿り着いた家には一つも明かりが灯っていなかった。少なくとも姉はいるはずだが。そう不審に思いながらも鍵を取り出し、扉を開けて電気をつける。
 明るくなった玄関では姉が座り込み、瞼を閉じていた。
「……つつじ?」
 思わず、後ずさって口にしていた。姉はそのわずかな声に反応し、うっそりと目を開ける。緩慢に口に手を当て、くあぁとあくびをする。
「おかえり」
 第一声はそれだった。俺はその普通の挨拶に冷や汗をかき、取り繕うような声色を出す。
「あ、ああ、ただいま。これから飯――」
「ねえ」
 首を伸ばし、ゆるく傾ける姉の肩に髪の毛が垂れた。伸びた髪は真っ黒なセーラー服の上、同化を拒むように艶めいている。
 姉は真っ黒な、あどけないながらも不機嫌な色を滲ませた瞳で。
 俺に問いかけた。
「今日の猫は?」


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