幸せになれない星の住人 4−4

幸せになれない星の住人

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4−4


 大学図書館のパソコンに午前中から座り込み、文章を書いていた。コンピュータの置かれたスペースもまた、たいていの学生は研究室のパソコンを使うためか、程良く空いていて居心地がいい。
 そうやって、午後三時過ぎに出来上がった短編を図書館のプリンタで印刷してから僕はJRの駅に向かった。昼も通しで書いていたせいで昼食はとっていないのだが、胃はあまり食料を求めていないようだ、音を鳴らす気配もない。夜まで放っておいても大丈夫だろう。
 電車に乗ること二十分。ほぼ徹夜し、大学に出向いてからもずっとパソコンの画面と睨み合っていた目がしょぼしょぼとかすんだ。窓の向こうに見える緑に、幾分癒されるような気持ちがする。それから下車して、駅からしばらく歩いたところにある、中学校近くの公園へと向かった。
 近所の子供もすっかり中学生になりつくしたらしく、この広いわりに遊具の少ない公園は最近では賑やかなところを見たことがない。その、ただっぴろい中ぽつんと置かれたベンチに、ジャージ姿の女の子が座っていた。近づいてくる僕に気づいて顔を上げる。二つに結んだ髪の毛が揺れた。今日は五時間目が体育でそのまま来たのだろうか、そう思うと自然と笑みがこぼれた。
「トーリくんこんにちは!」
「ごめん、待った? 安里(あんり)ちゃん」
 全然、と首を振る彼女はその動作もほどほどに、僕に向かって両手を差し出した。少しだけ意地悪そう、こっちを試すような輝きを目に宿す。僕はそれに何てことないような顔をして、鞄から先程印刷した紙を取り出した。
「わ、ほんとうに二日でできたんだ! え、六枚? 長っ!」
 手渡したA4の用紙には二段組みでぎっちりと文字が埋められていた。ざっと一万五千字弱といったところだろうか。四百字詰め原稿用紙ならば四十枚くらいのはずだ。
 「トラック」「花束」「青い鳥」
 この三つの単語を織り交ぜて短編、いわゆる三題噺を書いてみてほしいと彼女に頼まれたのは一昨日。お題を指定した彼女が立てた指は二本、期限は二日だった。
「わー、すごいなあ。じゃあ、今から読むからちょっと待っててね、うわー楽しみ」
「うん。ま、構想二日だからあまり期待しないでほしいかな」
 僕の台詞を最後まで聞く様子もなく、安里ちゃんは短編に没頭していた。その姿に肩をすくめつつ、僕は彼女の隣に腰掛ける。黒くてふわふわの髪の毛を眺めてから、眼鏡を外して眉間を揉みほぐす。軽く目をつぶって待つことにした。
 丁度、彼女から猫殺しの少年の話を聞いて、話の輪郭が出来ていた時だった。安里ちゃんは僕に、「トーリくんがどのくらい速く書けるのか、ちょっと見てみたいなあ」とわくわくした顔で三題を提示した。その三題が、どうにか形を為し始めていた物語に組み込めそうだったので、利用させてもらった。
 猫等、可愛いと思うものへの暴力衝動に悩む少年が、少女と出会う。二人は親交を深めていくのだが、そうする程に少女を痛めつけたいという欲求が湧いてきて少年は思い悩む。少年の本性を知った少女は彼を受け入れようとするが、最後、少年は思わぬ事故で亡くなってしまう。少女は涙を流す。しかし、少年は実のところその死に際、少女を傷つけずに命を終えることにほっとしていた。
 ありていに言えばそんな話だが、二日にしては文章もよく練り込めてそこそこ読めるものになっていると思う。
 そろそろ読み終えたかなと目を開けると、まさに安里ちゃんが僕を振り向くところだった。真っ直ぐに、きらきらとした瞳で僕を見る彼女。
「やっぱりトーリくんすごい! なんで二日でこんなの書けるかなあ」
「そう? 気に入ってもらえたならよかったけれど」
「ちょっと最後が……ってなるけど、きれいにまとまっててすごいなあー。わたし、やっぱり、トーリくんの書くもの好き」
「ありがとう」
 彼女にここまで褒められてしまうと、こちらも思わず照れてしまう。熱を帯びる頬を隠したくてうつむきつつ、鞄にしまった携帯、その中のメールに内心感謝した。
『動物を虐待、虐殺するような人間っていうのは、一体どういう人なんだろうね』、この内容を送って以来、猫殺しの少年に関する報告がちらほらとなされるようになった。漠然とした部分は多かったものの、十分に想像は掻き立てられる。後ででもきちんとお礼を言おうと心に誓った。
 そういえば、『猫を殺したのは、男の子なんだね?』などというメールも送ってしまっていた。昨年の光景がよみがえり、ついという感じで質問したのだが、さすがにそこまでの偶然もないものか。
「だけどわたし、こういう人の気持ちってわかんないなあ」
 ふと、彼女が遠い目をして呟いた。
「うん? 話の中の彼のこと?」
「好きなものをひどい目に遭わせたい――って、わけわかんない。ああ、えっと、共感できないっていうかわたしにはわからないってだけで」
 別にこの作品をけなしているわけではないよ、と必死で弁明する彼女が微笑ましかった。わかっているよ、と彼女から紙を受け取り、僕も「猫を殺す少年」に思いを馳せる。
「書いておいてなんだけど、僕も正直わからないかな……。殺人鬼の中にはこういう、猫みたいな動物を子供の頃から殺している人も多いみたいだね」
「へえ、そうなんだ」
「そう考えると興味深いよ。現実に彼のような人と接して、そういう人間が育つ環境だとか、考えてみるともっとちゃんとしたものを書けるようになれるのかな」
「うーん……でも、そんな人と会うの、ちょっと怖い」
「はは、そうだね」
 正直に、嫌そうに口を尖らせる安里ちゃんを見ていると、ほっとした。
 彼女の感性は素直。それは見つめていると眩しくて手をかざしたくなる一方で、柔らかくて、他人を攻撃するような力は持っていない。僕も見習いたいと思えるもので、彼女にはずっとこのままでいてほしいな、などと勝手に願ってもいた。
 そういえば。先日届いたメールに、『小説を書く人って皆変なんですか』なんて書かれていた。そんなことはないよと、彼女に教えてあげたいものだ。
「だけどトーリくん、投稿用の長編書きながら、こんなのさらっと書いちゃうんでしょ? ほんとう、すごいなあ。わたしも頑張らなきゃ」
「……それほどでもないよ」
 少し、目を伏せて僕は謙遜してみせた。言葉をそのまま受け取る資格は僕にない。しかし、そんなことは露程も知らない彼女は、憧れを口にするのをはばからない。
「小説家一本で食べていく! んだもんね。目標に向かって全力な感じって大好き。わたし、応援してるよ。わたしもトーリくんを見習って頑張るもん」
「そう」
 微笑みにぎこちなさはないだろうか。彼女の純粋な目におかしく映らないだろうか。常に心の片隅でそれを心配しながら、僕はこうしてここにいる。
 その後安里ちゃんは「また今度お題出すから覚悟しといて!」と手を振り、すっかり夕焼けに染まった空の下を帰っていった。僕は「最近ここらへん、変質者が出るらしいからくれぐれも気をつけて」と立ち上がって見送り、またベンチに腰掛けて息をついた。
 しばらくそうしていると、かくんと頭が下がった。慌てたように目を覚まし、ベンチを立つ。僕は公園からそう遠くない、自宅へと歩いていった。
 帰宅すると台所にいる母に挨拶もせず、二階の自室に潜り込む。ベッドの上に倒れ込んで、そのままゆっくりと目を閉じた。結局夕飯にありつくことすらなく、深い、深い、眠りの中へ。


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