幸せになれない星の住人 5−2

幸せになれない星の住人

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5−2


 その日は放課後教室でダラダラ過ごす時間が思いがけず長引いて、学校を出る頃には外はすっかり真っ暗だった。陽が長くなってきたからと油断しすぎたか、と口々に言い合い、それぞれ帰路についていく。
「城原くん?」
 そして俺が後ろから声をかけられたのは、仲間の背を見届けたその後だった。
「宵見」
「こんな遅くまで残ってたんだ」
「そっちこそ」
 一歩こちらに近づく宵見は、「私は部活だから」とつけ足す。暗闇に白く浮かび上がるセーラー服はもう半袖で、そこから鼻を突くような臭いが漂ってきた。
「美術部か。すげー臭いだな」
「そうかな」
「こっちはただダベってただけだよ。教室で」
「そうなんだ……城原くんは、友達多いよね」
 猫殺しのくせに? そう意地悪く笑ってやってもよかったが、嫌味など言えそうもない宵見にそうするのも酷か、と口をつぐんでおいた。
 それに。
 きっとわずかな時間なのだろうが、こうして宵見と普通の同級生のように接するのは新鮮だったのだ。
 帰りの方向が一緒で、別々に帰る理由も思いつかなかったので、俺たちは並んで歩き出した。思えば二人で歩くのはあの黒猫を俺が見つけた日以来だったが、不思議と自分の中にぎこちなさを覚えることはなかった。しつこくメールなどされたせいだろうか。一方の宵見は俺から逃げはしないが、微妙に距離をとり肩などくっつかないよう警戒している様子だった。本物の「普通の同級生」とはいかないか、と軽く小石を蹴る。
 自分のペースで足を進めながら、時折隣をうかがう。こちらからは宵見の頭ばかりが見えて、加えて今日はどうにもうつむき加減、夜であるせいもあり表情はよくわからなかった。しばらく喋ることもなく、いつの間にか商店街に入っており、重くはないが弾まない時間が続く。
 もしかしたら今日はこれきり宵見と言葉を交わすことはないのかもしれないな。まあ、そんなもんか。
 そう思った途端、下を向いたままの頭から、ほろりと声が漏れるのが聞こえた。
「城原くんは……私の名前、最初から覚えてたよね」
「ああ?」
 唐突な問いだった。宵見はいったい何を考えているのだろう、それは何度も思ったことだが、今日は少しばかり質が違う気がした。それは、宵見の声が固いというより、単に元気がないように感じられたせいかもしれない。
 とりあえず。最初からとは、つまり、宵見にとっての最初。あの、四月末の日ということか?
「やっぱり、変な名前だから覚えやすかった?」
「いや」
「名前なんてどうしようもないよね……変でも、似合ってなくてもさ」
 俺に、というよりか、誰にともなくそう呟いた宵見は、いったいどんな顔をしているのか。結局俺が質問に答えていないのにも構う素振りはない。答えを求めない問いかけ、そしていつもより低い声のトーン。そこから宵見の表情について想像は絞られるものの、確認しないことには何も言ってはいけないように思えた。
 それから宵見はとってつけたように、俺の方も見ずに問うてくる。
「城原くんの下の名前はサツキだよね。サツキって、五月のサツキ? それとも花の方?」
「五月の方。五月生まれだからって、安直にさ」
「そうなんだ。だけど、そういうのっていいね」
 何が?
 訊いてやろうにもテンポがつかめない。宵見の気分のせいなのか、それとも同級生ごっこなど長続きするものではなかったのか。たぶん、前者が大きいか。変な、それも居心地の悪い気分がした。どうにもまどろっこしい。
 そう思った瞬間、俺は考えなしに言い放っていた。
「何だよ、調子狂うな。いつもみたいに『どうして猫を殺すの』だの訊いてこないのかよ」
 すると宵見はようやくこちらに顔を向け、驚いたように目を見開いた。ぱちくりぱちくり、いつかの猫のように瞬きする。
「……それでいいんだ?」
「別に。今さら宵見に知られて困ることもない」
 投げやりに言葉を放ると、宵見は俺をしばらくじっと見てから、ふっと口元をゆるめた。
 じゃあそうするよ、と暗闇にまぎれそうな微笑みを漏らしながら、しかし宵見はまた顔を伏せて、なかなか質問してこない。訊きたいことがまとまらないのか、訊いていいものか迷っているのか、やはり今日は訊くような気分じゃないのか。
 ちら、と宵見が細道に目を向けたので、俺たちは商店街から住宅街へと入っていった。そこから宵見のマンションまでは、あと少し。
 それでもまだ話せる時間としては長いのか。そんなタイミングでやっと、宵見は口を開いた。
「人を、傷つけたいと思ったことは、ある?」
 俺を見つめ、暗がりのせいもあってより淡々として見える表情で、宵見はそんなことを訊いてきた。
 何を言われても大丈夫だとタカをくくっていた。
 だが。
 不意を突かれたとはこういうことをいうのか。
「……何言ってんの?」
 とっさに馬鹿にするように顔をしかめられたか。本当に馬鹿馬鹿しいといった調子で声を吐き捨てることができていたか。そのどれにも自信を持ちきれず、宵見のリアクションで確認するしかなかった。しかし宵見の方を見るのが怖い。
 しかし。
 目をそらしたら、取り繕ったことがばれてしまう。
「人から聞いたの。有名な殺人事件の犯人――日本だと神戸の事件の少年Aとか、子供の頃から小動物を痛めつけて、猫とか殺して、そのうちに人を殺したいと思うようになったんだって」
 恐る恐る宵見の目を確認するが、聞いた話を思い出す方に夢中なのか、視線はこちらではなく宙を向いていた。俺はひとまずほっとしながら、暗い気持ちで呟いた。
「猫から人……か」
 そういう話なら調べたことはある。
 例の少年Aはナメクジや蛙の解剖が趣味だった。それがエスカレートして猫を殺すようになった。石をぶつけて殺した猫を、ナイフで引き裂き内臓を引きずり出し解剖する。猫の首を校門に置いておくこともあった。解剖している時、性的興奮を覚えていた。人を殺したらもっと快感を得られるのではないかと思った。
 日本ではまだ研究が進んでいないが、海外のプロファイリングでは幼少期のこういった行動が重要視されるという。
 動物虐待は、シリアルキラーの萌芽。
「――知らねーよ」
 できるだけ軽い調子で、自然なレベルで不機嫌そうに。俺は言う。
「前も言ったよな。犬とか猫とか、可愛いと思ってるうちに、痛めつけたくなってるって。俺は、人間にはそもそも興味ないから。人を殴ったこともないね」
「へえ、そうなんだ。人間は、可愛くない?」
「ああ」
 そう、と宵見は目線を落とした。それから「ちょっと、わかるかな」とわけのわからないことをもにょもにょと口にし、以降はずっと黙ってしまう。
 沈黙が重くなる手前、丁度よく宵見の住むマンションが目の前に。
「それじゃ、ここで」
「ああ」
 短く別れを告げ、一緒の帰宅は終わった。この場面だけならまだ普通の同級生のようなものなのだろうな、と俺は自嘲気味に思った。

 宵見には嘘をついている。
 小学生の頃。午後九時からテレビでやっていた洋画を観た。内容は全く覚えていないが確かアクション映画で、派手にカーチェイスだのやるわりにやけに画面が暗かったことは記憶している。
 比較的前半だったろうか。味方の中に黒髪で彫りの深い美人がいて、そいつが敵に捕まった。たぶん主人公に関する情報を吐けだのと脅されたのだろう。彼女は口を割らず、それどころか暴言を吐いた。敵の男は一発、平手でその頬を強かに打った。尻もちをつく女優の、今度は髪をつかみながら、男は顔面を殴りつける。一回、二回、少し間を置いて、もう一回。女優の、押し殺してなお漏れ出てしまったような叫び声が響く。もう一回。美しい顔が歪む。歪められる。殴りつけられる。もう一回。もう一回。殴る、殴る、殴る、

 ――殴りたい。

 録画などしていなくてよかったとは、後になって思った。
 時間にしたらたいしたことない、ほんの映画のワンシーン。だけど、録画していたらそこばかりを何度も観返してしまっただろう。
 思い浮かべるだけで頭の奥に絶えず電気が弾けるようだった。首の後ろがチリチリした。いつの間にか息が荒くなって、胸が異常に高鳴った。首から頭の深奥へ、頭から首へ、その下へ、びりびりと、ぞわぞわと、生き物のように確かな質感をもって、感覚が駆け巡る。体全体が発する熱にようやく気づく。
 俺は、自分が興奮していたことを、そうやって自覚した。


 子供の頃からずっと暴力に惹かれていた。
 それがおかしなことなのだと――人と違うことなのだと、気がつくのにはさして時間はかからなかった。


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