幸せになれない星の住人 5−4

幸せになれない星の住人

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5−4


 大学の生協に立ち寄ったのは気まぐれで、そこで知り合いとかち合ってしまったのは不意打ちだった。
 そういえばしばらく小説を買っていないな、あの作家の新刊がもう出ていたはずだが。そんな風に書籍部に足を運んだのが、そもそもの間違いだったに違いない。
「あれ、拝浦(はいうら)先輩じゃないっすか」
「あ……ああ、久しぶり」
 とっさに笑顔を作った相手は去年まで所属していた文芸サークルの後輩だった。彼もまた笑って手を上げているものの、果たして久々に会った僕にどんな感情を抱いているのか。そればかりが気になった。
「スーツなんか着て就活っすか……って俺も人のことは言えないですけど」
「ああ、まあね」
「いやー、就職浪人ってどうなんすか実際。このままだと俺もヤバイかなーって」
 スーツなんて着込んで家を出たのが幸いだったか。さすがにこんな格好で、一日中図書館で本を読んだりパソコンを叩いたりしていたとは思われないだろう。そんなことをしているのがばれたらと考えると、ぞっとする。
 こちらが適当に相づちを打っていると、彼は勝手に面接での苦労などを語り出してくれた。僕は笑みを貼り付けたまま、彼にうなずいたり、聞きかじりの知識をさも経験談のように披露してみたりする。彼がそれを不自然に感じることは、どうやらないようだった。
「サークルの同学年も皆苦労してる感じっすね。っていうか拝浦先輩、わざわざ辞めることなかったのに。川井先輩とか普通に留年して顔出してますよ」
「いや……まあ、色々事情があってさ」
「はは、なんすかもう」
 内心冷や汗で話をはぐらかそうとするも、彼にとっては別にさほど追及したい内容ではなかったらしい。僕についてはそれで切られて、今度は聞きたくもないサークルの近況などに話が及んでいった。
「今年は新入生は不作くさいですねー。人数はいるんですけど。こう言っちゃなんですけど、すごいもん書けそうな人はいないっちゅーか」
「そうなんだ。去年なんかはわりと豊作だった方なのかな」
「ま、そうっすね。ただ、やっぱり――」
 と。
 入口近くでずっと話し込んでいた中、彼は僕に目配せしてから奥の方、文庫本が並べられた棚へと足を向けた。
 反応が遅れる僕の背中を、嫌な汗が一滴伝う。
 大学生協なんかじゃなくて、駅前の大型書店に行けばよかった。もちろんこの大学の学生にとっては御用達の場所だが、広い店内で知り合いに出くわすことなどそうそうない。後悔ばかりが頭を渦巻く。
 ただ、それでも、今逃げるのは不自然を通り越して不可能だった。
「お、あったあった」
 僕は意を決して、彼の隣へと歩いていった。本当はそこにあるものなど見たくもない。ただ、目をそらすのは許されない。
 現実を。
 見なければならない。
「香月先輩のデビュー作、結構売れてるらしいっすねー。やっぱり、あの人レベルの部員なんて滅多に現れるもんじゃないです。そうそう、再来月には新刊出るって教えてもらいましたよ」
「へえ。やっぱり彼、すごいね」
「先輩ももちろん、新刊買うでしょ?」
 彼の無邪気すぎる問いに、僕は細心の注意でもって微笑んだ。

 重い足取りで家に帰った。気分がぐったりとひどい重量で体にのしかかり、早くベッドに倒れ込んでしまいたかった。
 そう願い洗面台で手を洗っていた時に限って、母が背後にやってくる。
「通。今日はどこ行ってたの」
「母さん」
「もう六月も終わりでしょ。まだ就職決まる気配ないの?」
 正直なところ、答えるような気力は残っていなかった。だが、ここで詰まっては母の質問攻め、そこからの嫌味が長くなるのは目に見えている。僕はどうにか知恵を振り絞り、母が納得するような口当たりのいいことを捲し立ててみせた。
 母でもわかる企業名。最終面接まではこぎつけた。就職浪人にも好意的だ。うちの大学は受けがいい。周りの人の状況も良くないようだ、ただ、今度こそは手ごたえがある。
 あまりにも嘘八百なそれらを、僕の現状によくなじむよう、加工して述べる。毎回同じような説明にならぬよう、その都度アレンジした弁明を口から出すのは骨が折れた。だけど、嘘がばれてしまったら、そこで僕は本格的に追い詰められてしまう。
「――そう。それならいいけど」
 僕が一通り言い終えると、母は腕を組んでうなずいた。僕は頭の奥ほっと一息をつき、しかしまだ油断はならないと気を引き締めて言葉を紡ぐ。
「うん、来週の面接、頑張るから」
「今度こそ決めてくれないとたまんないわよ。それにしてもねえ……やっぱり文学部っていうのがよくないのかしらね」
 ひとまず切り抜けられはした。ただ、結局小言が始まるのは避けられなかったようだ。母はしかめっ面をしながら、僕を眺めるわけでもなく、ぶちぶちと連ねる。宙に向かって、すでに耳にたこができるくらい繰り返してきたことを再現する。
「結局、文学研究なんて就職して活かせるわけでもないしねえ……それに、私立の方がまだ就職支援してくれるんでしょ? たいしたことないレベルの私立行ったあんたの友達なんて、軽々就職決めてたじゃない」
 この大学に僕が入って、親戚中に散々自慢したのは誰だ? その言葉は、握った拳の中で留めておく。
 母は、いつもこうだ。
「だけど、なんとしてもちゃんと名の知れた企業に入んなさいよ? せっかくいい大学入ったのに、わけのわからない企業勤めなんてみっともないったらありゃしない」
 さっき何て言った?
 とても口にはできない。また、うんざりした様子を見せるのも火に油を注ぐことになる。僕は笑顔を貼り付けて、母の言葉を真摯に受け止めているふりをするしかないのだ。
 母の中の語彙が途切れたのを見計らい、僕は努めてさりげなく体の向きを変える。
「――じゃあ、部屋に戻るから」
「そう。しっかりやんなさいよ」
 そうしてようやく。
 僕は部屋に戻ることができた。そのまま、さっきからしたかったようにベッドに横たわる。ただ、今日は夕飯を食べろと母に呼び出されてしまい、安眠は見事に妨害された。仕事から帰ってきた父と共に、母だけがぺちゃくちゃと喋る食卓を囲む。
 こうなっては、また布団に入っても眠りにつくのは難しい。僕はパソコンの電源をつけ、起動を待った後、USBを差し込んで小説のファイルを開いた。
 去年から書いている長編小説。
 しかし、今日は色々としんどいことが多すぎて、頭がどうにも回りそうにない。軽く表現を変えたりするくらいで、話は進められなかった。
 こんな日は駄目だ。
 また明日、頑張ればいい。
 そうひとりごちて、僕は日付が変わる直前にパソコンの電源を落とし、布団に潜り込んだ。意識はなかなか落ちず、そうすると頭は余計なことを考えそうになってしまう。それを振り払うように、何度も寝返りを打った。


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