幸せになれない星の住人 7−1

幸せになれない星の住人

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7−1


 七月の末日、もうすぐ前に買った小説を読み終わりそうだったので、息抜き用にともう一冊を探すことにして古本屋に出向いていた。夏の空が勉強疲れの目に眩しい。目を細めながら歩き、たどり着いたお目当ての店。店員さんが一斉に「いらっしゃいませ」と声を張り上げるのを尻目に、文庫本コーナーへ。
 と。
「城原くん」
「あっ……ああ」
 通路を歩いていたところ、店の壁際のハードカバーの並ぶ棚、その前で首を持ち上げている城原くんの姿が目に入った。
 声をかけると、城原くんはあからさまにびっくりした様子を見せる。慌てて返事をする、その動作にも不自然に時間がかかっていた。私に気づいて動揺して、それを取り繕おうとして、しかし私を直視するのを避け、目線をそらそうとしている。妙な感じがした――怪訝な顔をする前に、思い至る。
 まだ午後を過ぎたばかりの、うららかな夏休みの一日。城原くんはもしかして、ここに来る前に猫を捕まえてきたりしたのかもしれない。
 ぽつぽつと質問を重ねるうちに、私はいつしかあの日の光景を忘れかけていた。あれからしつこく、残酷なことばかりを訊ねてきた。だからかえって、いや、だからこそ。聞き過ぎたせいなのだろうか、それをどこか実態を伴わないもののように感じるようになってしまっていた。
 自分の死すらも理解できないように見開かれた猫の瞳。
 城原くんは、猫を殺す人間なのだ。
「宵見は、ここによく来るのか」
 幾分落ち着きを取り戻したような目で、城原くんは私を見る。今度はこちらの反応が遅れて、どうにか「たまに」と絞り出した。
「俺も、あんま来ないんだけどさ……」
 不思議なことに、情けなさそうな表情で城原くんは苦笑した。本を読まない自分を、自嘲しているような? そんな感じかと勝手に想像していると、思わぬことを城原くんは言った。
「ちょっと、グロい話でも読みたくなったんだ」
「え……」
「昔は結構、そういうの読み漁ってたんだけど。欲求のはけ口にするつもりが、引き込まれそうな自分がいて怖くなって、やめてたんだ」
 どくん、と心臓が鳴った。
 今日は私が問いかけたわけでもないのに、メールなどと同じ調子でそんなことを言われても。自分の目元や眉尻、口元が、戸惑いに歪むのが感じられた。そんな私に気がついた城原くんは「しまった」と顔をしかめる。
 なんだろう。
 今日の城原くんは変だ。
「それじゃ私――めぼしい本もないみたいだから、帰るね」
「あ」
 逃げるように。いいや、私は逃げるために適当なことをひとりごとのようにつぶやいて、城原くんに背を向けた。
「宵見」
 ぎこちない去り際をごまかすために、私は呼びかけられても振り返らない。ただ、ぴくりと声に反応してしまったのは、見逃してもらえそうになかった。
「宵見。ごめん。頼みがあるんだ」
 ごまかしきれず、とりあえずと、私は足を止める。
 おそるおそる、彼の方を振り向く。

 後ろで声がした時、私は「相子?」と振り向いていた。それくらい、聞き馴染みのある相子の声色と彼女のそれは似通っていた。
「宵見」
「城原くん、と……」
「これが、姉のつつじ」
「……こんにちは」
 駅に来るよう言われ、待っていた。現れた城原くんは、傍らにぴったりとくっつくようにした、おとなしそうな女の子を連れている。
 肩と腰の中間くらいまで伸びた黒髪。たぶん天然なのだろう、わずかにウェーブしている。大きな真っ黒い瞳、血色の良い唇。まじまじと観察したけれど、城原くんと似ているパーツは見つけられそうにもなかった。まあ、当たり前かと思う。
 彼女は私の視線に怯えるような目つきをした。それからほろりと、寝起きのように重たげに、口を開く。
「今日は、よろしく……おねがいします」

 それが、城原つつじとの出会いだった。


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