幸せになれない星の住人 8−2

幸せになれない星の住人

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8−2


 絵空ちゃんの様子がぎこちなくて、私は心配になって声をかける。
「絵空ちゃん、どうしたの?」
「う、ううん、なんでもない……」
 なんでもない、と言うけれど、絵空ちゃんのつくった笑顔はかたく、とまどっているみたいなにおいがした。
 まだ、うちとけられていないせい?
 だったらもっと、がんばらなくちゃ。
「だけどこの喫茶店、おしゃれですてき。絵空ちゃんはこんなところ知ってて、すごい」
「……そう? 去年、友達と一緒に来て気に入ったんだ」
「ともだち……同じ学校の?」
「うん、そう」
 わたしたちは電車に乗って大きな街へ行き、雑貨屋さんを見たり、たまに本屋さんで立ち読みしたりして、疲れたらこの喫茶店で休むようになっていた。店内はいつもほどよく空いていて、大きな声でしゃべらなくても大丈夫。おちついた雰囲気に包まれていた。
 だけど絵空ちゃんはここに、友達と来たのか。
 わたしの知らない、わたしじゃない子。
 その子とは、どれくらい仲がいいの?
 つい口にしそうだったけれど、わたしはその問いをおしこめた。きっと聞いたら、嫉妬でおかしくなってしまう。
 だからがんばる。
 絵空ちゃんがそんな子のことはどうでもよくなるように、もっと仲良くなるの。そうなれば、きっとぜんぶうまくいく。
 そうだ。そういえば。
「ねえ。サツキとはどのくらい仲がいいの?」
「城原くん? ……仲が良いってわけではないのかな」
「だけど、サツキのおねがい聞いてくれるんでしょう? サツキのことがすきなの?」
 わたしと絵空ちゃんの共通の話題といったら、たぶんサツキのことしかない。だから、サツキと絵空ちゃんがどんな関係なのか、知っておいて損はないと考えていたのだ。
 絵空ちゃんは気まずそうに目をそらし、少し間を置いてから答えた。
「好きとかではないよ」
「ほんとうに?」
「本当。恋愛感情とか、そういうのは本当にないよ」
 そうなんだ、とちょっと物足りなくうなずいた。
 ああ。それにしてもこれは、いつかあのふたりがやっていたように、恋バナとかしてもいい流れなのかな?
「絵空ちゃんは、すきな人、いる?」
 聞き方がよくわからなくて、変な感じになっていないか心配だった。絵空ちゃんは不意をつかれたみたいに目を見開いて、止まってしまう。それから、心のなかを探すように、目線をうごかしている。
「そうだね……初恋の人のこと、今もひきずってる感じなのかも」
「へえ。初恋」
「つつじちゃんは、好きな人いるの?」
 やっぱりわたしには恋バナとか、そういうのはわかっていないみたいだった。考えてみれば絵空ちゃんがそう訊ねかえすのは当然なのだ。それに答える言葉を、わたしは。
『猫殺しのこと以外なら、言いたいこと言えよ』
 ふいに、サツキにそう念押された記憶がよみがえった。
 わたしが猫にしていることだけは、口がさけても言うなとサツキは命令した。そんなこと言うつもりなんてない。だってそんなこと、どうでもいいもの。
 だけど。
 そのこと以外なら、なんでも話していいって、サツキは言ったんだ。
 そうだ。きっと、あのふたりがだめだったのは、わたしが最初に自分のことをはっきりさせなかったから。それでタイミングをつかみそこねて、わたしのことをしゃべる暇なんてなくなっちゃったんだ。
 今度は、はやいうちに。
 ほんとうのことをちゃんと話して、絵空ちゃんに知ってもらうんだ。
「わたしの初恋の人は、おとうさん」

 子供の頃からわたしはずっと、おうちの部屋にいた。
 学校に行ったりはしていたけれど特筆すべきことなんてなにもなくて、そこにいた人のことなんてわからない。ぜんぶ、かぼちゃやピーマンみたいなものだった。だれも、なんにも覚えていないにひとしい。わたしにとってはあの部屋がすべてだった。
 仕事から帰ってきたおとうさんはまっさきに部屋にきてくれた。時にはおもちゃを持ってきて、なにもない日でも満面の笑みをうかべて。それから母親にごはんを持ってこさせて、ふたりで食べた。母親は部屋には入れない。あの部屋は、わたしとおとうさんだけのもの。
 ふたりで遊んで、抱きあった。おとうさんはわたしのなかに何度も入ってきて、わたしはそれを受け止める。服をぜんぶ脱いだ肌を重ねあわせて、おとうさんが離れるまで、ずっと抱きあっていた。おとうさんの肌は焼けるように熱かった。おとうさんのなかみがわたしに注がれた瞬間、わたしのからだはちゃんとぜんぶがそろう。だって、自分の冷たいからだが、熱で満たされるのだから。あの部屋にいるとわたしは満たされた。そこですべて足りたの。
 ただ、おとうさんがいなくなった後部屋で横たわっていると、ひどく疲れた。疲れて、おなかのなかで獣みたいなものが暴れだす。それが気持ち悪くて、うずくまる。そんな時におとうさんの飼っていた猫が現れて――猫はころころ変わった。おとうさんは猫がいなくなるたび、買ってきた。
 あの部屋がわたしのすべてだった。
 あの部屋で、おとうさんが与えるものがわたしのすべてだった。

「だからね、わたしに初恋をくれたのもおとうさんなの」
 これが、わたしのほんとうのこと。
 人にちゃんとしゃべったのははじめてだった。たぶん、ちゃんと言えたはず。言い忘れたことはないよね? わからないところはないよね?
「ねえ、絵空ちゃん」
 知ってくれた?
 受け入れてくれる?


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