もののけ最前線!

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弐。


『やい久子、かーでがんとやらを羽織っていけ』
 慌ただしい朝のことである。普段の私は(実は)寝坊も遅刻も非常に稀なのだが、この日に限って目覚ましのセットを忘れていた。
 そんなこんなで急いでいた折に、番太郎のこの鷹揚な物言いである。
「いらない、教室暑いから!」
『何を言う。夕はまだまだ冷え込むぞ。女子が腹を冷やすなど言語道断』
「知らない、行ってきまーす!」
 まだ番太郎がごちゃごちゃ言っているが、無視して私は走り出す。
 カーディガンは自分の部屋のクローゼットに掛けてある――わざわざ二階に上がってられるか!

「おはよう、遠森さん。今日は遅かったね」
 ホームルーム間近、私はどうにか教室へと辿り着いた。息を切らして鞄を机にぶん投げたところ、仁科さんの花も恥じらう笑みが目に入る――朝からありがたいことである。
「あへへ、ハァ、ちょっと寝坊しちゃって……」
「遠森さんたら、本当、ドジねえ」
 照れ笑いを返しつつ、私は以前番太郎に『お前はどじというよりか、まぬけだな』と言われたことを思い出していた。こんな時に奴の猫面を思い浮かべることもないだろうに、自分。どうでもいいが、ドジと間抜けは同意語だよなあ。
「一時間目、体育だね。……ちゃんとジャージ、持ってきた?」
「も、もちろん!」
「ふふ、そう?」
 二年生になってから、早二週間――色々と、そう、色々(番太郎が学校に来たり番太郎が弁当を持って来たり番太郎が教科書を届けに来たり)とあったが、仁科さんとはかなり話すようになっていた。今ではこんな軽口を言ってくれたりもする。恥も掻きに掻いたが、それはそれで話の種になったりして結果オーライ……
 ……はて、このパターンは。
 思わず、窓を振り返ってみたりする。
「どうしたの?」
「いや、別に!」
 よかった、奴はいないようだ。まあ奴とて、そう何度も足を運ぶ程の学校好きではあるまい。
 一人安心してうんうん頷いているうちに、担任様が到着した。本日の連絡は特になし。実に良いことである。

「遠森さん、私と組んでくれる?」
 そして体育の時間。準備運動のストレッチでペアを組むこととなった段、仁科さんがその野暮ったいジャージに包まれてなおすらりと伸びる足を私の元へと運ばせてきた。先週ボールを投げ合った友人は、彼女の接近に伴い「じゃあ私、あっこちゃんと組むね」と離脱。こうして私は仁科さんとのペアを成立させた。彼女の先週の相棒は、他の人に乗り換えたのだろうか? もったいないことするなあ。
「『遠森』って、変わった苗字よね」
 座って開脚し、前屈の姿勢となった仁科さんの背を私は押す。うわあ、すごい柔らかい……頭が床についてしまいそうな勢いである……というか、もうついている。
「そうかな。それより、仁科さんの名前……すごく、変わってたよね? えーと、確か……『ひめみさき』?」
 位置を交替、今度は私が背を押してもらう……うおお、全然動かねえ。
「そう、『姫岬』。私のお祖母ちゃんが付けたんだけどね――お祖母ちゃん、イギリス人で。日本の名前の付け方、よくわかってなかったみたいなの」
 諦めて、私は背を浮かす。それを見て取り、仁科さんは押す手を緩めた。
「え、お祖母ちゃんイギリス人!? ってことは仁科さん、クォーターなの!?」
 前屈(になっていない)終了、私達は立ち上がる。お次は背中合わせに腕を組んで――何と言うのだったか、あの、何やら相手を背負う運動。最初は私が背負われる番だ。
「そうなの。ちょっと日本人ぽくない顔だねって、たまに言われるんだけど……」
 仁科さん、私を軽々と持ち上げる。がしかし、私の側がバランスを崩し、あえなく終了。
「ああ、実は私も、そう思ってたんだ……。そっかあ、クォーターさんかあ……すごいなあ……」
 再び腕を組み直す私達。
「もう、別にすごくはないでしょ? 遠森さんたら変なの。それで……そうそう、名前の話ね。前の学校では、『姫ちゃん』って呼ばれてたかな……ちょっと、恥ずかしいんだけどね」
 今度は私が仁科さんを背負おうと、前屈みになる。
「へえ! にに、仁科さん、確かに、うぅ……ひ、『お姫さま』って感じ、だ、だだ、もん、ねっ……ばぅっ!」
 がしかし、彼女を持ち上げてものの二秒(持ち上がってすらいない)、私はギブアップとばかりに上体を起こし、乱暴に彼女を着地させた……仁科さんの名誉のために言っておくが、私があまりにも非力なことに原因はある。あと、身長差もネックだったか。
「大丈夫? ……重かった?」
「いいえ! 全然! 全く! さながら羽のように!」
 たぶん真っ赤な顔で釈明する私に、仁科さんは白い歯を見せてくれる。
「遠森さんて、やっぱりちょっと、変……羽のようにって……へーんなの!」
「あ、あひひひ……あ、ねえ、『姫ちゃん』って呼んでいいかな?」
「いいよ? 私も、『久子ちゃん』って呼ぶね?」
「……うん!」
 おおおお、先週仁科さん――姫ちゃんと組んでいた人、どうもありがとう!

「あれ、久子ちゃん……今朝、カーディガン、持ってきてなかったよね?」
「……ウン、ソウダネ」
 体育も終わり、着替えを済ませ、教室に戻ってくると――私の机の上に、薄黄色のカーディガンが載っていた。
 ……あの猫野郎、とんだ学校好きだったようだ。
 うぜえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!

♯ ♯ ♯ ♯ ♯ ♯

「あれ、久子ちゃん。久し振りだね」
 カーディガンを羽織り、ずかずか歩く帰り道。番太郎にどんな文句を言ってやろうかと心の内側をとげとげ尖らせていたところ、二十歳程の男性が後ろから駆け寄って来た。しわの寄ったワイシャツなど着て――かなーり、適当な出で立ちをした青年である。
「あ、山茶花(さざんか)さん。こんにちは」
 心の棘をしまい込みつつ、会釈。そういえば、何気にこの人と会うのはもう何週間ぶりだったなあ、と、ぼんやり思う。
 山茶花さんは私の不機嫌状態を知ってか知らずか、眼鏡の奥の瞳を和ませて言う。
「今日、ちょっとお菓子作ったんだけど――これから、どうかな」
「え、何作ったんですか!?」
「マドレーヌ。久子ちゃん、好きだって言ってたよね?」
「はい! 山茶花さんの作るやつ、すごい美味しくて……でも……その……」
 とても魅力的なお誘いではあるのだが……山茶花さんのアパートに行くとなると。確実に……
「都合、悪いかな」
「ええっと、その……何と言いますか」
 どうしたものか。
「焼き立てなんだけどな」
「あぐぅっ……でも! ……いるんでしょう」
「……もう、来てるね」
「それにその……あのアパート、その、お住まいの方々が、何と言いますか……」
 問題は色々とある。ここで食い物の誘惑に釣られては、間違いなく微妙な思いをすることとなる……
「今日のはちょっと、上手くいったんだけどな」
「うっ……………………………………行きます!」
 ええい、先の苦労より目の前のすいーつだ!

『お前は本当に、どうしようもない馬鹿たれだな』
 築何十年だかよくわからない、震度四の地震が起きたら倒壊しそうな外観の――でも、内装は割と小綺麗なアパートの、山茶花さんの部屋(管理人室)で私は正座させられていた。ぬあああ、もう痺れてきやがった。
『忘れ物など日常茶飯事、今日など寝坊までしおって……おまけに人の言うこともろくに聞かないとは何事だ』
「……あんた、人じゃないじゃん」
『反論できないとなると、そうやって揚げ足取りだ。全く、本当にしょうもない』
 お菓子に希望を馳せてやって来れば、そこには先に山茶花さんが漏らした通り、番太郎が居座っていた――おやつに手を伸ばす間もなく、私は正座を強要させられた。正座など、今の学校教師がやらせたら間違いなくモンペ(モンスターペアレンツ)に糾弾されるというのに。
『何が怪物親か。だらしない子供を躾けるには、この程度ではとんと足りぬ』
 この教育者気取りめええ! いい加減、足が使い物にならんぞ!
 と、私が歯噛みしていたところ、台所から山茶花さんが御出座した。手には、大きめの皿とティーカップを載せたお盆――ああ、良い匂い……
「まあまあ番さん、もうそこらへんにしませんか。お菓子も冷めてしまいますし」
『何を言う。まだこの阿呆は全然反省しておらん。甘やかすな』
「まあそう言わずに。番さんもお一つどうです」
 ガミガミ喚く番太郎に、やんわりいなすような姿勢の山茶花さん。そして、お盆からは大変芳しい香り……早く、食べさせてくれないだろうか。
『久子! 全くお前は、意地汚い……こんな洋ものの菓子ばかり食いたそうにしおって、そんなだから体重の増減でぎゃあぎゃあ騒ぐ羽目になるのだ』
「う、うっさいなあ! 和菓子だって、意外とカロリー高いんだから!」
『阿呆! そんな話などしておらん!』
「まあまあ」
『山茶花! 貴様は黙っておれ!』
 いつもの如く、しょうもない口乱戦を繰り広げる私達である。
 ああ、そして、大体このタイミングで――
「山茶花、上がるぞ!」
「久子ちゃん来てるって!?」
「まあまあ久子ちゃん! ちょっと見ないうちに、大きくなったんじゃない? もう、山茶花も番さんも、来てたなら教えてくれてもいいのに!」
 ぞろぞろぞろりら。狭いアパート一室に、一、二、三人……私ら合わせりゃ五人と一匹、よくまあ入るものだよな! ちなみに私の背丈は、ここのところは数ミリたりとも伸びてやしねえ!
『ええいお前ら! まだ話は終わっとらんのだ、出ていけ!』
「いえ、入ってきていいですよ、皆さん」
『山茶花、貴様!』
 本当に、もう――とんだ騒がしい、妖怪アパートだよ。

 番太郎が人語を操ることを知る人間は、私一人である。お母さんも、奴を拾ってきたお祖母ちゃん(現在、痴呆のため養護施設に入所中)ですら、このガアガアと脳内に響くだみ声に聞き覚えがないのだ。
 人間では、一人きり。では、人間以外なら? ――そう、この町及びその近郊に住んでいる妖怪達は皆、番太郎が化け猫であることを承知しているのだ。
「この町及びその近郊」などと、さらりと言ってしまったが……そうなのだ、「意外といるんだよ、妖怪」とは、山茶花さんの弁。ちなみに山茶花さんは、お祖母さんが座敷童子だったとかで……おお、山茶花さんもクォーターか。なお、座敷「童子」とかいう割に背が高く大人っぽいのは、そんなに血が濃くないせいらしい。
 で、だ。人間の近くで生活している妖怪達は、ある程度密集してコミュニティーを築いているとのこと――この地区では、山茶花さんのアパートが拠点なのだ。今私が抱えている、たくあんinタッパーやら、チラシを切って編み込みした籠やらを持たせてくれたりした、あのアパートの住人達も――全員、妖怪なのである。皆、山茶花さん同様純粋な妖怪ではなく、ご先祖様に一人いた、というような感じらしい。山茶花さん曰く、「最近の妖怪は、大体そんな感じだね。番さんみたいな純血種ってのは、なかなかいないんじゃないかな」とのこと。
 で。あの妖怪アパートは、番太郎にとって恰好のお説教プレイスなのであった。住人全員妖怪なものだから、思う存分テレパシーしまくりなのだ。まあ、たいてい途中で他の妖怪達が乱入してきて、なあなあになってしまうのだが――一応、番太郎はこの地区の妖怪番長のようなことをしているらしいが、まあ、何と言うか、威厳ってのは何なんだろうなあ。
 本日も住人の皆さん、口煩い猫を遮ってくれてありがたくはあるのだが――しかし、私はあそこの住人がどうにも苦手なのだった。あの、田舎のおじいちゃんおばあちゃん的なノリが、何とも……嫌いではないが、少し(いやかなり)戸惑ったりするのだ。いやまあ、「人間なんて滅びてしまえ」的な、恐ろしい妖怪スタンスで来られるよりはよっぽどいいのだろうが……それにしても、やけにフレンドリーだよなあ、あの人達。
『全く、あいつらときたら……すぐに久子を甘やかしおって』
 そんな感じで、アパートからの帰り道。未だ叱り足りない様子の番太郎は、道端に人がいないのをいいことに、ぶつくさと思考を垂れ流していた。
『お前も、最近たるみ過ぎだ。中学の時の方が、まだましだったのではないか』
「あーへいへい、気を付けますよ」
『何だその適当な返事は! ……全く』
 ぶつくさぶつくさ、ぶうぶうぶつくさ、よくもこうネチネチとお小言が続くものだよ。
 そうやって私が半ば呆れていると――番太郎は、急に何やら改まって私を見上げた。
『そうだ久子、お前の級友の……あの、髪の長い娘』
「え? ああ、仁科さ……姫ちゃんのこと?」
『あの娘……』
 とそこで、番太郎は急にそっぽを向いて押し黙った。太い尻尾をもぞもぞさせつつ、また私に目を合わそうと――して、やはり猫目を伏せた。
『いや……何でもない』
 それだけ漏らして、番太郎は私の先へとっとと駆け出してしまった。
 ……何だってんだ、一体?


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