もののけ最前線!

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参。


「遠森さんって、どうやって仁科さんと仲良くなったの?」
 ある日の昼休みのことである。お弁当を広げる前に憚りを済ませてみれば、此度同級となった女子二人組に声を掛けられた。その姫ちゃんの待つ教室へ戻ろうとしていた足を止め、私は小首を傾げる。
「いや、どうって……普通に?」
「えー、何て言うか、仁科さん、ちょっと周りにバリアー張ってるっていうか……」
「え、そう? 普通に、優しいよ?」
 と言いつつ、そういえば姫ちゃん、まだクラスにあんまり馴染めてないよなあ……と、私は思い至る。いつも私とばかりいるし、体育のペアにしたって、彼女くらいの高身長の人と組んだ方がやりやすいだろうに……
「目が合うとね、何か、そらすんだよね、仁科さん」
「ええ、そうなんだ?」
「私達、何か悪いことしたかなって……仁科さん綺麗だから、じろじろ見ちゃってたのが気に食わなかったのかな?」
 いや、私も割と頻繁に、じろりらと眺めているのだが……て、そうじゃなく。
「うーん、わかんない、かな?」
「そっかあ。あ、変な事言ってごめんね。じゃあね」
 そうして二人組は去っていく。
 その姿を見送りつつ……うーむ、何だか、私は微妙な心持ちとなる。
 いや、彼女達にも、純粋に姫ちゃんと仲良くなりたいという願望はあるのだろうが――色々あったせいで、つい穿った見方をしてしまうのだ。例えば、「どうして遠森さんみたいな地味な子とばかり一緒にいるの?」とか、「仁科さんたら、お高く留まってるんじゃないの?」とか。
 うーむ、何と言うか……
 そういや番太郎の奴、姫ちゃんがどうのとか、言いかけていたような……
 いやいや。ここで奴の言うことをいちいち気に掛けていては、あの時の二の舞じゃあないか。
「全く、勘弁してほしいよなあ……」
 戻ろう、教室に。

「久子ちゃん、どうしたの?」
 ……しかしまあ私は、よくよく顔に出る人間だったようで。心の薄もやを姫ちゃんに悟られてしまった。慌てて口に含んでいた卵焼きを飲み込み、首を横に振る。
「別に!」
「そう?」
 切れ長の目を、しぱしぱ瞬かせる姫ちゃん。
 いかんいかん、引きずってはいかん。
「でも嬉しいな……こうやって、久子ちゃんと仲良くなれて」
 ……心の中、一人悶々と邪念を払っていたところに、とんだ衝撃をお見舞いされた――何て可愛らしいことを言うのかな、この子は!
「そ、そんな! 私なんか別に!」
 頬の温度が一気に上昇する――おああ、姫ちゃんの顔を直視できない!
 と、悶えていたところ、姫ちゃんは至極真面目に――少しだけ悲しそうな声色で、言葉を紡いだ。
「ううん……あのね、私、どうも周りに対して壁作っちゃうっていうか」
「え……」
 これは……さっきの女生徒達の話と、同じ?
「ほら、私、その……皆とちょっと、違うから」
 それは、「クォーターだから」ということだろうか?
 ついまじまじと、姫ちゃんの目を覗き込んでしまう。すると彼女は、ほんのり唇を綻ばせた。
「だから、ね。こうやって人と仲良くなれるの、すごく、嬉しいの。変な事言うけど……久子ちゃん、昔の友達と雰囲気似てるの」
「え? 昔の?」
「お祖母ちゃんの知り合いの人の娘さんで――イギリス人なんだけど」
「ええ!? わ、私、全然全く、日本人顔なんですが!」
「顔じゃなくて、雰囲気がね。だから、話しやすいっていうか……」
 へ、へえええ……。いや、私も実は、「こんな美人の子が自分と仲良くしてくれるとは……」などなど、考えたことはあったのだが……そうか、そんな理由があったのか。
 姫ちゃんにそう言ってもらえて、とっても嬉しいよ、でも、姫ちゃんなら他の子とも仲良くなれるって! ……と、慰めのようなものを私は口にしようとした。
 しかしその時である。
『……久子。その、仁科という娘は……』
「あ、遠森の猫だ」
 ……おいおい、今日は忘れ物なんかしてないぞ。していたとして、もう昼休みも終わりだ、今更届けられたって嬉しくもなんともない。
 私は窓辺に、心持ちずかずかと足音を苛立たせて近付いた。番太郎は、この前のように、何やらもじもじ、伝えるのを渋っているような様子だった。
 ――構うものか。
「……帰って」
『久子』
「早く、帰ってってば」
「おいおい遠森、冷てーぞ!」
「そうだよ、猫ちゃん、せっかく来てくれたのに」
 うるさいな、家庭の事情に口出ししないでくれないかな。
『……わかった』
 そうして番太郎は、特に何かするでもなく――『仁科は、仁科は』と私によくわからないものを植え付けるだけ植え付けて、木から飛び降りていった。
「久子ちゃん……どうしたの?」
 不細工な猫に対して大分つっけんどんな態度を取ってきた私を、姫ちゃんは心配そうな面持ちで迎えた。
 私はできる限りの笑顔を取りつくろって、言う。
「別に? 何でもない」
 何でもないのだ。
 あいつの言うことになど、耳を貸してはいけないのだ。

♯ ♯ ♯ ♯ ♯ ♯

 ――耳を貸してはいけないと、思うのになあ。
 それから私は時折、姫ちゃんに対して妙な視線を送るようになってしまった。姫ちゃんはそれに気づいては、「どうしたの?」と控えめに訝ってくる。
 その姫ちゃんの顔を見る度――こんなこと、考えてはいけないのに――私は、「本当に、私なんかといて楽しいのか?」「私のこと、内心どう思っているんだ?」という疑念に捕らわれてしまう。
 ……これじゃあ、中学の時と一緒だ。

 番太郎が初めて私に話し掛けた時――その時はお父さんが死んでしまっていて、お母さんはそれまでの専業主婦生活から一変、仕事に追われるようになっていて、お祖母ちゃんも丁度養護施設に入ってしまっていて――随分寂しい思いをしていたものだから、特別な話し相手ができて、私は大喜びした。それまでは家に帰っても誰もいないから、と遅くまで友達の家に入り浸っていたのに、掃除が終わるや否や通学路を直走るようになっていた。番太郎がお話しできる猫で、誰の気持ちも読んでしまえて、とんでもなく感激したのだ。
 けれども、中学の時――番太郎に『お前の友人、お前のことを本当は××だと思っているぞ』と指摘されてしまってから――私はこの化け猫の力を、煙たがるようになった。
 だって、知りたくなかったよ、あの子が私のこと「うざい」とか「わざとらしい」とか、思っていたことなんか。知らなければ――そのまま、普通に、仲良くできたのに。変な顔をしてしまって、不審がられることもなかったのに。
 番太郎は『本音でぶつかり合えない友など、本物ではないだろうが』なんて、正論らしいことをぶっこいていたが。だけど、別にいいじゃあないか。たまにちょっと嫌なことを思ってしまったり、正直鬱陶しくなってしまったりとか――それでも一緒にいて、楽しい時には笑い合う。それで、十分じゃあないか。それが、人付き合いってものだろう?
 その時は私も本気で怒って、泣きべそかいたりもしたものだから、番太郎もあまり友達の心を読んだりはしなくなったけれども――それでもたまに、奴は余計な助言をしようとしてくる。知りたくなんかなかったよ、坂巻先生が脚フェチで、女子生徒のふくらはぎばっかり見ていたことなんか。
 本当に、もう、いい加減にしてくれよ。

「久子ちゃん……最近、変だよ?」
 姫ちゃんが、私の様子を気に掛けてくれる。
 くっそう、姫ちゃんが一体何だって言うんだよ、あのブタ猫め。
「そ、そう?」
 また、無理矢理口の両端を吊り上げて、精一杯「何てことないよ」とアピールする。
 けれどもいかんせん、私は作り笑顔が下手で――ああもう、本当に嫌になる――姫ちゃんは、鈴蘭のようには微笑んでくれない。
「……そう、だよ」
 ああ、最悪だ。
 本当にもう、嫌になる。

♯ ♯ ♯ ♯ ♯ ♯

「やあ、久子ちゃん」
 とぼとぼ歩く、帰り道。山茶花さんが優しい表情で挨拶してきた。それを見て私は、「座敷童子のくせに、この人しょっちゅう家から出てるよなあ……」と何とはなしに思った。気分転換に、そんなどうでもいいことを本当に訊ねてみる。
「山茶花さん、家から出ちゃって大丈夫なんですか」
「ん? ああ、別に、俺には大して家屋を幸福にする力もないからねえ。家の状態は常に把握できるけど、状態を良く保つには自分で何とかしなくちゃならないんだ。まあでも、あのアパートも、俺がいるおかげで多少は見目良くなってるからね。なるべく、離れないようにはしてるんだ」
「はあ……そうですか」
 訊いといて何だが、本当にどうでもよかった。しかしまあ、あのアパートの内部が意外と快適な理由がわかって、すっきりしないでもない。
「そうだ、久子ちゃん……仁科さんて子のことだけど」
 ……おいおい番太郎よ、山茶花さんにまで余計な事を吹き込んだのか?
「……放っといてください」
 私はろくな愛想もできずに、その場を立ち去った。

 家に帰るなり、私はお母さん――今は再婚相手も見つかって、再び専業主婦に舞い戻っている――に「ただいま」も言わず、自室に飛び込んだ。ああ、これはまずかったなあ……確実に、奴が文句を言いに来るから。
『やい久子、母上殿に挨拶もなしか』
 ほら来た。
 私はベッドに突っ伏したまま、顔も上げずに吐き捨てる。
「……出てけ、化け猫」
『何だその態度は。挨拶は日々の基本で――』
「……うっさいなあ。あんたには関係ないでしょ」
『自分の事もろくに出来ん奴が、何を言うか』
 ――もう色々、限界であった。
 はっきり、言うだけ、言ってやろう。
「……もう、学校に来ないでよ。余計な事、しないで。言わないで。はっきり言って、もう、迷惑だから」
『それはお前が、だらしないから――』
「もう、忘れ物もしないようにするから」
『ふん、出来るならとっくに出来て――』
「出来なくてもいいよ。忘れても、友達に見せてもらえるから。わざわざ、あんたが届けに来ること、ないから。もう――関わらないでくれないかな、勝手に友達の心読んで、私に変な助言しようとしたりとか、さ。迷惑なの」
『何を。こっちは心配して――』
「だから! 余計なお世話だって言ってんのよ! あんた、妖怪でしょう!? こっちの事情に口出ししないでくれない!? あんたなんかに、関係ないの!!」
 シーツをぎゅっと掴み、相変わらず、顔も上げずに――私は叫んでやった。ああ、お母さん、何だと思うかな。
『……そうか』
 番太郎はそのまま、重たい身体で足音も立てず、気配を遠ざからせていった。
 ――これでいいのだ。これで。


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