しごく残念な僕らのクリスマス

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「いやぁ、前髪ぱっつん黒髪ロング系キャラって今までピンとこなかったんだけどね? ようやく良さがわかったっていうかさ、いや、まだ一人だけだからなんともいえないんだけどね、きれいに揺れるストレートの長い髪にギリっギリ眉毛が見えそうな切り揃えられた前髪! バランスが絶妙すぎてなんだか見てるだけで幸せなきぶんになれそうでキャプとか集めまくっちゃって」
「……まあ、可愛いんだろうなっていうのはわかるよ」
「そして普段表情が硬めだからこその油断した顔! ツンケンしたキャラではないけどそこまで表情が崩れることもなくって、でもでも、心を許した対象にだけ、しかもほんっとうに気を抜いた瞬間にだけ見せる笑顔! 笑った時の口元の描写も外せないね! こぅ、ふにゃっと、閉じられた口がめいっぱいムズムズしてる感じっていうかさ――」
「わかった、もう、わかった。ましろちゃんが可愛いのはもう、重々承知してるからさ」
 ついでにましろちゃんが「思わずちゃんづけしたくなるかわいさ」であることも肝に銘じている。
 そして問題はそこではないのだ。
「で、ましろちゃんの誕生日が12月24日である、と」
「うん、そう」
 音無はさながら「うちの娘もうすぐ三歳なんですよー」と同僚に写メを見せる会社員のごときデレようである。僕はそれに対してひそめたくなる眉をもう少しで隠せなくなるラインまできている。いや、前髪の下ですでにひそめている可能性すらある。
「ましろちゃん、身長体重はまだ公式で出てないけど、誕生日は12月24日だって作中で明かされたんだ! まさに聖女!」
 ちゃぶ台を盛大に叩きながら子供のような声音ではしゃぐ音無に、僕はもう限界、溜め息をつくのだった。
 事の発端は、今日も今日とて授業後音無宅にお邪魔し、会話が適当に途切れたところで来週に迫った12月24日の予定を訊ねたことだった。「今年は休日だし、音無、どうせ暇だろ、なら」と口にしたところで奴は目を輝かせ、「重大な予定が、あるんだよ!」と宣言した。わりと予想外な返答に言葉をなくす僕に降ってきたのが、冒頭のましろたん……じゃなくましろちゃんトークである。正直すでに聞き飽きた内容、そして僕がとりあえず言っておくこともまたお約束ではあった。
「ましろちゃんましろちゃんって、リリオたんはどうしたんだよ、浮気だな」
「ましろちゃんはこういっちゃなんだけど今のブームであってさ、リリオたんはなんていうか……もう、人生だから」
「ああ、そう、かい」
 人生、というのは何気に初めて使われたフレーズである。しかし、どこかで聞いたような覚えがあるのは気のせいか。
 だが。ましろちゃんの誕生日が12月24日である、そんなことを発表されたところで僕の質問に答えたことにはならないのではなかろうか。にっこぉーっと上機嫌な音無を見ているうち、ようやくその疑問に至る僕である。アニメキャラの誕生日、だから、何?
「まさか、お誕生日会でもやるってんじゃないだろうな」
「そうだけど?」
 がく、と肩から力が抜け落ちた。きっと僕の目はUMA(しかもチュパカブラとか気持ち悪くてかつ危害加えてきそうな系)でも目にしたかのように歪められているに違いない。それに気づいてか、音無は人差し指を立てながら懇切丁寧な説明を始めるのだった。
「まぁ、お誕生日会っていうとちょっとちがうのかな。まず、12月24日零時ちょうどから、スレで『ましろちゃんおめでとおおおお』コールを開始します」
「ああ、某ネットの掲示板の、ましろちゃん好きが集まるという場所で」
「そう。おめでとうメッセージでスレを埋めつくすんだ。そのうち、スレ住人が描いた誕生日イラストとか、誕生日記念自作グッズとか、はては誕生日ケーキなどが、うぷされ始めます」
「うぷって……ああ、アップなup。え、ちょっと待て、誕生日ケーキ作ってスレに晒してどうすんだよ。誕生日ケーキって本人に食べてもらうものであって、って、アニメのキャラが食べてくれるはずもなく、っていうか現実で誕生日の日が来ても作中の時間と違うんだからキャラが歳とるわけでもな」
 僕のツッコミを遮り、音無は立てた指でぐるぐると円を描いた。
「ったくヨシノはわかってないなぁ、気持ちだよ気持ち。彼女のためにとにかくなにかしたい! っていう。で、スレのお祭り騒ぎをしばらく眺めつつ、午前2時過ぎくらいから絵チャする予定なんだ。あ、絵でするチャットね」
「絵でチャット……あれ、きみ、絵描けたんだ? 見せろよ」
「いや、描かない人でも参加はできるんだよ。普通にメッセージの書き込みをね。いやぁ、めちゃめちゃいい絵描く人見つけちゃってさー。なんていうのかな、絵のレベルもさることながら、作品の解釈が逸品っていうか! みなぎる愛を感じるね! で、そこに貼られる絵や誕生日四コマなどを眺め、感想をレスし、ひたすらましろちゃんが生まれてきてくれたことへの感謝を叫ぶ。だいたい12時くらいまでかな」
「12時って……おい、12時!? 2時から12時までっておかしいだろ!」
「出入り自由だからさ、途中から来る人抜ける人とかいるんだよ。まぁ、ボクはずっといるけど」
 さらりと十時間耐久を公言されてしまっては返す言葉もない。と思いかける僕であるが、そこで口を閉ざしてしまってはこちらの目的が一切達成できないではないか。
 努めて冷静に、僕は確認をとることにする。
「とりあえず、午後からは暇なんだな?」
「いや、寝るよ」
 にべもない答えだった。
「はあ!? きみ、せっかくの」
「だって前日から準備で忙しいしさー。きっと12時には完全にオチてるよ」
「準備て」
「ケーキに載せるチョコにましろちゃんの顔を描くんだ」
「きみもケーキ捧げる組かよ! ってか、絵は描かないってさっき」
「だから気持ちが大事なんだよ、愛だよ愛」
 ……もはや何度目であろう、返す言葉もねえ。いっそのこと「好きにしろよ」と放り投げてやりたいくらいである。
 ただ、それでもなお僕の中の引き下がりたくない気持ちは枯渇していないようだった。心持ち拳を握りしめ、ちゃぶ台を挟み正面に座る女を見据える。
 12月24日はましろちゃんの誕生日。
 しかし、それよりなにより、世間一般的にはこの日は。
「……6時間も寝れば、十分だよな」
「え?」
「12月24日、夕方から、一緒に飯でも食おうじゃないか」
 少しばかりかしこまった風な僕に、音無はぱちくりと目を瞬かせた。考えてみればこうして人を誘う、というのはどのくらいぶりだろう。いつも音無とはわざわざ約束の取り交わしなどしてこなかった。だから若干声が上ずってしまったのは、きっとしょうがないのだ。
 が。
「えー……」
 久方ぶりの勇気に対し向けられたのは、心底面倒臭そうな声だった。僕はわりと慌ててちゃぶ台に手を乗せ追撃を余儀なくされる。
「えーって……いや、ひどくないか普通に!」
「だってねぇ……たぶん12時にオチたら余裕で8時間は寝そうだし。起きたってまだましろちゃん誕生日は続行だよ? スレの経過確認してー、アニメ観返してー……」
 ひーふーみー、とその後の予定について指折り数える音無である。その様子だけうかがうとさも忙しい人のようだ。が。
「その、それって、そんなに重要なことか」
「なに言ってんだ! ましろちゃんの誕生日だぞ!」
「当たり前のようにっ……このアニオタクリスマスイブぼっちが!」
「アニオタクリスマスイブぼっちってなんだよ! ……って、ヨシノ、まさか。イブに一人きりとか寂しいなーとか思ってるの?」
 ぶさり、と鈍い音がした。気がした。
 オタクのノリに思わず少しばかり切れてしまったらこのザマである……それにしても音無よ、直球すぎるだろ。
 そのあんまりにもぞんざいな言い方に異議を唱えそうになる僕である。が、しかし。ここで反論するのはどうか。反論した上で話を上手く持っていく、それは大手間じゃないのか? ぶっちゃけ、認めた方が話が早いんじゃね? っていう。
 僕はなけなしのプライドを捨て去り、うつむき加減にこう言うしかないのだった。
「……友達と一緒に、イブを過ごしたいんです……」


 帰りの電車で座り損ねて揺られつつ、今年のクリスマスイブの予定はいかようですか、とメル友のさゆりさん(主婦・三十八歳)に聞いてみる。すると、ものの一分で『クリスマスなんかよりも誕生日押さえる方が重要よ!(血気盛んっぽい顔文字)』との返信があった。ふむ。しかしその理由がさゆりさんの旦那さんの誕生日が12月23日であり、翌日にイベント重ねるのはめんどいよな、みたいな感じであることは以前に判明している。タイミングって重要だ。
 携帯をぱくんと閉じて一息。そして考える。
 さて、クリスマスイブとは。
 仏教徒が祝うのはどうなのとかイブイブとはしゃいで当日疎かにしすぎだよね、みたいな議論はこの際脇に置いておこう。重要なのは世間一般的な位置づけだ。
 クリスマスイブに一人身は寂しすぎる。
 また、家族と過ごすってのは大学生的には負け(独断と偏見)。
 高校生ですら恋人、友人同士で集まり皆でわいわい過ごしているではないか。
 僕は生まれてこのかた恋人どころか友人らしい友人もなく(リアルで)、イブに他人と過ごす経験はしてこなかった。昨年は奇跡的に彼女がいたわけなのだが、相手のバイトのシフト上会うことは叶わなかった。あの時涙を呑んだのはいい思い出だ。
 だからこそ。今年は音無という友達がいて、たぶん奴の交友関係からして一緒に過ごす相手は僕くらいしかいないのであろうな、バイトもしてないしな、一緒にいられるだろうな――と、期待していたのだ。
 しかし。僕とは違うぼっちである音無は、笑いながらこう言ったのであった。
『クリスマスに一人は寂しいとか、こだわるのって馬鹿馬鹿しくないかい?』
 にべもない。そして、確かにそうなのだ。周りがどうであろうと、気にすることなどない。むしろ気にしすぎる方がどう考えたって負けだ。
 一応その音無も、夕方から部屋でいつものように食事することには同意してくれたわけなのだが。
「はあ……」
 なんとなく、溜め息が漏れてしまう。
 ふと車内に向き直ってみると、「クリスマス――」とどこぞから単語が耳に入ってきた。ロングシートのはしっこで、僕と同じ歳ほどの男女が見つめあって楽しそうにしている。イブはどこに行こっか、イルミネーションは外せないよね、とでも約束しあっているのか。
 ――なんとなく。
 つまらないな、と目をつぶった。


 そうこうする間に今年も誰にもやってくるクリスマス(イブ)。地上には浮かれたカップルやら気兼ねなく共に行動している友達同士たちやらが溢れかえっているのだろう――だから僕は地下にいた。それも、数階建ての大型本屋の、日常生活には必要なさそうな専門書ばかりが並ぶ地下階である。
 音無との約束は午後7時、現在時刻は午前11時。家を出るのは午後6時前かそこらでいいはずなのであるが、僕は先走っていた。
 ようは単なる見栄張りだ。親に対して、「朝から友達と遊びに行くんだ!」とポーズを取りたかった、それだけ。ここらへんの行動は高校時代からのセオリーだった。
 さて。音無の影響かなんなのか自然と本屋に足を伸ばしてしまったわけだが、どうしたものか。一人で本屋に長居したことはないため、時間の潰し方がわからない。小説等置いてあるような階だったら暇に任せて一冊読破などという迷惑行為に及べるわけなのだが――心なしかカップルっぽい人々をよく目にするので上に行く気にはなれない。
 フロアをぶらつきつつ、音無は今頃絵チャのラストスパートか、と想いを馳せてみた。
 ――もしも。
 ましろちゃんの誕生日が今日じゃなくて、音無になんの予定もなかったのなら。
 とりあえず、変に気にすることなく本屋の上の階には行けただろうな、と思う。いや、音無のことだからこのような普通の本屋ではなくて、アニメショップの方に行きたがるだろうか。漫画の品揃えがよくてポイントも溜まるから、とはしゃぐ音無。いやいや、イベント事に興味はなさそうだがさすがにイブくらいは空気を読むか? アニメ漫画は控えてなにかしらクリスマスっぽいものを見に行く方向に流れるかもしれない。僕らは、明るい街の群衆の、ちゃんとした一員に見えるだろうか? いやいやいや、音無に限ってそれはないかな。ただ街をぶらつくという発想がそもそもないだろう。むしろ、あえてイブにこそアニメショップか。こういう日の客層とはどんなもんなんだろうか。ああ、特別な日に、そういう風にして誰かと過ごすというのは――
 足を止めた。そして一つ吐息、意味のない思考に栓をした。
 ふと目の前の棚を見ると、毒々しい赤色をしたキノコ、の写真が鎮座していた。「毒キノコ図鑑〜これであなたも大丈夫」との書名。ふむ。おそらくこの先の人生で役に立つ機会はなさそうであるが、ひとまず大丈夫になってみようではないか。そうふざけ気味に本を手に取ってみた。
 結局図鑑に没頭し気がつけば昼時はとっくに逃し、店に入るのも癪なので空腹を抱えつつ別の本屋に行くことにした。そうやって自分の人生に関係なさそうな本を読み漁るうち、意外と速く、時間は過ぎていたのであった。


 そして午後7時十分前、僕は冷たい風に吹かれつつ音無の住むアパート一室のチャイムを鳴らした。そう間を置かず、誰が来たかと確認されることもなく、ドアが開く。僕は扉を開いた音無からなんとなく微妙に目をそらし、挨拶した。
「……めりくり」
「あぁ、めりーくりすます、イブ?」
 わずかに首を傾げたところで僕を招き入れる音無である。それから僕らは、いつものようにちゃぶ台に陣取った。
 と、そこで音無がふぁ、とあくびをしながら、訊ねてきた。
「あれ、ほぼ手ぶらじゃん」
「え、まあ、そうだな」
「てっきりなにか……食材とか買ってくるのかと」
「ああ……いや、音無と一緒に行こうかと思って」
 その瞬間。
 音無は数秒こちんと固まった。それからその顔をこれほどなくわかりやすい感情をたたえて歪めたのを、僕は見てとった。そして、その反応にそれなりに気まずさを覚えた。
 奴が口を開くのを制す。出てくる言葉は決まっているのだ。
「寒いから外に出るのがめんどくさいのはわかる」
「わかってるなら……かんべんしてくれよ」
「だけど、こっちにも事情があるんだ」
「えぇ……事情って。あ。まさか、イブの日に一人で買い物すんのは辛いなーとかなめた理由じゃないよね」
「そのまさかだよ!」
 いやいや気にしすぎだろ、と呆れた表情を浮かべる音無に、僕はできるだけみっともなくならぬよう、嫌味でない程度に論理的に、自らの心情を述べた。
 だって、クリスマスイブだ。夕食はなんといってもチキンとつくものが必要だろう。というかこんな機会でもなければなかなか食べられるものではない。イブくらいは脂っこくいきたい。しかし、お父さん風でもない青年が、一人で某チキンがありし店のクリスマスバーレルを求めて並ぶというのは、いかがなものか。周囲からどう見られようと、仲睦まじくチキンを注文する人々を見ているだけで軽く死ねる。
「お願いだから、ついてきてくれ……」
「えーと……めんどくさいからとかでなく、でもうろ覚えだからちょっとわかんないんだけどさ。例のフライドチキンなお店って、クリスマスは予約してない人には販売しないって噂があるんだけど」
「えっ」
「まじで」
 思わぬところで夢を打ち砕かれた。下準備ってなんて大事なのだろう。
 どうしたものかと、僕は早く早くと考えを巡らせる。こちらが詰まる時間が長くなるほど、ろくなことにならない気がしたのだ。
「なら! 近くのスーパーで、気分だけでも、鶏を買おう」
「そこまで立派な鶏、学生ごようたしスーパーに……」
「最悪でも鶏の唐揚げくらいは食べようぜ!」
「そんならボクは行く必要な」
「さ、一緒に行こうか、もう腹が減って仕方がないんだよ!」
 有無を言わさぬ口調で音無を促す。音無はさんざん渋い顔をした後、「まぁ、スーパーならそこまで遠くないしね……」と腰のおもりを解いてくれた。
 そうして僕らはコートを着込み、いざ、外へ――
 次の瞬間、冷たい風と共に氷雪が頬を打った。
「え……白っ!?」
「うわー、すごい雪、だねぇ……」
 そんな馬鹿な。先程までは多少雪がちらつく程度だったというのに、なんだこの猛吹雪は。たかだか十数分で。どうして突然牙をむく。っていうか冷たさとあられ強度の雪のせいで頬がめちゃくちゃ痛いのだが。
「あー……今日、荒れるって天気予報でいってたもんねぇ……」
 音無はしみじみと、しかしどこか安心したように雪景色を眺めていた。それを目にして、僕は、一瞬前までは「まぁぎりぎり前は見えるよな」と開きかけていた口を閉ざす。
 胸の奥が、地味な風味にちくりと痛んだ。改めて、自然な感じで口を開く。
「……冷蔵庫に何かある?」
「えーとねぇ、そうそう、タラコあるよ」
「なんでそんな高級品」
「いや、親がなんか送ってきた」
 じゃータラコスパでも作るかー、と僕は乾いた声音で言う。音無が「なにか手伝うことある」と訊いてくるのを、笑いながら受け流す。
「いいよ、きみはアニメでも観てれば」
 そうして一人、台所に立った。


 期待しすぎるからこうもがっかりしてしまうのか。置かせてもらっているエプロンに手をかけながら、うつむき気味に思う。
 クリスマスイブ。リアルが充実している人たちはとりあえずと街を歩いて、そこかしこに置かれたクリスマスツリーを冷やかし、暗くなったらイルミネーションを楽しむ。きっといつもとは違う店で食事をするのだろう。友達同士だったら誰かの家に集まって、普段の宅飲みとは一味違った鍋でもするのかも。
 そこまで望んでいるわけではなかった。
 ただ、少しだけ――今まで味わえなかった空気の断片でも、誰かと共有できたのなら。
 結局、今年もイブは、いつもと変わらず。特別なことは欠片ほどもなかった。
 だいたい、音無も音無だ。少しくらい外に出てくれたっていいのに。一徹くらいならば遊べないこともなくないか? いや、それ以前に、せっかくのクリスマスイブなのに、アニメアニメって――
 エプロンの紐を結び終え、溜め息。
 わかってはいるのだ。こうして音無を我がまま呼ばわりしてみても、自分だって大差ない。一人で街を歩きたくない、店に入りたくないというのは僕の我がまま。イブはそういう日なのだと、勝手にこだわっているだけ。本来なら休日はろくに会いもしないのだから、音無が夕方だけでも付き合ってくれることに感謝すべきなのだ。それ以上を望んで、友達に少しは譲ってほしいなどと傲慢な願いを抱いて、自分の思い通りにいかないと気分を曲げて――
 いけない、考えれば考えるほど気持ちが落ちていく。ご飯時に暗澹とした気分になるのは悲しすぎる。そろそろやめて、今日が12月24日だということを忘れて、いつものように過ごそうじゃないか。
 もう一つだけ吐息を漏らしてから、僕は冷蔵庫を開けた。
「あ……」
「どうしたの」
「ケーキ……」
 一番広い段に、でん、とそこそこ大きい真っ白なケーキが手つかずのまま置かれていた。周りをふちどるホイップクリーム、苺、そして大きなホワイトチョコには見覚えのある顔が描かれている。
 てっきりケーキも自作するのかと思ったが、市販のホールケーキに手を加えただけのようだった。
 愛、ね。
「……てっきりスレでも見ながら一人でケーキ食べてるかと思った」
「あぁ、それは……」
「あー、ましろちゃんの誕生日いっぱいはとっとこう、なんて? まあ、そのくらいはもつよな」
 そう納得してから冷蔵庫を改めて見回す。えーと、タラコタラコ、と……
 と。
 ふいに、背後に音無が立っていた。しゃがんだ僕は、背の小さい奴を見上げる形になる。
 音無は僕と目が合うと少しだけばつが悪そうにして、それから――あれ、背中に何か忍ばせているではないか。その腕を、もじもじと、前へ。
「これ……」
 僕に向かって、両手が伸べられる。目の前に現れたのは、オレンジ系のチェック柄の、手袋……いや、鍋つかみ?
「その、食事の後にするべきかなーと思ったんだけど、スパゲティ茹でるのに渡さないのもどうかなーと思って」
「え……これ、何」
「だから……クリスマスプレゼントだよ」
 知らず目を見開いて、動作を停止していた。
 クリスマス、
 プレゼント、
 ……プレゼント?
「だって、せっかくのイブ……なんでしょ?」
 音無は、ん、と鍋つかみ、プレゼント、を僕に更に差し出す。しかし僕はその様を頭の中で理解して、何が起きているのかわかっている中、身体だけがどうしても呆けてしまって何もできないでいる。
 そんな僕に音無は、追撃をかけるのだ。
「ケーキもさ。それ、時期的に店にあるのクリスマスケーキっぽいやつばっかりだったから、ちょうどいいかなって。鶏より、クリスマスケーキの方がクリスマスっぽいよね?」
「あ、ああ……」
「ご飯の後で、一緒に食べよう?」
 確かに。クリスマスといえば七面鳥だの鶏も捨てがたいものだが、最重要食べ物はケーキだ。なによりもクリスマスっぽい。
 いい加減開けっぱなしだった冷蔵庫を手を伸ばして音無が閉めた。僕は未だにどうしていいかわからない。
 だってこんなの、あんまりにもサプライズだ。まさか音無が、あれだけましろちゃんの誕生日と言い張って、そのくせ、クリスマスの大事なことまで心得ているなんて。アニメのことしか考えていないと思っていたのに――
「ん、アニメ……?」
「どうしたんだよ。っていうか受けとれよヨシノ」
 音無が眉をひそめる。僕はその手に視線をスライドさせる。
 プレゼントの、鍋つかみ。
 一見なんの変哲もない鍋つかみのようであるが、その、どこかで見たことなかったか?
「そうそう、この狐っぽいエンブレム……ああ! これ、ましろちゃんが使ってる鍋つかみじゃねーか!」
 叫んでから完全に思い出した。そう、このオレンジチェックの鍋つかみ、作品のわりと前半の話でましろちゃんが装備していたものだ。ましろちゃんの料理の腕は微妙にイマイチだったらしいがしかし、って、そんなことはどうでもよくて、だ!
「お前! よりにもよってクリスマスプレゼントアニメグッズにするとか最悪だろ!!」
「はぁ!? こっちがヨシノなら台所用品とかいいよな、あ、12月下旬にましろちゃん鍋つかみ某メイトで発売かぁ、って、せっかく選んだのにその言い草かよ!」
「途中から完全にアニメグッズ収集に目的すり替わってるだろうが! どうせこの鍋つかみも、『ヨシノにあげても普段はボクの家のものだよね』とか手元に置いとく気まんまんなんだろ!」
「あぁそうだけど!? プレゼントってのは自分がほしいものをあげるのがセオリーなんだろ!」
「もっともらしいこと言うなこのアニオタクリスマスイブぼっちが!! つーかこの鍋つかみ、ちゃんと使えるつくりなんだろうな!!」
「知らないよこの元祖クリスマスイブぼっち! 破いたりしたら承知しないからな!!」
 勝手にアニメグッズプレゼントしといて何言ってやがんだ、こうなったらさんざん使い古してやんよ! と、続けようとした――その時、向こう側からドン! とすさまじい音が響いた。
 ……どうやらお隣さんから、「うるせえ静かにしろ!」とクレームが入ったらしい。
「……このケーキにしても、結局ましろちゃん誕生日のついでじゃねーかとか色々言いたいことはあるけれど、その、なんていうか……ありがとう」
「さんざんイブイブって騒いで当のヨシノがプレゼントも用意しないとか正直どうかと思うけど、とりあえず、どういたしまして」
 僕たちは小声で、話の収拾をつけることにした。
 それから鍋つかみを確かに受けとって、再び冷蔵庫を開ける。音無は何も言わずに、棚から鍋を出してお湯を注ぎ始めた。僕らは黙々と、料理の準備を進めていく。
 ――なんというか。
 結局いつも通りはいつも通りで、僕たちはどこまでいってもクリスマスバージョンなんかじゃなくて僕たちなのだが。
 どこかすっきりした気分なのは何故だろう。
「あー……音無」
「なに」
「そういえば音無の誕生日っていつだったっけ」
「え? 2月23日だけど」
 なんでこのタイミングで、と首を曲げる音無を無視したふりで、僕はまな板の上に食材を並べていく。台所用品で、それらしいメーカー以外でも作れそうなものといったらなんだろう、と軽く考えてみる。ましろちゃん包丁……はさすがに発売されなさそうか。
 そうこうするうちに普段とさして変わらぬスパゲティが完成して、僕らは一緒に食べ始めた。BGMがてらテレビをつけて録画したアニメをセット。「食事時にましろちゃんは危険だから!」と、僕としては初めて観る、なにやら懐かしい感じのする絵柄の番組を鑑賞した。その途中で食べ終わったタラコスパの皿を下げ、出でたるは音無特製ましろちゃんケーキ。
 そういえば。クリスマスが毎年やってくるように、ましろちゃんの誕生日は来年にもあるのだ。その頃の音無ははたして、まだましろちゃんブームの最中にいるのか、否か。
「……来年は、もうちょい可愛くましろちゃん描けるようになってるといいな」
「ほっとけよ」
 来年もこんな感じでも、そこまで悪くはないのかな。
 不本意ながら、そう思うのだった。


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