推定都市伝説、探偵中。  ―暫定テロリストの礼節―

prev/top/next


二。


「いや、やっぱおかしいだろ」
 そして次の日木曜日。時刻はまたもお昼時。
 口火を切ったのは要子だった。
「ほぇ? 何が?」
 コーヒー牛乳のパックをじるじるすすりつつ、実里枝は「ぽかーん」という文字を額に張り付ける。
 そんな彼女にぼけなすを見るがごとき視線を送りつけた後、要子は言う。
「昨日の話だよ、やっぱ『変な男の遊び心でしたー』で済ませらんないだろうよ」
「どういうことかな、イリコさん」
 と、そこにタイミングよく子女ヶ原が歩み寄ってきた。その顔に張り付くは、虫かごの中今にも孵化せんとしているさなぎを観察するような笑み。
「昨日のしじょかさんの話を聞いて、私なりに色々調べてきたわけよ……あのくそ兄貴にも色々聞いたりしてな。あの野郎、やっぱり騙してやがったよ」
「あはは、やっぱりあの人、わかってやってたのか」
「『最近の女子高生は騙しがいがあるな』とかなんとか、変態顔でニヤつきやがってよっ……あの野郎、死ねばいいのに!」
 屈辱に顔を歪め、要子は机を拳でダンダン叩く。
 そんな彼女を見て、子女ヶ原は得心したかのように微笑みを強くする。
 そして実里枝は、つい一言。
「そんなお兄さんまで頼って……要子さん、昨日のこと、よっぽど悔しかったんだねえ」
「ミリえもん、少し黙ろうか」
「むご」
 素直に感想を漏らした実里枝の口を、要子は自らの弁当のおかずであるところの里芋で塞ぐ(実里枝は「そういえば要子さん、里芋嫌いだっけ……」と思った)。それから、どこぞの裁判長よろしく机に一発叩き込んで主張を再開。
「で、だ。この、通称・『アラブ人の恩返し』なる都市伝説を誰かが言い触らす時期というのは、だ。何か大事件があってこう、緊張が高まっている御時勢だと相場が決まっているわけよ」
 少しばかり格好つけた風な物言いをする要子。
 そんな彼女に子女ヶ原はうなずいた。が、単なる同意に飽き足らないのか、すかさず付け加える。
「まあ、そうだね。9.11の後でそういう噂が日本で広まったのも結局、『アメリカでこういうことがあったんだから、仲良しの日本がテロリストの標的にされてもおかしくない』、って不安があったからこそだし。某国工作員の噂も、その某国が日本の方向にミサイル的なものを打ち上げた後に流行ったらしいしね。ああ、アメリカのチェーンメールはそれとは少し違うか。あれは、『こんなメールがテロの前に来てたらおもしろいよね』みたいな感覚で広まったのかな」
 二人の語りに実里枝はほわぁー、と感心しつつ里芋を頬張るのみ。
 そんな実里枝に一瞥もくれず、要子は子女ヶ原に向かってビシッと箸を突きつける。
「解説ありがとう。で。近頃何か大事件、あったか?」
 要子の言葉に、「うーん」と考えるような素振りを見せつつ、子女ヶ原は言う。
「うん、まあ、ないね」
「そうだろう、そうだろう」
「確かに大事件はないし、もう例のテロ組織が日本を攻撃してくるだろうって風潮も薄れてる感はあるしね。……でもまあ、遊び心で言ってみたくなったってだけなら、特に事件が起きてなくても関係ないんじゃないかな」
「その遊び心にしたって、だ! そもそもミリえもんが住んでるような辺鄙な界隈で、そんな遊び心を起こすような余地があるというのかね!?」
「要子さんと子女ヶ原くんの住んでるところだって、うちの町と大して変わらないのに……」
「ミリえもん、お黙り」
「むお」
 要子は弁当に入っていた里芋のもう一つを実里枝の口に放り込み、言論の自由を剥奪。
 そんな二人のやりとりをにまにまと観察してから、子女ヶ原は要子が何を言わんとしているのか理解した様子で言った。
「ああ、つまり、こういう都市伝説を小さな町で言い触らしても、そもそも誰もテロが起こるなんて発想はしないから意味がない、ってことか。そうだね、確かにこの都市伝説で舞台になるのはたいてい、首都圏の電車・地下鉄だとか、USJとか、あと何かの会場だったりで賑わっている場所だからね。普通は、小さな町で男がテロを起こすつもりなんじゃないかとか、勘ぐったりしないよね……普通は」
「……ああ、そうだよ、普通はな、普通は!」
「ひょうこはんははんぐってらよねえ」
「ミリえもん、わけわかんないこと言うんじゃないよ!」
 里芋を頬張りつつも率直に指摘する実里枝を叱った後、要子はわざとらしく咳をして子女ヶ原に向き直った。
 子女ヶ原は心なしか先程までより口の端を吊り上げながら、そんな要子に答える。
「まあそんな感じで……大都市でもない町で、しかも何の事件も起こってない時期に、こんな都市伝説を言い触らしても誰も信じたりしないからおもしろくないはず――なのに、男はあえてミリえもんさんに『電車に乗るな』と言った、と。そこに何か怪しげな思惑を感じるのだと、イリコさんは言いたいわけだね」
 要子はやや大げさにうなずきつつ、箸でぐるぐる円を描く。
「そう。まあ、爆弾だとか細菌だとか大げさなことは言わんが……そいつ、あさってに何か電車でする気なんじゃないのか?」
「何かって?」
 ようやく完全に里芋を飲み下した実里枝はきょとっと訊ねる。
「まあ、考えられるとしたら、飛び込み自殺とかだよね。電車止まっちゃうから、乗ってたら大変だろうし」
「いやいや、少々不謹慎だが……電車内で無差別殺人ー、とかかもしれんぞ」
「えぇっ」
「ミリえもんさん、あくまでも予想だから」
「いやいや、所詮は推論、されど推論。現代人の心の闇は深く――そういった凄惨な事件が起きる可能性が全くのゼロであると、果たして言い切れるであろうか、いや、言い切れないであろう」
「反語的……」
 少々饒舌気味に語る要子を、実里枝は心の中で一歩引きつつ眺めていた。
 子女ヶ原は実里枝と同様に思ったのかそうでないのか判然としないにこやかフェイスでやんわり反論したりする。
「まあ、何が起きてもおかしくない世の中ではあるけどね、さすがにそれは考えすぎなんじゃないかな」
「しじょかさん、甘いな。その危機意識の欠落が、迫りくる驚異への備えを鈍らせているのであり、つまりはこの国に刃を向けているも同然なのであり」
「つまり、イリコさんはどうしたいのかな?」
 普段は使わないような言葉をつらつらと並べ続ける要子を遮り、子女ヶ原は問う。
 それに対し、要子は待ってましたとばかりに即座に、しかしあくまで冷静さをアピールしつつ、のたまった。
「あさって、電車乗ろうぜ」
「ふぇっ」
「やっぱり、イリコさんはそう来るよね」
 実里枝は要子の言葉にしこたま驚いた後、さして驚いた様子もなくにふにふ笑う子女ヶ原を見てさらに動揺を大きくした。
「え、えぇっ! 要子さん、無差別殺人が起こるかもって、言ったのに!」
「ああ、言ったさ」
「なのに、なんであえて電車に乗ろうとか、言うの!」
「そこに事件があるならば、行かねば損となりぬるを……」
「わけわかんないこと、言うなーっ!」
 あわあわと慌てつつ、珍しく実里枝は怒って突っ込みを入れた。なんで、そういう発想になるの! と、テレパシーで必死に問いかけながら。
 しかし、そんな実里枝など目に入らんと言わんばかりに退け、要子は勝手に話を進める。
「ってなわけで、ミリえもんは七時くらいの電車に乗るように。まあ、いくらなんでも始発で何か起こるってことはないだろうし、七時くらいで十分だろうよ。細かい日程は今日明日中に考えとくわ。しじょかさんは……まあ、どうせ適当に理由つけて断るんだろ、一日電車ぶらり旅とか、いかにも興味なさそうだもんな」
「いやいや、僕も行くよ。……でもそうだな、二手に分かれて行動しよう。男がどの電車に乗るかわかったもんじゃないからね。とりあえず、イリコさんとミリえもんさんは上り電車で、僕の方は下り電車にするってことで。僕は妹でも誘ってみるよ」
「おっしゃ、じゃあ大体そんな感じということで!」
 当たり前のごとくすらすらすらりと決定していく二人を前に、「ちょっ……私の同意は!」という実里枝の叫びは喧噪の中に鋭く放射されるも教室の壁にぶち当たった後反射し、結局は実里枝本人の頭の中にいそいそと回収されていくのであった。


prev/top/next
傘と胡椒 index



Copyright(c) 2010 senri agawa all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system