推定都市伝説、探偵中。  ―試着室はオルレアンの香り―

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一。


「ミリえもんさん、僕の住んでるとこから二駅先の町にね、二ヶ月くらい前に洋服屋さんができたんだけど」
「う、うん?」
 健やかな朝、ホームルーム前、本日の小テストに備え数学の教科書を開いていた加村実里枝(かむらみりえ)は、突如としてにこやかに参上した子女ヶ原(しじょがわら)の話に「一体、何だろう……」と首を傾げつつ反応した。
 顔にばっちり「戸惑い」と張り紙をつけた彼女に対して特ににっこり系ポーカーフェイスを崩すこともなく、子女ヶ原は世間話でもするがごとくつらっとのたまった。
「そこの試着室でね、人が消えるんだって」
「……え」
 すぐに意味が飲み込めず、実里枝はぽかりと疑問顔。その表情は一秒弱程で驚愕へと移り変わり、「ええっ!」と甲高い声で短く叫ぶに至った。
 正面に立つ子女ヶ原は、そんな彼女のどっきりハートなどまるで気にしない様子。
「試着室に入った友達がいつまでたっても出てこないんでね、心配になって中を覗いてみるんだけど、そこには誰もいないんだ。店の人に訊いてみても、『そんなお客様は知りません』の一点張り、あきらめて帰るしかないんだって」
「え、じゃあ……その消えちゃった人、どこに行ったの?」
 比較的近い場所で起こっているらしい怪奇現象におっかなびっくりしつつ、実里枝はそう訊ねずにはいられず。
 答える側は変わらず淡々と、算数の問題でも解説するような調子で言葉を綴る。
「そうだね、はっきりしたことはわからないけど……その人は店の人に捕まっていて、海外に売り飛ばされてるんだっていう話だったかな」
「う、売り飛ばっ……人身売買!?」
「それだけじゃなく、臓器を取られたとか、あと……ダルマ女にされて、見世物小屋に入れられてるって説もあるよ」
「だ、だるま……」
「そう。両手両足切断されて……更に麻薬なんかを嗅がされたりして、精神を壊されてるって場合もあるね」
「ふ、ふえぇ……」
 両手両足切断、麻薬……など恐ろしげなワードに実里枝は縮こまり。しかも、もし自分の腕が、脚が、切り落とされたりしたら……などと無駄に想像力を働かせてしまったりして、背筋に蛇でも這っているかのような心地。平然と述べる子女ヶ原には、ただただ信じられないといった視線をくれてやるしかない。
「な、なんで、そんな話をっ……」
「ああ、それはね――」
 子女ヶ原が先程までよりやや重く、意味深な空気を醸し出しつつ口を開いた――
 その時。
「――そ・れ・はっ! 都市伝説っ、だろうっ、があァっーーーーーーーーーーーーーーーっ!」
「ぎゃうっ」
「おお」
 ハイテンション気味な怒鳴り声が二人の頭上に突如飛来、それと共に両者の脳天には丸めた教科書による容赦なき一撃が降り注いだ。
「まったく、朝っぱらからお前らは!」
 メガホン状にされた『数学A』を携えつつ、腐ったみかんに相対する教師よろしくそびえ立つ人物――それは、二人よりもだいぶ遅れて悠々と登校してきた羽島要子(はしまようこ)であった。
「よ、要子さんっ、何をいきなり!」
「神の鉄鎚じゃ! お前らはもー、ほんっとにしょうもないな!」
 要子は大げさな程盛大に溜め息を吐く。
 そんな彼女を見る子女ヶ原はいつもと同じにおもしろげだが、一方の実里枝は唐突な蛮行に未だ納得いかず。ついでに、加減なしの怒声により一斉にこちらを振り返ったクラスメート達の視線が痛く、赤面気味になってしまう。
「もお、要子さん、どういう意味さ!」
 恥じらいながらの必死の問いに対し、要子はクラス一同など全く意に介さぬ様子で、眼鏡の奥の眼光鋭くきっぱり一言。
「ミリえもん、今さっき、そこの野郎が言ったことはな、全部、都市伝説だ!」
「え……うえぇっ!?」
 驚き物の木で実里枝は勢いよく子女ヶ原を向く。
 かくしてそこにあったのは、ちっとも申し訳なさの感じられないさわやか笑顔だった。
「いやー、ミリえもんさん、まさか知らなかったとはね。洋服屋……もとい、ブティックの試着室から客が消えるっていうのはかなり有名な都市伝説だよ。その昔、フランスはオルレアン地方で広まった噂……『オルレアンの噂』が元になってるんだって。パリ南方、地方都市オルレアンで、とあるブティックの試着室に入った女性が誘拐されて、外国の売春宿に売り飛ばされてるって噂が流れたんだ。そのうちに、他のブティックもそういう噂の的になったんだけど、それらの店っていうのが全部ユダヤ人の経営っていう話でね。当時はユダヤ人への偏見も相当だったからね……実際にはそんな事件はなかったんだけれども、噂を信じた民衆が一時は暴動寸前にまでなって、新聞が『これは反ユダヤ主義者の陰謀だ』って呼びかける事態にまで発展したんだ。で、そのうちに噂は沈静化されるものの……それからしばらく経って、今度はこの手の話が日本でも広まるようになったんだ。そうだね、渋谷だとか大阪が噂の舞台になることもあるけど、大体の場合は海外旅行中の出来事っていう風になってるかな。『夫婦で香港に旅行中、とあるブティックの試着室に妻が入ったら、いつの間にかいなくなっていた……』みたいな感じで。そうそう、日本では『ユダヤ人』って部分はきれいになくなって、代わりに誘拐された人のその後に関するオプションが色々つくようになったんだよ。それがさっき言った『ダルマ女』だったり、臓器売買だったり……あと、ブティックの隣に肉屋があって、その人が消えた翌日に新鮮な肉が並んでたりとか……」
「ひぃ、ひどいよっ、こんな嘘話を朝からっ……」
 朝から舌の滑りが良い子女ヶ原であるが、そんな彼を見る実里枝の舌及び顔面筋、そして思考は硬直状態である。そんな中非難の言葉を精一杯捻り出したことは、もはや奇跡の御業としか言いようがない……という程でもないが、褒めてやってもバチは当たらない程度の勇姿ではあろう。
 が、そんな彼女の勇気もいざ知らず。要子は冷酷に冷静に言ってのけるのだ。
「引っかかる方もどうかと思うがな。相当有名な都市伝説だぞ」
「うぐぅっ……」
 弄ばれ蔑まれ、実里枝はすっかり傷心。更に追い打ちをかけるがごとく、要子に右頬を「お主も馬鹿よのう! 馬鹿よのう!」とつねられ、もはや心も枯れるよう。
 が、しかし、そんな実里枝も、二人の様子をひたすら静観していた子女ヶ原が口を開いた時には、再びぎょぎょっと心揺り動かされることとなる。
「確かに、この話は都市伝説なんだけどね――今、隣の隣の町で実際にそういう噂が流れてるんだよ」
「え?」
 一昔前に流行ったという都市伝説が、
 今現在、
 ――近くの町で?
「そんな噂あったん?」
 子女ヶ原と同じ町に住む要子はどうやら何も知らないらしい。
「うん、二ヶ月前に、僕らのとこの二駅先の町に洋服屋さんができたのは知ってるかな? で、最近、その店の試着室に入った人が行方不明になって、どうも海外に売り飛ばされたあげく殺されているらしい……みたいな噂が流れてるんだよ」
「なんじゃそりゃ。んなことあるわけねーだろ」
「まあ、そうなんだけどね。でも、そういう話が広まりつつあるのは事実なんだね、これが」
 左手人差し指を立てつつ子女ヶ原は述べ、聞き耳立てる要子は「ほほう」とうなずきつつも、比較的どうでもよさそうにあくびなどしたりする。
 実里枝も、近くでそんな噂が流れていることについて多少妙な感じを覚えつつも、軽い気持ちで呟いてみた。
「なんでそんな噂、広まるんだろうねえ」
「なんでだろうね。……でもまあ、火のないところに煙は立たないって言うし……何か、店側に問題がある可能性もあるよね」
 呟きに答えてくれる子女ヶ原の口調は淡々たるもの。が、しかし、その顔に張り付いた微笑みはいつもより一・二倍増し強烈になっている……ように見えなくもなく。
 実里枝は彼の様子からなにやらおかしげな予感を汲み取った。この場合の「おかしげな」とは、彼女にとって「ろくでもない」と同義である。なのでそれを回避すべく、適当に話を切り上げようと試みた。
「ふ、ふうん、そうなんだ……あ、もうそろそろ先生来るね!」
 が。
「で、しじょかさんよ、つまり、おめーはどうしたいわけよ?」
(よ、要子さん、聞いちゃうの!? それ聞いちゃうの!?)
 実里枝の心情など我関せずの要子によりあっさり工作活動を妨害され、心の中で突っ込むしかなくなる。
 そして子女ヶ原は、「さすがは要子さん」と、(現在の実里枝ビジョンによると)心なしか意地の悪い笑みを浮かべつつ、提案する。
「その洋服屋さんにね、ちょっと行ってみない?」
(やっぱりそう来た……!)
 露骨に嫌な顔をするのもはばかられ、実里枝はまたも内心突っ込みに徹するしかなく。
 しかし、要子もあまり乗り気ではないような顔をしていた。
「やだよ、興味ねーもん。それに……洋服、とか言ってるけどさあ、その店、ゴスロリ専門店だろ」
「ふえぇっ!?」
 普段は縁遠い単語、〈GOTH LOLI〉に実里枝は悲鳴とまではいかないものの、困惑と戦慄の入り混じった声を発する。
「あれ、知ってたの?」
「いや、いくら変な噂が流れてるっつってもさあ、しじょかさんがわざわざ一介の洋服屋ごときに興味を示すはずがない、と私は感じるわけよ。しじょかさん本人の意思ではない――ならば、誰の意思か? しじょかさんの周りで服飾に興味を示す人物は、私の知る限りただ一人――それは、しじょかさんの妹だ!」
 そういえば、子女ヶ原くんって妹さんいたんだっけ……と実里枝は思い出す。それとともに、かつて耳にした、子女ヶ原妹に関する情報も浮上。
(そういえば要子さん、中学時代に子女ヶ原くんの妹さんと出掛けたって言ってたっけ……その時妹さんの格好が――)
「しかし、私の知るところによると、彼女には妙な噂の流れている服屋にまで出向く勇気はない。だが! その服屋がもし、彼女の崇拝するGOTHIC LOLITA専門店だった場合は? 彼女は……何とかして、情報を得たいと考えるであろう! そこで、兄であるしじょかさんに『お兄ちゃあん、例のゴスロリ店のこと、調べてきてくれないかなあ……お・ね・が・い(はあと)』と泣きついたのではないか!? ……とまあ、このような推論により、件の洋服屋がゴスロリ店である、と! 断定できるわけだ!」
 ぶっちゃけ、強引にも程がある推理だよなあ……と思いつつ、実里枝は芝居がかった様子で大いに語る要子を大人しく見つめていた。
 しかし、強引だろうがなんだろうが、推理は見事的中していた模様。
「まあ、別に頼まれたわけじゃないんだけどね。そこはかとなく、『調べてきてほしいな……』みたいなオーラ送られまくって、ちょっと鬱陶しかったんだよね」
「ほほう……で、調査をミリえもんと私に丸投げしよう、と。そういう魂胆なんだよな?」
「はぇっ」
 またも要子が予想斜め上の発言をし、実里枝は思わず間の抜けた高音を放出。
 子女ヶ原は相変わらず人の良さそうな(しかし、現在の実里枝サイトではそのまま人でも食ってしまいそうな)笑みを浮かべつつ、やんわりと否定する。
「いやあ、そんなことしないよ」
 しかし要子は気に入らぬ様子であり、たっぷりと間を開けて――

「嘘だッ!」

 と、狂気じみた一言を発したりする。
「懐かしいな、レナ的だね」
「……??」
 子女ヶ原は笑みをこぼすも、実里枝は珍文漢文。
「で……パクリもといパロディは置いといて、だ! しじょかさんが、わざわざ妹のためにゴスロリ店に赴くとは思えん、以上」
「まあ、そういう店は心底どうでもいいんだけどね……でも、君たちに丸投げなんて、とんでもない。ただ、ついてきてほしいだけだよ。さすがに男一人じゃ、恥ずかしいからね」
「いーや、おめーは絶対、適当なとこで逃げるつもりだね!」
「いやいや、僕としてはだね――」
 とそこで、子女ヶ原は要子をちょいちょいと手招き、実里枝を置き去りにして耳打ちを始める。初め、要子は胡散臭げに眉根を寄せていたものの――その眉間のしわは次第に解けていき、代わりに――口端にいやらしげなしわがニヨリと寄ってきた。
 おいてけぼりの実里枝は、ぱっちぱっちとまばたきするしかなく。
 そんなこんなで三十秒弱、実里枝の横に戻ってきた要子は宣言するのだった。
「よし、今日の帰り、早速行こう!」
「ひあぇっ!?」
「あはは、さすが、気が早いなあ」
 眼鏡のレンズを怪しげに光らせる要子、色々といっぱいいっぱいな実里枝、そしてのんびりにっこりの子女ヶ原。
「え、どど、どうしてっ、そういうことにっ!」
 ゴスロリ専門店など恐れ多く、更に、何やら邪に目配せし合う二人の様子にある種の身の危険を感じ、実里枝は必死で事情説明を求める。
 が。
  きーんこーんかーんこーん
  こーんかーんきーんこーん
「おお、これはチャイムではないか! もう先生が来てしまう! 早く席につかねば!」
 そう、やけに説明的にまくしたて、要子はとっとと自分の席に戻ってしまう。子女ヶ原もしなやかに手を振りながら去っていく。
「え、ちょっ……」
 かくして、実里枝は朝の時間に反論をし損ね。
 まあ、朝にこの調子では、昼になって取り戻せるはずもなく。
 とっとと放課後を迎えてしまうのでしたとさ。


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