推定都市伝説、探偵中。  ―試着室はオルレアンの香り―

prev/top


三。


「えーと……改札口で、いいんだよね?」
 そんなこんなで来る土曜日午前九時五十分、実里枝は例のロリータ店のおわす町の駅、改札口に立ち、ひとり言など呟いていた。
 待ち合わせの時刻は午前十時――目印は、ゴスロリファッション。
「ゴスロリ……はぁ」
 これからの数時間、ゴスな姫君に仕えねばならないことを思いやると、心臓は緊張で高鳴っていくばかり。
 と、そこに――
「あっ……」
 ……来た。
 黒いリボン付きカチューシャを頭に備え付け、黒地に白のレースがふんだんに盛り込まれた、スカートの大きく広がった衣装を身に纏った――ゴスロリっ娘が。
 彼女はボブカットの真っ黒な髪の毛を揺らし、携帯の画面を見つめながらきょろきょろしており――実里枝と目が会った瞬間、白黒ボーダーのニーソックスに包まれた足をぱたりと止めた。
「あ……、あなたが」
 か細い、鈴の音のような声をかろうじて聞き取った実里枝は彼女に近寄る。こんなファッションで、しかも少しばかりメイクを施していたりしてわかりにくいが――近くで見てみると、どことな〜く子女ヶ原を思わせる顔立ちをしている……ように感じられなくもなかった。おそらく、中学二年生くらいだろう。
「あ、子女ヶ原くんの妹さん……ですか?」
「はい。子女ヶ原咲月(さつき)と申します。あなたが、ミリえもんさんですか……今日は、普通の服なんですね」
「え?」
 普通の服、という言葉に実里枝は戸惑う。普通も何も、いつもこんな感じで、茶色系の――以前要子に、地味だと散々言われた――スタイルなのだが……
「これ」
 そう言って、咲月は実里枝に携帯の画面を向ける。
 そこに映っていたのは――
「へ……ふぎゃええぇっ!?」
 ピンクと白を基調としたフリルもっさりのロリータ衣装を着込み、真白く輝くタイツにおみあしを包み、ロッキンホースな極厚底ブーツをはき、茶色い天パの頭にはご丁寧にウサ耳付きヘッドドレスまで装着して、スカーレットフェイスとなっている……実里枝だった。先々日の、実里枝だった。しかも、ムービーだった。
「な、なんで妹さんがっ、こんなものをっ!?」
「兄からもらいました。今日はこの人についていきなさいって」
「な、あの人っ……いつの間にこれ、撮ったの!?」
 実里枝の激しい動揺とは裏腹に、咲月は動画の停止した携帯をぱたむと閉じ、赤い薔薇の釦付きの黒いポーチにせっせとしまいこんだ。「その動画、消してください!」と懇願する間もなく……。
「では、行きましょうか」
「は、はい……」
 人がどれだけ驚き騒いでも動じない様に、子女ヶ原の面影を見てとりつつ――実里枝は彼女の後におとなしく従い、駅を出ていくのであった。


 例の店までは駅から十分程、友人と歩くには大した距離でないものの……友人の妹、それも自分とは趣味のかけ離れたゴスロリちゃんともなると、どう間を持たせたものか軽く悩んでしまう道のりなのだった。
「えっと……妹さんは、普段はいつもそんな感じの格好で?」
「はい。……咲月、と呼んでください」
「あ、ごめんね、さ、咲月……ちゃん」
 そういえば妹さん妹さんと呼びかけるのは失礼だよな、と思い、ついでにしゃべり方もできるだけ気さくにしようかな……と心掛けてみたりする。
「えっと、咲月ちゃんは、今いくつだったっけ?」
「十二歳――中一です」
「へ、へえ、子女ヶ原くんとは三つ違いなんだね」
「そうですね」
「はは……。えっと……子女ヶ原くんとは、仲良いのかな?」
「普通です」
「そ、そっかあ……。えっと…………ここに店ができる前は、そういう服、どこで買ってたの?」
「ネット通販です」
「へ、へぇえ〜……」
 ――続かない! 会話が!!
 心の中、実里枝は叫んだ。
 大体、友人の妹となんて、何を話せばいいのだろう。共通の話題など、見るからになさそうだし……それに彼女、基本的に無表情で、何を言っても楽しくなさそうで……
 内心愚痴りつつも、実里枝は必死で言葉を探した。こういう時は年上から頑張って話を振るものだろう、という責任感に駆られて。
「えっと………………ネット通販とかやってるなんて、パソコン詳しいんだね!」
 ……苦しい。
 我ながら苦しいネタ振りだと、実里枝は心底悶えた。
 しかしまあ、相手の様子は先程までとは変わらぬ、淡々々としたもの。
「私は特に……伊咲がそういうのに詳しいので。通販の際も、伊咲が教えてくれるんです」
「い、いさき?」
 聞き慣れない名に実里枝はきょとりと疑問符。
 いさき……咲月ちゃんの友達かな? などとしばし考える。そして……「そういえば、子女ヶ原くんもパソコンとか詳しかったよなあ……」などと思い出して、これは話の種になるのではないか、と、実里枝は少しテンション上げつつ聞いた。
「いさきって、お友達? 子女ヶ原くんもパソコンとか詳しいらしいけど、お兄さんに聞いたりはしないの?」
「……は?」
 と、そこで、咲月は無感情な瞳を不思議に揺らめかした。心底わけがわからない、というような雰囲気だ。
 そして、実里枝が「あれ、何かまずいこと聞いたかな……?」と考え至る、直前に。彼女は口を開いた。
「何を、言ってるんですか」
「へ?」
「お兄さんに聞いたりしないも何も、伊咲が兄ですが」
「へ……へあえええええぇっ!?」
 衝撃だった。
 あの人の下の名前、そんなんだったんだ!? と、驚きを隠せない。
 そんな実里枝に対し、咲月は多少、呆れたように眉根を寄せた。
「……知らなかったんですか、兄の名前。『伊藤』の『伊』、に、『花が咲く』の『咲』、で、『伊咲』ですよ」
「……苗字に気を取られて、つい……。へえ、そうなんだ……」
 四月の自己紹介の時、「子女ヶ原」なる珍名に圧倒され、下の名前は頭の引き出しの最奥に追いやられ。子女ヶ原と長年の交流がある要子でさえ、「伊咲」などと呼ぶことは一度たりともなかったし……と、そんな感じで。
 この度やっと、実里枝は「子女ヶ原伊咲」というフルネームを認識することとなったのであった。
「なんだか、女の子みたいな名前だねえ……『美咲』、みたいな感じで」
「発音は魚の『伊佐木』ですがね」
 あははー、と、実里枝は人様の兄の名を知らなかったことへの罪悪感を照れ笑いでごまかすも、当の妹は呆れこそしたが怒る様子は特になく。
 そうこうしているうち、やっとロリータ・ファッション専門店が見えてきて、実里枝は救われたような気分になるのであった。


「いらっしゃいませえー」
 出迎えたのは、先日とは別の店員(白で統一された、例に漏れずフリルリラな装いの女性)だった。あの店員程ではないものの、作り声の目立つ感じである。
 と、店員は、咲月――のロリータ・ファッション――を見るなり「きゃあっ」と黄色い声を上げた。
「よくお似合いですねえー! 黒ロリ、お好きなんですか?」
「はい」
「これ、黒ロリって言うんですか? ゴスロリも、色々あるんですねえ……」
「「は?」」
 何気なく、実里枝がロリータ衣装の種類の多さに感嘆してみたところ……返って来たのは、咲月と店員による侮蔑的な視線であった。
「黒ロリは、ゴスロリじゃないですよ。ミリえもんさん」
「え……そ、そうなの?」
「基本的にこの店では、ゴシックアンドロリータと呼べるような衣装は扱っておりません。ロリータ・ファッションの専門店です」
「そ……そうなんですか」
 二人に厳しめの口調でレクチャーされ、実里枝は怯えにも似た感情をもよおすと共に、このジャンルの奥深さを思い知る。そして、自分には入り込むことのできない世界なのだなあ……と、今更ながら、胸の内で呟くのであった。
「無知な人は置いといて。今日は、クラシカルロリータなどにも手を出してみようかと思っていまして」
「クラシカル系ですかあー。お客様なら、アリススタイルなんかも似合いそうですがねえー」
 実里枝は見事にスルーされ、「私……ついてくる必要、あったのかな……」と、物悲しい気分になった。先日のさらし者気分も大概だったものの、フリルに彩られた店の中ひとりぼっち……という現在の感触よりは、ある意味マシに思えてくる。
 と、その時。
「あら、もうお客さん、来てるの」
 店の奥の扉から、一人の女性――咲月や店員が着ているものよりはフリル少なめでおとなしい感じの、膝下丈で薄黄色を基調としたロリータ服に身を包んでいる――がしずしずと出てきた。
「あ、店長……あっ」
 店員は店長であるらしい女性を見て咲月を紹介しようとした――らしいが、咲月に向き直ると彼女ははっと息を飲み、困ったような表情になる。
 それに気付いたのか、店長はやんわりと首を傾げた。
「どうしたの? ……あ」
 穏やかだった彼女の顔は、咲月の姿を確認するなり苦しげに曇っていく。
「す、すみません……失礼します」
「て、店長!」
 店員が呼びとめるも、店長は青い顔をしたまま再び店の奥に引っ込んでいった。
「咲月ちゃん……店長さんと、知り合い?」
「いえ……」
 店長が咲月を見て様子を変えたことから、実里枝は咲月と何かあったのではないかと考えた。が、咲月は身に覚えがないといった風に瞳を揺らすのみ。
「あの……どうかされたんですか、店長さん……」
「その……」
 店員に尋ねてみるも、彼女はひどく浮かない顔をしている。
「私の服装、気に入らなかったんでしょうか……」
「いえ! そうではなくて、ですね……」
 咲月が心持ちしょんぼりとした様子でスカートの裾をつかむと、店員は慌てて否定する。そして、観念したように溜め息をついてから、店内を見回し――店長が出て来はしないかと心配しているように――それから実里枝と咲月に向き直り、ひそひそ声で語り始めた。
「その、店長個人の話なのですが……この店、まだ出来たばかりなのですがね? 開店して間もない頃に、店長の娘さんが、その……海外留学中に、事故でお亡くなりになってしまって……」
「そ、それは……」
「お気の毒ですね……」
 実里枝は言葉も出ず、咲月は冷静ながらも労わるような調子で漏らす。
 そんな二人に店員は沈痛な面持ちでうなずき、話を続ける。
「それで、ですね……そのお亡くなりになった娘さんが、丁度、そちらのお客様と同じくらいのお歳で……娘さんくらいの歳の子を見ると、店長、辛くなってしまうようで……」
 店員は躊躇いがちに、咲月に目を向ける。
 そして訪れる、しばしの沈黙。
 誰もが言葉に詰まり、何を言ったらいいのか、何も言わない方がいいのか考えあぐねての沈黙。
 ――それを破ったのは、咲月の静かな言葉だった。
「それでは……今日は、もうお暇した方がよさそうですね」
「申し訳ございません……ぜひ、またいらしてください」
「はい。いつでしたら、店長さんと鉢合わせずに済むでしょうか」
「そうですね……今は休みがちですが、基本、店長は毎日いるので……」
「そうですか……では、店長さんが落ち着いた頃に、また出直してきます」
「申し訳ございません……」
 こうして二人は来店早々、すまなそうに頭を下げる店員を背に、店から出ていくこととなるのであった。


「その……残念だった、ねえ……」
 駅へと逆戻りする道程、実里枝は、心残りがあるように目を伏せる咲月に声を掛ける。
 対する咲月はクールな様子。
「まあ、仕方ないですからね……またいつか、来てみましょう。それまでは通販で我慢します」
「そっか……」
「それで、その……」
「ん?」
 実里枝を見据え、口ごもる咲月。その瞳に宿るは――控え目な期待を込めた光と、その期待を裏切られる恐れを抱いた揺らめき。
「またいつか、行く時……ミリえもんさんも、また、ついて来てくれますか」
「え」
 またのお誘いに、実里枝は一瞬困惑。あの店の人達には幸せになって欲しいが……正直、再び足を踏み入れていいようには思えない世界だ。
 が……
「……お願い、できませんか」
 咲月がその無愛想な顔の中に、どこか小動物を思わせるような――かばってあげたくなるような、そんな雰囲気を潜めているように、見えてならなくて。
「う、うん! また、一緒に行こうね!」
 寒空の中、実里枝は思わずそう、元気に安請け合いしてしまうのだった。

*  *  *  *  *

「あの店、そんなこともあったんだね」
 時は廻って月曜日の朝、実里枝は教室で自分の席に腰掛けつつ、土曜日の出来事を要子と子女ヶ原に話していた。実里枝の話に、机横に立つ子女ヶ原は「へえ」とうなずいた。
「つくづくついてねーな、あの店……」
 実里枝の正面の席、机の上にどっかりと腰をおろした要子は「うへえ」と顔をしかめ、実里枝もそれに同調する。
 ――開店早々、客が救急車で運ばれて、冷やかしが増え。その上、店長の身内に不幸があって。
 本当に、幸先の悪い、店だ。
「店長の娘さんが、海外で死んだ――この話も、噂に関係してるんだろうね」
「え?」
「と、言うと?」
 子女ヶ原の発言に、不意を突かれたように疑問の表情を浮かべる実里枝。要子も、よくわかっていない様子だ。
 そんな彼女らに、彼は穏やかに解説する。
「噂の中の、『海外に売り飛ばされたあげく、殺される』って部分。たいてい、この手の都市伝説では『殺された』とか、直接的には言わないんだよね。ダルマ女にされた、とか、売春宿に売られたってオチがつくだけで。だから――娘さんが死んだって部分が、『殺された』っていう風に歪曲されたんじゃないのかな」
「うーむ、『試着室に入った人間が救急車で運ばれて』、『若い娘が海外で死ぬ』……まあ、無理矢理、『試着室に入った人間が消え、海外に売り飛ばされて殺されてる』って風に結び付けられなくも、ないか……」
 子女ヶ原の推理に、要子も自分からうろうろと考え出す。
 しかし実里枝は、やはりいまだ納得できない。
 ――人の不幸を、そんな、都市伝説になぞらえてみたりして。
「でもね、ミリえもんさん」
 実里枝の思考を読み取ったかのごとく、子女ヶ原は優しく諭すように言葉を綴る。
「まあ、前も言ったけど……あくまでも、推論の域を出ることはない、んだけどね。――実際に何があったのか、実際どんな店なのか、なんて、噂する側には関係ない。ただ、ロリータ・ファッション専門店、なんていう見慣れない店だから――どことなく胡散臭く感じられるからっていう下地があって、その上に、実際に二つも不幸な事件があったりしたら――変な噂が立てられるには、十分過ぎるんだ。そして、その二つの事件っていうのが、例の都市伝説にこじつけることもできなくないなら――『もっと、都市伝説みたいな事件だったらいいのに』、『その方が、おもしろいのに』――そんな風に、噂する側が思っても、おかしくはない。噂する側が、勝手に事実を捻じ曲げてしまっても、おかしくは、ない」
「そう、かもしれない、けど……」
 冷やかしが来ることを嘆く店員。
 店長の心労を思い、申し訳なさげに咲月を帰した店員。
 もし、彼女らがこんな噂を耳にしてしまったら、どう思うだろう。
 あるいは――もうすでに、知っていたとしたら? 彼女達は、どんな気持ちで実里枝達に明るい笑顔を振り撒いていたのだろうか。
「ま、所詮は噂、だからな。そのうち収まんだろ」
 実里枝がやり切れない思いを引っ張る中、要子が事もなげに言った。
 ――所詮は噂。
「そうだね。それに、もともとロリータ衣装とか、そういうのに興味がある人だったら、そんな噂なんか気にせず店に行きそうだしね」
「しじょかさんの妹、めっちゃ躊躇してたやん」
「うちの妹は、まあ、そういう性格だからね」
 いつかは収まるだろう。
 所詮は噂。
 ――されど、噂。
「なんにしても……早く収まってくれると、いいねえ……」
 そう願わずにはいられなかった。
 そう願うしか、できなかった。


―オワリ―


prev/top
傘と胡椒 index



Copyright(c) 2010 senri agawa all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system