God be with you.

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3.


「樹海って、もっとごちゃごちゃしてるっていうか……暗いところだって、思ってました」
「遊歩道はね、整備されてるからね。少し外れたら、大体君のイメージ通りになると思うよ」
 両脇に木々が生い茂る道は、なるほど、きちんと平らになっていて歩きやすい。道幅も広くて、太陽の光が明るく射している。
 駐車場に車を停めたわたし達は、そこから徒歩で、樹海内部を目指していた。御馬宿さんは肩に大きな、登山者が使うようなリュックを背負っていた。わたしも、それよりは小さいけれど、結構重い鞄をしょわされている。それにしても御馬宿さん、オフ会に参加する気はなかったなんて言いながら、こんなに準備をして。樹海に来る気は満々だったように見える。尋ねてみると、「樹海も、現地取材するに越したことはないと思っててね」と、口の端をわずかに上げてみせた。
「でも、御馬宿さんも……自殺志願者に直接取材したりとか、そのために樹海オフに参加する振りとか、何て言うか、すごいですよね」
「そうかい? まぁ、作家ってねぇ、経験が大事らしいよ。もしくは経験者に綿密な取材? 家に引き篭もってちゃ駄目なんだってさ」
 他人事のように、御馬宿さんは肩をすくめる。
 その言い方がおかしくて、わたしはもうちょっと訊いてみたくなった。
「何で、自殺志願者なんですか。もっと別なものを取材してもいい気がするんですけど」
「そうだねぇ……死にたいって思ったことがないからかな」
 軽く、軽く、御馬宿さんは言う。
「僕、自殺する心理とか、まるで理解できないんだよねぇ」
「理解できない――ですか」
「そう。死にたい気持ちがわからない。だからまぁ、手っ取り早く死にたい人に訊こうかなって」
 さらっと、何でもないことのように述べられては、返す言葉も浮かんでこなかった。
 死にたい気持ちがわからない、か。
「あとまぁ、今回に限って言えば、何で樹海なのか、とか。ところで未裕ちゃん――樹海の広さって、どのくらいか知ってる?」
「え?」
「答え、約三十平方キロメートル。千春ちゃんは、こっちの富士宮の遊歩道から入ったのであろう、っていうのはいいんだね?」
「あ、はい。一番当てにしてたのが、掲示板の情報だったみたいですから。ええと、こっちの、南側の富士宮ルートから樹海に入る方がいいって……」
「東側の河口湖から入ると、売店の人やらパトロールやらが目を光らせてて、止められる危険性がある……っていうのも、眉唾もんだけどねぇ。とにかく、ここらへんの道を辿ったというのはいいことにしよう。だけど、さっき言ったように、樹海は広いわけだ」
「……はい」
「本当に、見つけられると思う?」
 もう何度目か、口ごもるしかない。
 千春ちゃんは別に、樹海のどこをどう行って、どの場所で自殺しようか、なんて、他人に伝えたりしなかった。樹海の話をしても、どの地点がいいか、など、細かいことを口にしたりはしなかった。
 それなのに、わたしは。
「その……」
「見つけるのは、非常に困難だろう。
 それでも。君は、自分なら見つけられると。そう、信じているんだね」
 そう、だった。
 樹海の広さとか、何キロメートルだとか言われても、わからない。とても広いんだな、と漠然と思い描くだけ。
 そんな中でも、見つけられるとわたしは思う。いや、見つからないなんて想像が、まるで、起こらない。
「何の証拠もないけれど妄信できる、ねぇ。大事なことなのに訊き忘れてたな、君と千春ちゃんは、どういう関係だったんだい? 友達って言っても、色々あるだろう?」
 少し前を行く御馬宿さんが、歩調を緩めた。
 わたしと千春ちゃんの関係。
 どこから、どう話せばいいだろうか、と頭の中を整理し始める。わたしと、あの子の思い出を手繰るように――
 足元を見詰めながら、のろのろ、足を運んでいると。
「お、樹海定番の、アレだねぇ」
 御馬宿さんが緩めた歩調を巻き返し、小走りに行った先。
 心の奥で、何かが音を立てた、気がした。
 歩道の脇に、黒い立て看板があった。わたしもすぐに追いつき、その文面をなぞってみる。
「『命は親から頂いた大切なもの、もう一度静かに両親や兄弟、子供のことを考えてみましょう。一人で悩まずまず相談して下さい』……」
「しかし自殺者にはこの文が目に入らないのか、非情にも看板の横を素通りし、あっさりと死の世界に足を踏み入れてしまうのでした――遊歩道の、至るところにこういうのがあるらしいけどねぇ。効果の程は、いかがなものか」
 のんびりと解説する御馬宿さんの声を耳に流しながら、もう一度、何回も、わたしは看板を走る白い文字を目で追った。
 千春ちゃんは、この看板を見たのだろうか。
 いつの間にか取り出したデジカメのシャッターを切りながら、御馬宿さんは解説する。
「ちなみに、看板の裏には『アホか』とスプレーで落書きされていたり、チラシが貼ってあったりするとか。『お金に困っているのなら、相談受け付けます。まずはお電話を!』なんて、もう一度地獄に突き落としそうなやつとかね。この看板は、果たしてどうか」
 御馬宿さんと一緒になって、わたしも裏をのぞきこむ。知らず、胸の鼓動がうるさくなってくる。
 表と違い、素っ気なく黒い裏面。
 その真ん中に、赤い、ガムテープのようなものが貼られていて。
 そこに、『G』と。
 黒く、マジックか何かで、書かれていた。
「G……って何だろうね?」
 パシャリと、シャッターの音が鳴り響く。
「あ――」
 『G』。
 フラッシュが瞬くその横で、わたしは文字を見詰めて、ばくばくと、心臓が、頭が、音を立てて。
 まさか。
「未裕ちゃん?」
「これ――千春ちゃん、です」

†  †  †  †

 挨拶というより、お祈りみたいだ、とあの子は呟いた。
『だって、直訳すると、神様があなたの傍にいますように、でしょう?』
『そうだね』
『英語って、結構そういうお洒落な表現があって素敵。今では誰もこんなこと言わないけれど――グッバイなんかより、ずっと口にしてみたい感じ』
『使ってみれば? 外国人の先生とかに』
『ふふ。そうだな、使ってみよっか』
 風に長い髪を舞わせながら、あの子は嬉しそうに口ずさんだ。

 God be with you.

 お別れする、その時に。
 絶対、使おうと。
 あの子は、言っていた。


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