God be with you.

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エピローグ.


 樹海を抜ける方法は、とにかく真っ直ぐ進むこと、らしい。
「あの木まで真っ直ぐ、とか、目標を決めながら進めば、まぁ確実に出られるよ。三十平方キロメートルは、決して無限じゃないから」
 あの後、わたし達は、もう日が暮れかけていたのでひとまずテントを張り、朝を待ってから出発することにした。平坦な場所を見つけるのも一苦労だったため、あの場所で妥協した(野犬が出たような痕跡があったので、考えてみれば危険だったのだが)。
 早朝。わたし達は自分達の荷物だけを持って、樹海脱出に乗り出した。
 あの場所には、あの子も、あの子の荷物も残されたまま。
「あのままでいいのかい? 千春ちゃんの御両親も、今頃探しているだろうに」
「だって、持って帰るわけにもいかないじゃないですか」
 目を伏せて、呟く。
 御馬宿さんも、「そうだねぇ」と、静かにこぼす。
 ――あのままには、しておけない。
 千春ちゃんの両親にもちゃんと説明しなければならないだろうし、いずれ、千春ちゃんを迎えに行くことになるだろう。あの子の赤いメッセージを知っているのはわたし達だけなのだから。
「でも、あのテープもいつなくなるかわからないからねぇ」
「そう、なんですか」
「看板のやつなんか、すぐに剥がされるだろうし。木にくくりつけたやつも、見つかってそこらへんに捨てられるかもしれないしねぇ」
 早いうちに、何とかしなければならないのか。
「当分、樹海なんて、来たくないと思ってたんですが」
「その台詞は、出てから言うことにしよう」
 そうですね、と目線を上げて、広がる木々に集中した。
 今は、とにかく、帰るんだ。
 そこでふと、思い出す。
「そういえば、オフ会の人たち、樹海の中では会いませんでしたけど」
「まぁ、会う確率はそんなに高くないとは思うけどねぇ。そういえば彼ら、どうなったんだろう」
「ちゃんと――死ねたんでしょうかね?」
「皆して樹海で迷子になってたりね」
「あの人たちも、神様の所に行けますかね?」
「まだ、それかい」
 半分呆れたような顔をされるけれど、やはりわたしにはまだ重要な話なのだ。
 自殺した人は、神様の所に行けるのか。
 自殺じゃない人と、同じ場所に行けるのか。
「あ、」
「どうしました?」
「静かに――車の音が、聴こえないかい」
 きょとんとして、耳を澄ます。
 木々の張りつめる空気の中、どこからか、路面をタイヤが滑る音?
「え、これって」
「もうすぐそこだってことだよ。さ、急ごう」
「あ、待って――」
 急ごうとして、でこぼこの岩に足をとられて、少し慎重に、心はどうしようもなく焦って。
 背の高く細めの木々、むきだしの根、見たこともない苔たち、毒々しいキノコ、赤っぽい葉、茶灰色の葉――それらを越えて、越えて、越えて。
 死の世界を、抜け出して。
「あ――」
 目の前に広がるのは、アスファルトの道路。真昼の、少しだけ強い陽射し。
 帰って来た。
 帰って来た。
 生きて、帰って来たんだ。
「あったかいですね……」
「もう、春だからね」
 久しぶりに、全身に感じられるお日様の光。それはどこまでも暖かく、優しく、こちらの世界に帰って来たわたし達を祝福してくれているみたいだった。
「どうだい――大事な人がいなくても、世界は美しいだろう」
「そう――なんですね」
 にやり。
 にっこり。
 意地の悪い笑みに、柔らかく、気持ちの良い笑みを返してやる。
 生きている。
 大事な人がいなくても。
 今はとりあえず、それでもよかった。陽の光を浴びていられるのなら、それで、いい。
 ごめんなさい、千春ちゃん。
 わたしはしばらく、生きていこうと思います。

†  †  †  †

 樹海を抜けた場所は入った所とはかなり違ったため、御馬宿さんの車を回収するため、しばらく歩かなければならなかった。遊歩道を歩くのは樹海内部の何倍も楽だとはいえ、もう、動くのも正直おっくうだった。一言も喋らないあたり、御馬宿さんもそんな感じなのだと思う。
 やっと駐車場に辿り着き、背負いっ放しだった荷物をトランクに詰め込み、一息。御馬宿さんは飲み物を買ってくると言い、わたしは一人車にもたれていた。
 道路の向こうは、樹海。
 二日と少し、さまよい歩いた場所。
 ――千春ちゃんが、眠っている場所。
「God be with you.」
 何となく、呟いた。
 そして遠く広がる木々を眺めて、思う。
 神様。
 いるかどうかわからない神様。
 もしあなたの所に千春ちゃんがいないのなら、お願いですから、連れて来てあげてください。自ら命を絶ったあの子を、あなたの傍に置いてやってください。
 そうじゃないと、わたしが死んでからも、あの子に会えないかもしれないから。
 わたしは自分で死ぬことはできないから、たぶん、あなたの所へ行くと思うのです。
 だから。
「飲み物、お茶でよかったよね?」
「あ、はい。ありがとうございます」
 御馬宿さんが戻ってきて、わたし達は車に乗り込んだ。鈍いエンジン音と共に、ゆっくり、この地を去っていく。
 見えなくなるその前に、窓から樹海を見据えて、もう一度、お祈りした。
 God be with you.
 さようなら。


Fin.


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