cranky・apple

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*4*


「映画、行こう! 今週の土曜日!」
 またある日の朝のこと。私はさっちゃんの肩を揺さぶりつつ、デートのお誘いなんかしてみるのだった。
「何でミドリと行かなきゃなんないのよ。どうせなら、秋尾先生と行きたいっての」
「じゃ、椿くんも誘うから!」
「へええ、あんたと先生が仲良くしてんのを、横から指くわえて見てろ、と」
 私たち以外は誰もいない保健室、せがむ声と気乗りしない声がせめぎ合う。さっちゃんはうざったそうに、私に揺すられるがままだった。
 それでも引き下がらず、押しまくる。
 なんていうか、今日はいける気がしたのだ。
「二人で行こうよー」
「だからさあ、あたし、ミドリ以外には見えないの。映画館なんか行って、ミドリの隣に座って……もし、誰かそこに座ろうとしたら、どうすんのよ」
「大丈夫だって! 公開されてからだいぶ経ってる映画だから、お客さんそんなにいないし!」
「……どんな映画?」
「なんかねー、透明人間のやつ! 今日なんとなく新聞の映画案内見てたら、気になったんだー。さっちゃんにぴったりでしょ!」
 長い髪の毛をぐるぐるいじりながら、「ぴったりって何よ」なんて、さっちゃんは口をとがらせる。
 それから視線を私の方に向けたり、足元に向けたり。繰り返してから脚を組み直して、「はあっ」と大げさに溜め息をついて。
「……わかったわよ。行けばいいんでしょ、行けば」
「やったぁ!」
 その瞬間、私は思いっきりさっちゃんに抱きついていた。
 こう、土曜日まで、興味もない授業だとか修学旅行の話し合いだとか、乗り切ってく希望が見えた気がして、つい。
「……苦しい、離れんかい」
「いーじゃんケチー」
 さっちゃんの首に顔をうずめて、ぐりぐり、ぐりぐり。
 ふと、余計なことを思っちゃったりする。
「さっちゃんて……別に、いい匂いはしないんだね」
「人に抱きついてその言い草とは、いい度胸ねえ……」
「大人の女の人ってたまーに、通り過ぎるとすごい、なんていうか……とにかく、いい匂いするんだよねぇ。あれってなんなんだろ?」
「知らないわよ、んなもん」
 さっちゃんにベリッとはがされ、私はぶぅぶぅ「ケチー」と抗議を送り続けるのだった。

 またさっちゃんに追い出されたところ、廊下でばったり、椿くんと遭遇した。
「あ、おはよぅ、椿くん」
「おー。ってかお前、『秋尾先生』って呼ぶ気ねえなー」
「えー、だって、ねぇ? 椿くんだって、いきなり『せんせー』とか呼ばれたら落ち着かなくない?」
「あー、気持ち悪ィな」
「でしょー、せ・ん・せ」
 いつも通りに軽いやりとり。
 お互い普通に笑いあってる中、椿くんはぼりぼり頭をかく。
「しっかし、その呼び方といいさー、お前、気をつけろよー? 保健室の常連っ子にお前、『先生に媚びてる!』とか思われてんぞー」
「えぇー、媚びるって」
「俺ってば、この通り人気者だから? いやー、モテる男はつらいわ」
「うわぁ、ムカつくー」
 まったく、本当。透明人間にまで好かれてるっていうんだから、ちょっとだけ妬いちゃうよ。
「最近は、なんか妙ーに視線とか感じるしなー」
「……へぇー、ストーカーじゃないのー?」
 さっちゃん、やっぱり椿くんのこと見すぎだよ……
「ま、とにかく……あんま、用もないのに保健室来んなよ。色々、言われてんだから」
「別にそんなの、気にしないもん」
 わざと、頬を膨らませてみたりする。
 そしたら、椿くんの眉が、なんだかちょっぴり下がった気がした。
「なあ、ミドリ――お前、本当に毎日楽しいか?」
「え?」
 突然聞かれて、目をぱちくり。
 返事ができずにいると、椿くんはがしがし髪の毛をかきあげて、いつかみたいになにか言いづらそうにして。
「その……友だちも、いないのに」
「えぇ? 別にそんなの、全然平気!」
 だって友だち、ホントはいるし。
 今だって、映画に行く約束なんかしちゃったし。楽しくないはず、ないんだ。
「椿くんが心配することないよー。全然、大丈夫だから!」
「……いや、お前」
「あ、もうチャイム鳴っちゃう。そんじゃねー」
 ぴかぴかの廊下を駆けてく背中に、なにか聞こえた気がしないでもなかったけど。私は構わず教室へ戻った。
 全然、大丈夫だもん。

 そんなこんなで待ちに待った土曜日、学校近くの地下鉄構内。あんまり人のいないスペースで、さっちゃんが私を待ち構えていた。
「遅い!」
「ごめん、待った?」
「ううん、今来たところ……とでも言ってほしいわけ?」
 えへへー、とにやけながら、私はさっちゃんの手を引き、歩き出す。
「ちょっと、手なんか繋いだら他の人に変に思われるでしょ、あんたが」
「いいじゃんー。ここなら人、いないし」
「まったく、もう……」
 外の晴れた天気に対応するみたいに気分は上り調子、改札口までのんびり向かう。
 私が切符を買ってる間に、さっちゃんは改札口の柵をまたいで(自動改札だと反応しちゃうらしい)、「早く! もう地下鉄来てる!」っていう風に私を手招きした。いそいそ地下鉄に乗り込んで、待つこと三駅。朝の地下鉄は混んでて、途中、危うくさっちゃんがサラリーマンっぽい人とぶつかりそうになったりする。私は私で、降りる人に鞄をひっかけられたり。そんなトラブルもしょいこみつつ、私たちはなんとか目的地に到着するのだった。
 念には念を入れて、選んだのはそんなに大きくもない映画館。地下鉄からは、歩いて十分くらいだ。
 申し訳程度についたようなロビーで、チケット売りのお姉さんに映画の名前を告げる。
「お一人様ですか?」
「えぇと……はい」
 ホントは二人だけど……うぅん、ここはさっちゃんの分も払うべき? と、密かに懊悩してたら、「早くしなさいよ」と、さっちゃんが私の服の裾を引っ張った。……少しは罪悪感、感じようよ。
 ポップコーンとか買おうかなぁ、とためつすがめつしてたら、さっちゃんはとっとと三番シアターの前まで行ってしまっていた。仕方なく、手ぶらでその後を追う。
「あー……映画館なんか、久しぶり……」
 扉を開けて開口一番、ワインレッドのシートの列を前にして、さっちゃんは感動したみたいに小さく漏らした。まだ映画も観てないのに。
 それが伝染するみたいに、私もなんだかどきどきしてくる。
「赤シートって、なんかいいよねぇ。もっと大きなとこの映画館、広くていいんだけど、青シートなんだよねー」
「あー、それわかるわ。赤の方が気分、盛り上がる感じ」
「っていうかさっちゃん、映画館なんて行ったことあったんだ」
「実は、わりと何回もね」
「……タダで? うわぁ、ひどい!」
「しゃーないでしょうよ」
 誰もいないと思って、二人してはしゃぐ。
 だけど、よぉく見てみると……前の方の席、隅っこに、ぽつんと人が座ってた。どうしよう、さっちゃんの声、聞かれてた? って焦ってしまう。だけどその人は、こっちの様子なんか気にもせず、CMばっかり流れるスクリーンを凝視していた。ふぅ、よかった。
 声を落として、「どこ座ろっか?」とさっちゃんに尋ねる。「気分いいから、最後尾で! 全てを見下ろす感じ!」なんて言って、一番後ろの列に行ってみるけど、ちょっとスクリーンが見づらい。あっさり中段に変更。そのまま、特になにか話すでもなく、二人でじぃっと座ってた。結局、予告編が流れるまでに来たお客さんは、あと四人くらいしかいなかった。
 照明が落ちて、「お、いよいよだな……」って気分になる。アクション映画の予告でものっすごい大音響になって、びくってなる。思わず隣を見る。そしたらそこにあったのは、子供みたいな表情だった。ぽぇーっと、ちょっと口なんか開けちゃって、画面から目が離せないって感じで。どこまでもあどけない、横顔。予告編の間中、私はその表情に釘付けになってしまって、本編が始まる頃になってようやくスクリーンに向き直るのだった。

「うぅーん……イマイチだったねぇ」
「最後の方とかもう、B級アクションじゃない、あれ」
 映画が終わって、ちょっと離れたところの公園で感想を言い合う私たち。少子化のあおり? みたいに子ども一人いないその場所で、私とさっちゃんは誰にもはばかることなくブランコを漕いでいた。
「透明人間になるシーンはトラウマもんだわ……」
「皮膚からちょっとずつってのが、なんか嫌だよねー」
 映画の内容はごく簡単に言うなら、透明人間になった科学者がだんだん理性とかふっとんで暴走して、仲間の科学者に倒されてちゃんちゃん、っていうものだった。途中、透明人間が女の人に悪さしちゃうシーンとかあって、何気なくさっちゃんの方を向いたら……食い入るように観てたのは、気のせい?
「それにしても……透明人間って、まぶたも透明になっちゃうから、ものすごく眩しいって言ってたけど……さっちゃん、大丈夫なの?」
「んー、別に?」
「っていうか、透明人間の人、常に全裸だったけど……さっちゃん、服、着てるよね?」
 隣のさっちゃんを見つめる。その姿はもちろん裸なんかじゃなく、いかにも大人のお姉さんって感じの整ったファッション――に見えるのだけど。
「結局、ミドリにはそう見えるってだけでしょ?」
「え?」
 さっちゃんはやる気なくブランコをぶらぶらさせながら、感慨もなく言う。
「透明人間っていうけど、実際、あたしは自分がどんな形なのかなんて、知らない。見えないし。肉体らしきものはあるっぽいけど、それがホントに人間の形かなんて、わかりゃしない」
「でも、私には、人間に見えて……」
「ミドリに都合のいいように、そう見えてるだけなのかもよ? 服だって、あたしは着た覚えなんかないのに、ミドリは見えるって言う。あたしの姿が全裸だったら見てらんないから、勝手にそういう風に見てるだけ、なのかもしれない」
 うぅん、ややこしい話になってきた……
 今私が見てるさっちゃんは、別に、本当の姿じゃない?
 さっちゃんは、透明『人間』じゃないかもってこと?
「与作さんとかにしても、ミドリが見たいように見てたってだけかもしれない。本当は形なんかないけど……ミドリが、『そういうものなんだ』って、勝手に形を与えてるのかもしれない」
「えぇと……哲学的な話?」
「そう言っとけば、聞こえはいいわね」
「んん、でも……私にはやっぱり、与作はおじさんに見えたし……さっちゃんは、さっちゃんだよ」
 そう素直に告げると、さっちゃんはちょっともじもじするみたいにして、うつむいて、「なあにが、さっちゃんはさっちゃんよ」って、私の言葉を繰り返した。
 そうだよ。さっちゃんたち「不思議なもの」が、本当は私に見えてるみたいな存在じゃないにしても。やっぱり、私にはそういう風にしか見えないから、仕方ないのだ。
 私にとって、さっちゃんはさっちゃんなんだ。
 そう結論付けたところで、さっちゃんはうつむいたままぼそっと、囁くような声を漏らした。
「だけどミドリは、ミドリが形を与えられるものじゃなくて――もっと、本当に形のあるものも、見た方がいいのかもね」
 私が「なにそれ」ってさっちゃんの顔を覗きこんだら、さっちゃんはブランコの動きを止めて手を叩いた。
「ま、どうでもいいか……んじゃ、古今東西、透明人間になったらやりたいこと〜」
「え、えぇ?」
 急に山手線ゲーム? しかも、「やりたいこと」っておかしくない?
 戸惑ううちに、パンパン。
「お、女湯覗き?」
「……あんたはおっさんか」
「えぇ、だって、男湯なんか覗きたくないし」
「透明人間じゃなくても普通に見れるでしょうが、女湯」
「あ、そっか……」
 そんなこんなで、映画館デート? は幕を閉じるのだった。

 家に帰ると、なんと久々、椿くんがお邪魔していた。
「あれ、椿くんだー、どしたの?」
 なにやらお母さんと向かい合って話しこんでいた椿くんは、私を見て少し焦ったみたいだった。
 それを取り繕うように、お母さんが口を開く。
「お帰り、ミドリ。どこ行ってたの?」
「あれ、言ってなかったっけ。映画」
「……一人で?」
「えっと、そう、一人で」
 もごもご答える私に、お母さんは眉毛をハの字にする。
「……そう」
「楽しかったよ?」
「楽しかった、か……」
 今度は椿くんが、眉根を寄せて考え込む。
 え、なんだろ、これ。
「それじゃあ……俺は、ここで」
「ありがとうね、椿くん」
 二人はなんだか目配せして、玄関まで行くのだった。
 椿くんを見送って戻ってきたお母さんは、気落ちしたトーンで私に話しかける。
「ねぇ、ミドリ……なにか、悩み事とか、ない?」
「え、別に」
「お母さんに言いたくない? 学校で嫌なこと、ない?」
「えぇ……もぅ、なにさ、急に」
 思いのほか深刻な空気に面食らっていると、お母さんは溜め息一つ、寂しそうな顔で台所に行っちゃうのだった。


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