cranky・apple

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*5*


 月曜日はブルーマンデーとかいうんだっけ。そんな感じで、私も憂鬱っていうか、退屈だった。
「どうする? どうやって分ける?」
「グーチーで?」
「でも……」
 修学旅行も一週間前。四時間目の話し合い、私たちの班の話題は部屋割りのことだった。なにやら、ちょっとトラブルがあったとかで、うちの班だけ三人部屋と二人部屋に分割することになっちゃったらしい。
 私以外の四人は仲良しメンバー、どうやって分けるかあれこれ悩んでるみたいだけど、私はどうでもいいやって感じだった。
 そんな私を、眼鏡を軽く押し上げながら班長さんがちらっと一瞥。
「とりあえず、初江さんは三人部屋でいい?」
「え、うん。どっちでも……」
「三人部屋! 三人部屋で! じゃ、私らはグーチーしよ!」
 他の子たちは妙に息まいて、私を尻目にジャンケンを始めた。
 別に、二人部屋でも困らないんだけどなぁ。
 チャイムが鳴ったところで、とっとと席に戻り、おべんと携え保健室へゴー……って時に、なぜだか、後ろの方からの声に私は反応してしまった。
「あー、初江さんと同じ部屋かー」
「もー、あっこ、気にしないでお喋りしてよーね!」
「うん! あーでも、レナちゃん一緒でよかったぁ〜、初江さんと、もし二人部屋とかだったら……」
「無理無理!」
 ムリ、らしかった。
 んー、なんかよく、わかんないや。

 保健室前の廊下にさしかかると、椿くんがちょうど反対方向へ出ていくところだった。なんとなく声をかける気にもなれなくて、その背中を見送ってから保健室に入ろうとする。と、中から出てきた子と正面衝突しそうになった。
「あ、すいません……」
 すんでのところで踏みとどまって、とりあえず目の前の子に謝った。するとその子も「ごめんなさい」と言いかけた、けど、私の姿を確認するなり、その目はキッと吊り上がった。そのまま私を押しのけて、その子は去っていってしまう。
 なんだろ、いったい。
 気を取り直して保健室に入ると、さっちゃんが腕を組んで、こっちの方に視線を漂わせていた。
「やっほー、さっちゃん」
「ああ、ミドリ……あんた今、そこで女の子に睨まれたでしょ」
「うん。もぉ、わけわかんないや」
 肩をすくめてから、いつも通りに端っこのベッド、さっちゃんの隣に陣取る。するとさっちゃんは、溜め息みたいに言葉を漏らした。
「いい加減、わかるでしょ? あの子も例によって秋尾先生ラブなわけよ」
「へぇー、そうなんだ」
 どうでもよくって、適当にうなずく。
「まあ、さっきの先生との話聞いた限りじゃ、あの子の場合は、受験とかでストレス溜まってんのも大きいみたいだけど」
 ふぅん、あの子、三年生なんだ。
 どうでもよさげな感想しか浮かばずに黙っていると、さっちゃんは少しだけ遠い目をして、それから私に向き直った。
「ねえ、ミドリ。あんたさあ、高校卒業したらどうすんの?」
「へ?」
 突然振られて、間抜けな返事しかできない。
 お昼になってもいまいち暖まらない保健室の中、さっちゃんは、いつになく真面目な表情で私を見据えている。
「進学とか、ちゃんと考えてんの?」
「えぇ、別に……うぅん、そういえば、卒業したらさっちゃんと会えなくなっちゃう……?」
 必死で頭をこねくりまわすと、ものすごく嫌な結末が見えた。
 え、やだよ、さっちゃんと会えなくなっちゃうなんて。
 居場所がなくなっちゃう。
 あ、でも、考えてみれば。
「あぁ、さっちゃんも一緒に学校出てったらいいじゃん。そうだよ、さっちゃん別に、ずっとここにいるわけじゃないんでしょ? あ、そうだ、私、大学入って一人暮らしするから、さっちゃん一緒に住もうよ」
「――そうじゃなくて! あんたねえ、あたしとか関係なく、ちゃんと、自分のこと考えてんの?」
 え、と言葉を飲んだら、真っ直ぐな瞳にとらえられた。
 思いがけず張りつめた空気に、頬っぺたや手がピンピン粟立つ感じがする。
「もし……突然、あたしとか、変なものが見えなくなったら、どうするつもり?」
「そんなの……あるわけないじゃん」
「どうして、そう言い切れるわけ?」
 冷たく、言い放たれる。その目は、厳しい光を帯びている。
 さっちゃん、どうしてこんな、怒ってるんだろ?
 自分のことくらい、私、考えてるよ? さっちゃんと一緒にいられたら、それでいいもん。それだけで、大丈夫なのに。なのに、どうして、「見えなくなったら」なんて言うんだろ?
 さっちゃんの声に脳がぐるぐるかきまわされるみたいで、目をキョトキョトさせるしかなくて。
 悩みぬいた末、私はさっちゃんにダイブした。
「ちょっ……何すんの、いきなり!」
 驚いたさっちゃんは、ものすごい、ジタバタ暴れた。そんなのおかまいなしに、私はさっちゃんの上で、くぐもった非難の声を浴びせる。
「もぉー、さっちゃんまで変だよ? みんな、今日はなんなのさ!」
「知らないわよ、んなもん……ええい、どけえ!」
 振りほどこうとする力に負けじと、私はさらに首に回した腕をぎゅぅっと固くする。そうして、覆いかぶさる身体からは力を抜き、重力のなすがままにしてやった。
「重い! 重い!」
「さっちゃんさっちゃんさっちゃん〜っ!」
 甘えた声で、トドメだ!
 と思ったその時。
 後ろで不吉な音がした。
「……何やってんだ?」
 とっさのことで、ついでにこんな態勢だし、取り繕うのは不可能だった。
 戸口に立つ椿くん。
 椿くんが目撃したのはずばり、不自然なうつ伏せでベッドの上を暴れ、「さっちゃんさっちゃん」と奇声を発する女子高生……って感じの図、だと思う、たぶん。
 ……うわぁ。
「えと、あの、これは、その」
 目を白黒させてみたら、椿くんの顔色はどんどん青ざめていった。
 ど、どうしよう?
「ミドリ……ちょっとこっち、座ろうな?」
「は、はいぃ……」
 ベッドでなく、部屋の真ん中に置かれた、カルテみたいなのとか椿くん愛用のコーヒーカップとかが載った机の前に促されて……うわぁ、どうしよう? さっちゃんの方に助けを求める視線を送ってみるけど、さっきのことでご立腹のさっちゃん、すっかり我関せずの構えだ。っていうかまぁ、そもそも、助けてもらえるはずないんだけども……
 正面に座った椿くんを直視できないまま、机の下で指を絡めて遊んだり。
 それから一分くらい、沈黙が続いた。
 どちらもなにも切り出せない……っていうか、なんて言い訳すればいいのかなぁ?
 そう、しどろもどろになってたら、椿くんが重々しく口を開いた。
「俺のせい……なんだよな」
「へ?」
 思わぬ言葉に、顔を上げる。
 椿くんは机に両腕をついて顔の前で両手を結んで、なんだかとっても、辛そうに眉をゆがめていた。
「お前がここまでおかしくなったの、もとはといえば、俺のせい、なんだよな」
「うぇ? お、おかしくって……」
 いまいち話についてけない私を置いてけぼりに、椿くんは独白するみたいに言葉をつづり続ける。
「俺もまだあの時中学だったとはいえ……ちゃんと、見てやんなきゃ駄目だったよな。怖かったろ? 一人で、廃校なんかに取り残されて」
 どうやら、例の、与作とのファーストコンタクトの話をしているらしい。そういえば私、置いてかれたんだっけ。
「あれからだったよな……お前が毎日、他の子と遊ぶのやめて、どっかふらふらするようになったの。今にして思えば、あの時のことがいわゆる、トラウマってやつなのか」
「え、全然、そんな」
 まぁ、あれが不思議なものへの入り口だったわけだけども。
「もともと大人しい子ではあったけど、あれ以来、本格的に閉鎖的な性格になって……本当、すまないと思ってる。謝っても駄目だよな」
「え、いや、むしろ……」
 思えばあの時置いてかれたおかげで、私は自分のこの目に気づいたわけで。むしろ、感謝したいくらいなのに。
「俺のせいなんだろ? 最近毎日保健室に来るのも、SOSみたいなもんなんだろ? ……責任、とらせてくれ」
「え、あのね?」
 あまりの噛みあわない感に、口を出る言葉は限られて。胸のあたりから身体がぐらぐら揺さぶられるみたいな、不安定な気持ちに襲われた。
 そんな私にかまわずに、椿くんは両手をほどいて、たぶん、膝の上にその手をついて――真摯に、語りかけてきた。
「俺のおじさんさ、昔、精神科医で……今は田舎に引っ込んでんだけど、結構、村の人のこととか診てやったりしてるんだよ。それに、そこさ、空気もきれいで良い所なんだ。ミドリもきっと、落ち着けると思う」
「へ、へえぇー……」
「卒業したら、俺と一緒にそっちに行かないか」
 時が止まった。
 頭が真っ白になる。
 目の前には、曇りのない瞳で見つめる椿くん。
 見てらんなくて、目をそらすと――待ち構えるは、開いた口がふさがらないさっちゃん。
 え、ぇ?
 えええええええええええええぇ!?
 どうしろと?
 え、なに、この状況!?

「プロポーズ! プロポーズじゃない、これ!」
「え……ええええええええええぇ!? そうなの!?」
 椿くんが立ち去るなり、ものすごい勢いでさっちゃんが詰め寄ってきた。私はすっかり呆けてたけど、「プロポーズ」という単語に、また意識を引き戻される。
「だって! 『責任とらせてくれ』、よ!? 『卒業したら田舎で一緒になろう』ってことじゃないの!」
「むしろ、『俺と一緒に病院行こう』の方が近くない!?」
 そんなプロポーズ、嫌だよぅ!
 微妙な顔する私をほっとき、さっちゃんは一人で暴走しまくる。
「ああああもう、やっぱ、あんた、敵だったわけね! ああああああもう、妬ましい! そねましい!」
「そんなこと言われたってぇ……」
「ああああああああもう、プロポーズとか! 古今東西! プロポーズで言われたい言葉!」
 いや、だから、山手線ゲームで「言われたい言葉」っておかしくない!?
 私の疑問はおかまいなしに、さっちゃん両手を、パンパン。
「き、君の味噌汁が毎日飲みたい?」
「言われたくない!」
「うえぇー? きゅ、給料の三カ月分?」
「あんたはいつの時代の人間よ!」
「じゃ、さっちゃんは!」
「えー、やっぱストレートに……俺のものになれよ。とか!」
「うわぁ、さっちゃんてば大胆!」
「って、んなこたどうでもいいのよ! あああああああああもう、妬ましいいい!」
 駄目だ、さっちゃん、完璧に壊れてる。
 隣でなだめつつ困り果てながら、私は椿くんの言葉を思い出していた。
 前々から、お母さんとは相談していたらしい。お母さんは、友だちも作らず、なのに全然ピンピンしてる私を、不審に思っていた。高校生になっても周りに溶け込もうとしないで、このまま社会でやっていけるのか、とか、娘の将来を本格的に憂えてたんだっていう。お父さんはわりかし「まぁ、まだ高校生なんだし、どうにかなるだろ」って楽観してて、そもそも仕事で遅くまで帰らなくて、話になんないから椿くんに打ち明けたってことらしい。更に、担任の先生も私を心配してて、「クラスでも誰とも喋らず、話し合いにも参加しないで……」って感じの報告を椿くんは受けてたとか。さすがに、医者に見せた方がいいんじゃないかっていうのは、今日の私を見て椿くんが一人決意したって話なんだけども。
 お母さんや担任の先生まで心配するほど、私ってヤバくないんじゃ……と、つっかえつっかえ説得を試みると、椿くんは厳しい口調で言い放った。
「お前、相当ヤバイんだぞ。今のままで将来、やってけると思ってんのか?」
 ぽかんと、私は固まった。
 その様子を見て、「……ごめん、俺のせいなのにな」って、椿くんは自嘲気味に小さく口元をゆがめた。その後で、「でも、まさかあんな奇行に及ぶほどおかしくなってたなんて……」と、頭を抱えちゃったわけだけども。
 ほう、と息をつく。
 もぅ、どうしてみんな、余計な心配ばっかりするんだろ?
 私、別に、平気なのに。
 右と左の足先をくっつけて遊んでたら、昼休みの喧騒がずいぶん遠くに聞こえてきた。
「とりあえず……あんたとは、これでおしまいね」
 そんな中で、だ。
 さっちゃんは唐突に、乾いた声でそう言ったのだ。
「え……」
 聞き間違いかと思って、私はがばっと顔を上げる。
 意味がわからない。
 え、おしまいって?
「あのねえ、あたしも、恋敵の相手なんかいつまでもしてやるほど、お人好しじゃないの。胸糞悪いから、二度と顔見せないでくれる」
 信じられなくて、耳を疑う。
 え?
 すがるように、その目を見つめる。
 さっちゃん?
 だけども眼前にあったのは、その唇から出たものと同じように、とりつくしまもないような、氷山みたいな瞳だった。
 そのまま私は頭の中身が凍りついて、どうやって教室まで帰ったのか、全然、見当もつかない。


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