とは言ったものの。
「さ、さっちゃあああん……」
お昼休みの保健室。半ベソの私を、トゲトゲのさっちゃんが出迎えた。
「保健室で弁当食べんの禁止」
「だ、だって……ムリムリムリ! ムリだよ!」
手始めに、さっちゃんは私に「クラスメートとお弁当を食べること」を約束させた。ちょうど修学旅行近くだから、班の人たちと親睦深めてこいってことだけど。
「おべんと、一緒いい? とか! ムリ! ムリムリ!」
「無理じゃないでしょうが! 一言お願いすりゃ、相手もむげには断んないでしょうよ」
さっちゃんはそう言うけど。実際、すでにグループの出来上がっている教室内で「仲間に入れて」なんてお願いするのは、ものすごく、緊張しちゃうのだ。今までそんなの、気にしてなかったのに……意識しちゃうと、グループの壁とか、見えちゃって仕方ない。
「教室で食べないんなら、便所で食べなさい」
「えぇ、ひ、ひどいや!」
「ぐずぐずしてると、昼休み終わるわよ。ほら、早く!」
背中を押されて、私は泣く泣く教室に戻った。
だけど結局その日はふんぎりがつかなくて、お腹をすかせて五時間目を過ごすのだった。
目隠しした手を少ぅしずらすと、指の隙間からでも色んなものが見えてくる。
放課後たまたま通りかかった保健室前で(中にはさすがに入れない。昼休みの結末が知られたら、さっちゃんに永久追放されかねないし)、知らない女の子にものすごい目で見られた。
……誰だろう?
頭をひねってみると、「あぁ、保健室の常連さんか」と簡単に結論が出てくる。
あんな顔、私、今までもされてたんだ。
今度は頭を抱えて、歩調をゆるめる。
たぶん、ちゃんと周りを見て、人と関わっていくってことは、私にとってはとてつもない勇気がいることなんだ。今まで、あんまりにもなにも見てこなかったから、周りも私への関心なんかは冷え切っちゃってて。それどころか、あんな風に疎ましがる視線が、そこかしこに、ばらまかれてる。きっと、ちゃんと私のことを見てもらって、認めてもらえるようになるのは、当分先になっちゃうのだろう。
……怖いなぁ。
怖いよ、さっちゃん。
朝早く保健室に来る習慣は抜けないのに、さっちゃんは相手をしてくれなくなった。
隣に座ろうとするのを遮られて、私はぐりぐり、足で床に円を描く。
「あんたねえ、いつまでも保健室に出入りしてたら秋尾先生が心配するって、わかってるでしょ?」
「じゃあ、さっちゃんが保健室出ればいいじゃん!」
ついつい、前にもしたような提案なんかが、口から滑りだしてしまう。
するとさっちゃんは眉をひきつらせ、呆れ半分に私を睨んだ。
「あんた、進歩する気あんの?」
う、とつまりながら、それでも私は往生際が悪い。
「……『あたしの居場所はミドリだけ』とか、言ってたくせに」
すねるように呟くと、さっちゃんは辛いのかすっぱいのかよくわかんないものを口に入れたような表情になった。
「あたしは! あくまで、第一狙いは秋尾先生なのよ! だから、保健室にいんの!」
「……ストーカー」
「とにかく、とっとと教室行け! いつまでもあたしに甘えんな!」
でかいだけで可愛くない犬を追い払うみたいに、さっちゃんは私から目をそらした。仕方ないから、私はさっちゃんに背中を向けて、出入り口へと足を運ぶ。
「本当……あたしがここにいるうちは、駄目なのかもね」
「え?」
ぽつりとこぼれたものがよく聞きとれず、私は振り向き語尾を上げた。
だけどもさっちゃんは、「何でもいいからとっとと出てけ」なんて、軽くあしらい、もう一度は言おうとしないのだった。
保健室を出て廊下を歩いてたら、椿くんがちょうど学校に到着したとこだった。
「おはよぅ、椿くん」
「おー……」
のらない声で、椿くんは立ち止まった。
……そういえば、昨日の今日なのだ。
私、椿くんに八つ当たりとかしちゃったしなぁ……
思い出して微妙な気分になって、足元に視線を落としていると、椿くんはぼそりと聞いてきた。
「保健室、行くところか?」
「あ、うぅん……」
顔の前でぱたぱた手を振り、しばし、二人して見つめあう。椿くんはちょっぴり陰ったような雰囲気で、私はなんだか、どぎまぎするみたいな感じ。
どちらともなく目線を外すけど、なんとなく、二人とも動けない。
――たぶんなにか、言わなきゃいけないんだ。
私は意を決し、自分に言い聞かせるみたいに、固く、宣言することにした。
「私、これから教室行くから――これからはもう、あんまり、保健室に通わないように、する」
椿くんは目を大きく見開いて、心底まじまじ、私を見た。
そうだ。心配してくれた椿くんのためにも、私は世界を広げなきゃなんない。
「今までごめんね! ありがと!」
大げさに頭を下げてから、私は背を向け去っていった。
そしてリベンジ昼休み、おべんと箱をぶらさげて、教室後ろを行ったり来たり。ぐずぐず、ぐずぐず、みんなの様子をうかがってみたりする。
どうしよう。
さっちゃんは簡単そうに言うけど、本当、最初の一歩が踏み出せなくて。もぅ、みんな、新学期初日とかはどうしてたんだろ?
悩みに悩んでうろちょろする。
どうしよう、どうしよう。
いったん自分の席に戻ってみたりして、用もないのに鞄をあさる。それからきょどきょど席を立ち、またも、うろうろ、教室を徘徊。
そうしていたら、たぶん、本当に偶然――誰かの眼鏡に、私が映った。
「初江さん、何してるの?」
「え、えぇと……」
尋ねてきたのは、修学旅行の班長さんだった。班の他の子と仲良くお食事中な班長さんは、私をいぶかしげに見つめる。
心拍数が跳ね上がった。
い、言わなきゃ……
さぁ言え、言うんだ。
「お、おおおおおおおおおぉ」
「?」
ダメだよぅ、ムリ。
やっぱり、私には……
『無理じゃないでしょうが!』
――ふいに、さっちゃんの声が聞こえた気がした。
その声につられて、私は口を開いていた。
「お、お昼! ご一緒していいですかっ!」
言えた。
言えた、けど。
声、大きすぎた。みんな、こっち見てる、変な顔して……うわああぁ。
「いい、けど」
焦って沸騰しそうな私に向けて、けれど班長さんは、あっさりとOKサインを掲げてみせた。
へ?
「ここ座る?」
「あ、ありがと……」
ぽけっとしたまま、促されるまま席について。
それからのことは、あんまり覚えてない。
そんなこんなで日々は過ぎ、気がつけば修学旅行当日の朝になっていた。
「あら、こんなに早く行くの?」
「うん、ちょっと、ね」
大きな荷物を抱えて、玄関に座りこんで靴を履く。
その後ろから、お母さんが不思議そうに私を見ている。それも少しのことで、お母さんはすぐ、荷物に目線をずらした。
「忘れ物、ない?」
「うん」
「下着の替え、余分に持った?」
「持ってるよ。もぅ、ちゃんと確認したんだから」
私はちょっとだけうっとうしそうに口をとがらせ、よいしょ、と立ち上がった。
するとお母さんは、えくぼをつくって、手を振った。
「楽しんで、きてね?」
「……うん!」
楽しもう。
頑張って、めいっぱい。
「で、なあんでここに来るのかしら?」
「そ、その……心の準備っていうか」
当日は、空港に現地集合……なんだけど、私は学校の保健室に来ているのだった。
「まさかあんた、行かないとか言い出すんじゃないでしょうねえ!?」
「行く行く、行くよぅ! ……けど、その、やっぱり不安っていうか」
おべんと騒動から、まぁ、少しは班の人とも話せるようになったんだけど(特に班長さん)……ちゃんと目を向けるようになったからこそ、私をうざったそうに見つめる視線にも気づくことになったわけで。
「そりゃあ、今まで話し合いにも参加しなかったんだし? 嫌がられて、当然よね」
「は、励ましてよぅ、今日くらいは」
真っ白なベッドの上に腰掛けるさっちゃんは、「ふん」と鼻を鳴らして、脚を組みかえるのみ。
「ほら、早く行きなさい。そろそろ時間、危ないでしょ」
「うぅー……あ、さっちゃん、お土産はなにがいい?」
「んなもんどうでもいいから、早くしな!」
「いや、だってぇ」
「木刀! 京都なら木刀でしょ! ほら、さっさと行け!」
促されるまま荷物を背負い直す。ちらちら、さっちゃんの方を振り返りつつ、私は保健室のドアに手をかけた。
「じゃぁ……行ってきます」
「行ってらっしゃい。……じゃあね」
もう一度振り返ると、少し開いた窓から風が入ってきて、真っ白なカーテンがゆらゆら揺れた。
その中で、さっちゃんは眉間にしわを寄せた、いつも通りの顔をしていた。
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