てんで駄目な僕らの友情

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○ボッチイズ○


 ここ二ヶ月はだいたい毎日、夜十時過ぎに音無宅を出て電車に乗り、十一時前に我が家にたどり着く生活を送っている。課題が出た時は音無の部屋でアニメをBGMにのんびりやったり、もう何時間か早い電車で帰って自宅で黙々とやったり。つくづく僕も一人暮らしならなあ、と思わなくもない。
 それにしても我ながら音無づくしのライフスタイルである……と車窓に映る自分を眺めつつ振りかえっていたら、ふいに、ぽんと肩をたたかれた。
「あれ、嬉野じゃん」
「あ、久しぶり」
 さらりと挨拶できたものの、心の第一声は「やべっ、名前出てこない人だ」だった。顔にはそんなことはおくびにも出さない笑みが貼りついている、と信じたい。
「この前地下鉄んとこで会ったぶりだよなー」
「だよねー」
 そう、四月頭に大学近くの地下鉄改札口で会った、中学三年の時のクラスメート。だけど名前がわからない。
「大学帰りだよな? 俺もサークルの集まりでさー」
「へえー」
「あ、もしかしてこの前のカノジョんとこか?」
「えーと……まあ、そんなところ」
 某くんが「いーよなちくしょう」だの言う側で、タタンタタン、電車の揺れに抗いながら当たり障りのない相づちを繰り返す僕。名前を思い出すのはもう諦めた、どうせ出てきやしないんだ。相手の名を呼ばずに会話を乗り切るのは得意だったりするのさ、となごやかな雰囲気を維持していく僕。そうこうするうち降りる駅に到着。
 駅前で「じゃーなー」と某くんと別れてから、ほっと一息ついた。友達じゃない知り合いとの交流は、慣れっこだけど、常に緊張がつきまとう。
 とそこで、ブブブ、とポケットの中が振動した。メールである。相手はまあ言うまでもないだろう。
『ウチの旦那まじむかつく(怒りの顔文字)!』
 なにやらさゆりさんのご主人が最近やたら同僚とご飯を食べてきて家に帰るのが遅いのだとか。新婚当初より会話が減ったとかありがとうって言わなくなったとか最近生え際が怪しいとか。いつにない長文メールの最後は『嫁と友達どっちが大事なのよおおお(なぜか笑顔の絵文字)』と締めくくられていた。
 僕は慰めのメールを打ちながら、さゆりさんの旦那さんは中年になってもちゃんと友達づきあいができているのか、と感心していた。と同時に、溜め息が漏れる。
 夜道の真っ黒アスファルトを踏みしめながら、某くんの顔が浮かんだ。彼のような気さくな人間っていうのにはどうしたらなれるのだろう、と問いかけが宙ぶらりん。気さくで、かつ踏みこみすぎないような人には、どうやったら。
 昼間宮望さんに指摘された通り、僕は友達いない人=ぼっちなのだった。胸を張って友人と言える人間は……本当に、いなかったのだと思う。
 原因は自分でもよくわかっている。人との距離の取り方が、絶望的に下手なこと。
 一応、日常生活に支障が出ない程度のコミュニケーションはこなせている。宮望さんとのやりとりしかり、某くんとのやりとりしかり。いわゆるコミュ力自体は、歳をとるにつれ育っているのだと思われる。ただそこから友達へと接近していく術が、まるっきり、身についていないのだ。よっぽど波長が合わなければ仲良くなることができない。社交辞令でメアド交換しても、受信ボックスも送信ボックスも空っぽのまま。あまりに虚しくてメル友募集のサイトなんか利用しちゃったのは秘密だが。
 まあだから、宮望さんや某くんのような、誰にでも話しかけられる人はありがたくもあり――妬ましくもあったり。
『つきあってくれてありがとね! あんたのメール癒されるわあ〜(至福の顔文字) ところで最近友達とはどうよ?』
 宙を見据えて、歩いていると、石ころを踏んづけた。なんとなく、つま先でいじり蹴っ飛ばす。
 人と関わるのが下手くそ。生まれてから今に至るまでずっと。さっきの電車の中みたいな、当たり障りのないやりとりが関の山だ。うっすい人間関係だな、と自分ながらに苦笑する。
 少し前に彼女はいた。別れたけど。
 ただ――
「順調ですよ、ところで夏のおススメレシピってもっとないんですか……と」
 ただ、今は音無という友達がいる。
 奇跡的に。
 だから、今のところはそれで大丈夫。毎日、楽しんでいるのだ。
 僕は送信ボタンを押して、さゆりさんのレシピを待ちながら、家路を急ぐのだった。

 グループ演習っていうのは限りなく残酷な授業だよなと重い足取りをどうにか教室へ向ける、翌日の昼下がり。それでも用事が特にないので早めに席に着いてみると、すぐ後に音無がやってきた。
「やっほぅ」
「おっす」
 隣に座る音無は、確かこれが今日最初で最後の授業のはず。重役出勤ごくろうとでも言ってみようかと考えたが、間もなく本を取り出しページを繰る音が聞こえてきたのでやめておいた。僕も合わせて携帯を開く。
 僕らは基本、大学内では一緒になっても言葉を交わさない。特に、口を出ることアニメ漫画が大半、そのくせオタクであることは隠しているらしい音無は人前では本当に何も言わないのだった。僕としても音無相手だと今日のメニューどうするとかそんな話題をのぼらせたくなるので自重しているところ。
 僕も音無も他に友達はいない。ただ、来る者は拒まずそれなりに接する僕に対し、音無の場合はそもそも来る者を寄せつけぬオーラを放っている。ほら今も、いかにも「読書を妨げられることが私の一番の苦痛なのです」と言わんばかりに気難しい顔で本を読んでいる。周りの人はさぞ高尚な文学をたしなんでいることだと思うだろう。その実、ラノベか漫画のノベライズだったりするのだ。そしてこいつの一人称が「ボク」だと知っている人は果たしてこの中にいるのだろうか。
 授業開始十五分前になって、人がぞろぞろ集まってきた。その中に宮望さんの姿があった、と思ったら僕の前の席に陣取った。と思ったら、特に僕らのことは気にかけず、一緒に入ってきた友人達とかしましくお話を始めるのだった。
 ところで全国のぼっちが周りにいる人々には気をつけてほしいことがある。
「もう昨日のバイトマジ疲れた〜!」
「宮望ちゃん昨日もバイトだったの? ってか最近シフト多くない?」
「この前先輩がやめちゃってさー、っていうかあんまりヒドイんでクビになったんだけど、代わりの人なかなか来ないんだよー!」
「ええー、大変そう……接客系キツイよねー。居酒屋なんてひどい客ばっかで」
「うちのコンビニだって! もおー、なんなのあそこ、この前アドレス渡してきた客の知り合いがさー……」
 ぼっちにも色々種類はありますが、自分の世界に没頭している系よりなにげに周囲を気にしているタイプの方が多いと思われるのです。このように宮望さんと愉快な仲間達が明朗に話す内容も、ぼっち達には筒抜けだったりします。まあようするに、こちらがおとなしいのをいいことに、「あいついつも一人だよねー」とか言わないでください。傷つくから。さすがにそういう手合いは大学に入ってからは見なくなったものだが。あ、あと、人の会話勝手に聞いててキモイとか思わないでくれるとありがたいです。
「うっわー、相変わらず宮望ちゃんとこカオスってるね……」
「親は『そんなとこやめてしまえ』なんて無責任に言うけどさー、そう簡単にやめらんないっしょ。バイトのせいで学業がどーのこーのって、あーもう親マジウザイ! ってか聞いてよ、この前なんか――」
 こちこちメールを確認しながら、こんな言い訳やら弁明を頭の中繰り広げる自分はだいぶキモイなとセルフ鳥肌。音無も確実に前の席の会話は聞こえているだろうが、何か考えていたりするのだろうか。隣をちらとうかがうも、表面上は読書に没頭しているようにしか見えない。ちょっとだけ、眉根が寄っているかな。
 ほんの十五分とは思えぬ密度で話題をやりとりする宮望さんたちに心の中拍手を送ったところで教授がやってきた。さあ、過酷な演習が始まる。と思ったら、今日はなんだか教授のお話に興が乗って一時間半まるまる授業が潰れるのだった。らっきぃ。

 三時限目が終わって音無は帰宅し、僕は四限の講義をいそいそと拝聴してから音無宅へ。まだご飯には早いため、生ぬるい部屋の中、音無に僕でも楽しめそうなアニメをチョイスしてもらってみた。
「んーこれはちょっとエロシーンがなぁ」
「きみエロアニメ観てんのかよ婦女子のくせに」
「いやストーリーがすばらしいんだよ? あとボクは腐女子じゃないから」
「ふうん。って、え?」ノット婦女子?
「んーこれは残念ながら二期しか録画できてないからなぁ。一期から観ないと理解できなさそうだし。っていうか難しいからなぁ」
「あー、あんまややこしいのはパスかな。例の、リリオたんのやつはどうなんだ?」
 僕は本棚の上(音無曰く特等席)に鎮座する黒髪セミロング、超ミニスカ美少女のフィギュアに視線を向けた。音無が「ボクの改造最高傑作ここに誕生だよ! リリオたんやばい超かわいいいいい」と称したのを思い出して苦笑いが漏れる。
 その様子を知ってか知らずか、音無は真剣に「んー、リリストはねぇ……ハーレムものだからなぁ。初心者にすすめるのはねぇ……」とつぶやいた。アニメも存外奥が深いような。
「ちなみに音無は、それのどこが好きなんだ?」
「え? まぁそりゃリリオたんとかリリオたんとかリリオたんとかたまにユコとか――」そこで音無は不自然に言葉を区切って、一瞬、目を伏せた。
 どうした、と声をかける寸前にまた大演説が始まる。
「あと。キャラクターのデザインがかわいらしいっていうのも大きいんだけど、なにげに深いんだよね、この作品。性格とかキャラの背景とか。たとえばリリオたんは親と確執があって苦労してるんだけど、普段はすっげー明るく振る舞ってて、色んなキャラに悩みなんてなさそうだねって言われる。でも主人公が『あいつ、自分のことなんか話したことなかった……』って気づいて! そんでリリオたんによりそい! でもでも、あくまで気丈に振る舞おうとするリリオたん超いい子!」
「……へえ」
 僕は音無の握りしめた拳を見るともなく見る。そこから目線を上げると少し泳いだ目が見える。それでだいたい、理解した。
「他の子もね、戦いとかで苦しんで、もうやだって言いそうなくらい追い詰められたりする。だけど! この作品、簡単にキャラクターに辛いとか苦しいとか言わせないんだよ! そこがたまらなくいい! アニメ版もそこは大事にしてるし!」
「そう、かい」
「そう! いいかい、ボクが思うにね、不幸とか苦労とかっていうのは軽々しく人に言いふらした時点でただの自己陶酔になりさがるんだ。誰にでも言ってしまえる苦しみなんて、たいしたことないんだよ。それどころか、自分の方が不幸だーかわいそうだーって、自慢の道具にすらなりかねない。そんな人間ちんぷだよ。この作品はほんっとうに、そこらへんわかってるね!」
「そいつはすごいな」
 高らかに、最後の方には湿り気を切らした声で宣言する音無を微妙にスルーして、僕はディスク類が収納された低めの棚の上のリリオたんをひょいとつかんだ。フィギュアに触れる許可はすでに得ている。
「これも、きみが部屋で改造してたやつだよな」
「そうそう。ただ一ヶ所忘れててさー、パンツ。リリオたんなら縞パンにしなければなるまい。あ、フィギュアひっくりかえすなよ、いやらしい。我ながらぬけてたなー。しっかし白パンツのままな上つくりが甘いし、ほんっとわかってないなぁこの会社は」
「きみも縞パンはいてんの?」
 すらっと問うてみたら、隣の女はこちーんと固まった。
「それは……なにか、ヨシノなりのセクハラか?」
「さてね」
 なんのつもりだこのやろう、とでも言いたげにジト目を向けてくる音無。さあどう答えてみようかね、といたずら心を働かせてやった――と、ふいに、前方、ちゃぶ台の方からどんな声帯してんだって萌え萌えボイスが鳴り響いた。おいこりゃなんだとツッコもうとしたら、なんのことはない、音無の携帯の着信である。
「あれ、めずらしい、電話だ」
「この着うたなんなんだよ……って、早く出た方がいいぞ」
「わかってるって」
 音無はめんどくさそうに携帯に手を伸ばした。通話ボタンを押して、耳に当てて。
 すぐさま終了ボタンを押して携帯を元に戻した。
「え、ワン切り?」
「いや……」
 あっさり終わった通話と裏腹に、音無はただならぬ様子をしていた。目は見開かれている。視線は置いた携帯に固定されたまま。心なしか、顔が青ざめている? いったい――何があったというのか。
 驚いて、ついその肩を揺すった僕に、音無はそろそろと目をやった。一つ、つばを飲みこんだのがわかる。それから無理しておどけたように、乾いた声で一言だけ。
「……元カノ」


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