北九州

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 体育の授業後更衣室へ行くと、制服が消えていた。
 周りの女子がジャージを脱ぎ棚からスカートを取り出していく中、自分が制服をしまっておいたスペースをぼんやりと眺める。きょろきょろ辺りを見回したりはしない。そんなことは無駄だと、はなからわかっているのだ。
「園江さあん。これ、外に落ちてたよ」
 しばらくすると、着替えを済ませた後また更衣室に戻ってきた数人が近づいてきた。ぼうっと、視線を向ける。彼女らはにこにこと、綺麗に笑みをこぼしている。
「はい」
 そうして、茶色く薄汚れたワイシャツを、埃まみれのスカートをブレザーを、当たり前のように手渡すのだ。
 ありがとう、と言うのを待っているかのように。彼女らは首を傾げている。何も言えないでいると、またいっそう笑みを深くして語りかけてくる。
「園江さんはドジだなあ。制服落とすなんて」
「ねー。もううちら高二だよー? しっかりしないと」
 けたけた、楽しそうにさえずりながら、軽く肩を叩いてくる。まるで妹をいたわる優しい姉のよう。
「制服、これじゃ着れないよね」
「あ、もう次の授業始まっちゃうよ。しょうがないから、このまま教室行こ」
 なんてことない風に促しながら、女子の一人が手を引いてきた。拒否など考えていないような、柔らかな力。もちろんその手を振りほどけはせず、チェックのスカートをひるがえす彼女らの後を、ただただついていくしかない。
 ――いったい、どこの世界に自分の制服をわざわざ外に落とす人間がいるというのか。
 体操着で入る教室は、目眩がするほど淀んで見えた。

×   ×   ×   ×

「ジャージのまま授業を受けて、それで、その後は」
「今日は特に何もありませんでした」
 ごうんごうんと洗濯機が回る中、ぼくは彼女をベッドに座らす。それから自分は椅子に腰かけ、大学ノートを問診票のように持って問いかけるのだ。
「教室にやってきた先生に『なんだこいつ』という目で見られて」
「はい」
「制服の女の子に囲まれてお弁当を食べて」
「はい」
「それだけだった、と」
 彼女の真っ黒な瞳を見据える。
 はい、と浅くうなずく声を聞き届けてから、ぼくはノートにペンを走らせた。
「そう。じゃあ――大丈夫だね?」
「大丈夫です」
「そう。これくらいなら、問題ないよね」
 自分の手元に視線を落とすぼくに、彼女はまたはいと答える。上目遣いに見やると、墨のような瞳はぼんやりと窓の外を向いていた。
「博士。今日はいい天気ですね」
「そうだね」
 彼女の声は小さいが美しく透き通り、ひどく穏やかに響いた。
 その余韻のような沈黙の後、ちょうど水の回る音が止むのにぼくは気づく。一つうなずいてから、椅子を立ち部屋を出た。洗面所まで足を運べば、真新しいマンションにそぐわない古ぼけた二層式の洗濯機が見える。洗濯層から彼女の制服を取り出して、脱水層へ。脱水レバーを回せば、またごとごとと音が鳴りだす。
 ついた汚れは、洗えば落ちる。
 傷つけられても、いつかは治る。
 たとえ痕が残ってしまっても、痛みに対する耐性ができる。傷つきにくく、なっていく。
 また寝室へと戻り、ぼくは彼女としっかり目を合わせた。
「大丈夫。きみはまだ、全然、大丈夫だよ」
「はい博士」
 だから彼女は、きっと今に強くなる。
 強くならなければならない。
 なにものにも――悪の総本部にも、負けないくらいに。

×   ×   ×   ×




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