北九州

prev/top/next 


20





×   ×   ×   ×

 田舎の学校の屋上は不良の溜まり場だったけれど、この場所ではそうでもないようだった。屋上は立ち入り禁止。職員室でこっそり鍵を盗んで、誰もいない空間で息を吸う。薄青く広がる空は、元いた場所とたいして変わらないような気がした。
「ここも、汚染、されてるのかなあ……」
 ひとりごちる声は、乾燥した空気に吸い込まれていく。
 ぼくがやってきた公立高校は、それなりの進学校だった。一年生の頃から大学入試を視野に入れたカリキュラム、それ自体は別についていけなくもなかったし、苦でもなかった。ただ、入学してすぐクラスの人に目をつけられた。今にして思うと入試の疲れで彼らは荒んでいたのだろう。だから四月早々誰かをターゲットにして憂さ晴らし、授業が始まればそれに疲れてまた憂さ晴らし。
 どこへ行っても、いじめられる。
 これはきっと、汚染なのだ。
 ぼくだけが正常で、まともな思考を保っていて、だから目をつけられる。
 そう思っていたら、屋上のドアが開いた。
「あ……」
 戸口に立っていたのはブレザーもチェックのスカートも様になっている、いかにも都会育ちの女の子。
「……屋上は、立ち入り禁止だって」
 つい最近まで着ていたださいセーラー服を思い出し、ぼくは素っ気なく彼女に言い放った。だけどそれを無視して近づいてきた彼女からは、どうしてだろう、自分と同じようなにおいを感じたのだ。
「……中学では、嫌なことがあると屋上、だったから」
 そのまま彼女はぼくの横に寝転がった。
 何も言わず、二人で空を見上げていた。

 彼女も小学生の頃からずっと、いじめられていたらしい。高校に入っても何も変わらなかったという。
「皆、汚染されてるんだ」
「汚染?」
「悪い電波が流れていて、それの影響なんだ」
「じゃあ、どうして――」
 自分たちは汚染されていないのか、と彼女は疑問の色を浮かべた。自分たちは汚染された人間に虐げられる側で、人を傷つけることもない。それはどうしてか。
「ぼくらは小さい頃からずっと酷い目に遭ってるから、耐性ができてるんだよ」
「耐性」
「そう。狂うこともできない。ぼくらはそれほどに強くなってしまったんだ――」
 のんびりと雲が舞う。
 どこかでじわじわと、蝉が鳴き声を上げていた。

 制服に着替え、玄関に立つと、吐き気がするようになった。一歩外に出ると、胃液がこみ上げる。食欲もなく何も食べていないのに、ぼくはトイレで吐き尽くした。
 しばらくその状態が続き、学校へはいけなくなった。

 お見舞いに来てくれた神さまは、白桃の缶と、北九州監禁事件の話を置いていった。
 神さまが帰った後、自分でもネットを繋いで調べてみた。
 そこにはすべての答えが載っていた。

「北九州を、潰そう」
「北九州」
「あそこまで酷いことが起きるなんて、絶対に、悪い電波のおおもとは北九州だ」
 ぼくは彼女に、事件の概要、その他に起きた悲惨な出来事について話した。彼女も僕も、自分の身に起きていることを凌駕する凄惨さに、息をのんだ。
 それからぼくは、隣に横たわる彼女の手を探りあてる。
「ぼくはもう限界が近い。しばらく電波を遮断して、休まなければ汚染されてしまうかもしれない。だから、きみに――北九州にも立ち向かえるくらい、強くなってほしいんだ」
「今よりも? そんなものに立ち向かえるくらい?」
「大丈夫。きみなら大丈夫。ぼくの代わりに、頑張って。そうしたらきっと――幸せになれるから」
 ぼくたちが。
 皆が。
 その願いを込め彼女の手を強く握りしめた。
 彼女は、園江花は泣きそうに震える顔でどうにかうなずいて、ぼくの手を握り返した。そうしてきれいに、微笑んでくれた。
 その日から彼女は、何も感じない痛みを覚えない、そんな完全を目指す、ぼくのロボットとなった。ぼくは髪の毛を一つにくくり白いコートを常に羽織り、大学ノートをたずさえて、彼女のための博士となった。

×   ×   ×   ×




prev/top/next 
傘と胡椒 index



Copyright(c) 2013 senri agawa all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system