幸せになれない星の住人 10−2

幸せになれない星の住人

prev/top/next


10−2


 夏も終わる頃に安里ちゃんと公園で会った。今日も特に持ち込みはなし、のんびりと談笑するのみだった。
「大学生ってまだ夏休みなんだよね? いいなあ」
「就職浪人の場合、もともと授業なんてほとんどないから関係ないけどね」
「ええ、毎日が夏休みみたい! いいなあー」
 そんな楽なものではないよ、と本来なら言うべきなのだろうが、僕は「のん気なことを言うなあ」と冗談めかして流すことにした。
 もう夏休みの終わった安里ちゃんは、今日は制服姿だった。紺のブレザーにチェックのスカート。いつもと変わらず二つに結んだ髪の毛は、去年よりだいぶ伸びているな、とふと気づく。時間は過ぎている。止めようもなく、刻々と。
 去年、僕に声をかけた中学二年生の彼女も今や三年生。
 そういえば、と思う。
「安里ちゃん、受験生だよね? 勉強の方は大丈夫?」
「えー、余裕だよお。そんなのよりも、小説のことの方が大事」
 屈託なく笑う彼女は、強がって調子のいいことを言っているという風ではなかった。だけどついつい、嫌味など口にしてみたくなる。
「そんなこと言って、痛い目に遭っても知らないよ? 親御さんにうるさく言われないのかい?」
「だいじょうぶだって言ってるじゃん。わたし、けっこう成績ゆーしゅーなんだよー」
 冗談めかすような言い方だった。だから何気なく訊いていた。
「ちなみに安里ちゃんは、どこの高校を目指すんだい?」
「N高だよ?」
「え、僕の出身校か」
「えっ、トーリくんN高出身だったんだ。ああそっか、N大生だもんね。やっぱり頭いいなあ」
 何の気なしに僕を褒めてみせる安里ちゃん、それはN高を目指すと軽々言う自分もまた、頭が良いのだと自慢しているように聞こえかねないよ? そんな意図など彼女にはないとわかっているからこそ、苦笑いが漏れた。
 N高はこの界隈ではトップの高校だった。僕が合格した際など母ははしゃぎまわって御馳走を作り、周囲に自慢して歩いた。そのせいで僕の一家はすっかり近所から嫌われてしまったくらいだ。
「N高かあ。僕の従妹も目指してたんだけどね」
「へえ、エリート一族?」
「そんなんじゃないよ。従妹は……頑張ればどうにかなりそうなラインだったけれど、結局ランクはだいぶ下げたんだ」
「ええっどうして。頑張れば行けたのに?」
「その時の担任や、彼女の母親が保守的だったせいかな……彼女の上がり症を考慮したというのもあるのだろうけど」
「うーん、よくわかんないけどもったいない」
 安里ちゃんは心底不思議そうに、唇に人差し指を当て首を捻った。彼女の様子に、僕の心はまた苦笑する準備を始めているようだった。
 安里ちゃん。近所に住む中学三年生の女の子。僕の小説を褒めてくれる。彼女自身も小説を書いているらしいが、「まだ修行が足りないから」と見せてはくれない。僕の話に耳を傾け、まっすぐに頑張っているという印象を受ける。そう、真っ直ぐ。純粋でひねくれず、どこまでも真っ直ぐな女の子。
 彼女はきっと、努力は必ず報われると信じている。
「わたしだったら、親とかに反対されたって、意地でも自分の行きたいところに行くけどなあ」

 すっかり遅くなってしまってから家に帰った。頭の中は、別れ際安里ちゃんにねだられた短編の方を向き始めていた。お題は「受験」「洗濯機」「黒猫」。新人賞の〆切が近いんだと白々しいことを言うと、安里ちゃんはぶんぶん首を振って「そっちに集中してよ! こんなの暇になってからでいいから!」と付け足した。
 扉を開け靴を脱いでいると、音を聞きつけたのか母が近寄ってきた。背後に立つ母を振り返ると、むくむくと肉のつく顔をいつになく険しくしている。何事だろう、思う間もなかった。
「通! あんた、いったい何やってんの!」
 その叫びだけで僕の脳は最悪のパターンを計算し始めていた。頭からサーッと血の気が引いていく音が聞こえるようだった。
 何かがバレた。どこまでバレているかはわからない。ただ、どこまでであろうと、面倒なことになるのが避けようもないのはわかった。
「近所の中学生と公園で遊んでるって聞いたわよ! 何してんの!」
「……それは」
「あんたが最近出没する変質者なんじゃないかって噂までたってるくらいなんだから! ああもう、恥ずかしい……それに」
 ここまで来ると、何を述べても火に油。わかっていて口をつぐんでいた。
 いや。何を言われようと、反論する言葉を考える余裕はなかった。
「あんた、いつ仕事決まるの? そんな遊び歩いて……まさか説明会や面接行くって家を出て、中学生と遊んでたわけ? そんなことしてる場合じゃないでしょう! 何考えてるのよ!」
「……」
「早く、就職決めなさいよ! マトモにならないと許さないからね! あんたまさか、この後に及んで小説一本で食べてくなんて夢見てるんじゃないでしょうね!」
 夢。
 それだけを見ていたのは、いつまでだったろう。そこから目を背けたのは、いつのことだったろう。
 わかっているのに、僕はわからないふりをしている。
「そんなものとっとと諦めなさいよ! 才能ないってわかったでしょう! だいたいねえ、デビューしたあんたの友達だって、いつまで続くかわからないんだから! そんな不安定な仕事、最初からやめとけばいいのよ、食べてけなくなって困るのはあんたなんだからね!」


 ――安里ちゃん。
 君は知らないだろうけど、どれだけ足掻いても報われることのない人間というのは、いるんだよ。


prev/top/next
傘と胡椒 index



Copyright(c) 2014 senri agawa all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system