幸せになれない星の住人 9−2

幸せになれない星の住人

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9−2


 宵見と遊んで家に帰ってくるつつじはいつも異常に興奮していた。上機嫌とかそういうのでなく、ただ気分が高揚しているとでもいうのか。俺もはばからず呟く言葉は「今日がどうだった」ではなく、「次はこれを話そう」や「もっとあれを話そう」で、もはや自らを振り返ることもない。ただ次が楽しみで、今日の反省などなくのめり込んでいる、それだけだった。
 こうなってくると、つつじが宵見とどんなことを話したのか気になる。つつじが何かやらかしてはいないか。口にするなと禁止したことに触れていないか。
 ただ、確かめるのを恐れていたのも事実だった。
 そして、それより何より。宵見のことを聞くのが気まずかった。
 あの夢が俺を解放してくれない。眠るのを恐れて意識を保っていても、ふと手放してしまった瞬間、それは訪れる。
 俺は、何で、あんな夢を。
 どうかしてしまったのか? 夢も見ず真っ暗に眠る術を教えてほしい。誰でもいいから、助けてほしい。
 疲れていた。
 能天気にはしゃぎ続ける姉が、恨めしかった。

 姉が猫の催促をしてこなくなったのが幸いなのか不幸なのかは判断しかねる。
 最近では睡眠が不規則で体調が整わず、河原へ行くのもおっくうだった。つるんでいる連中からの遊びの誘いも断っているくらいで、どこにも出る気にはなれない。それでも、食料が尽きれば買い物に行かなければならないし、ずっと家にこもっているわけにもいかない。重い体を動かすのは最小限にとどめたかった。
 ただ。
 姉が猫を殺すところを見られない。それが、心に負荷をかけているのも否定はできなかった。
 姉に出会う前の自分は暴力衝動をひた隠しにしていて、それ故いつもはけ口を求めていた。漫画小説ゲーム。様々な媒体にそれを求めた。しかしどれも、足りなかったのだ。中途半端に欲望が刺激されてしまう。もっと残酷にしてみせろ。俺の方が、きっとずっと上手くやれる――
 そうして自分が恐ろしくなり、何もかも禁じて過ごしていた。一切はけ口がなくなったせいで気が狂いそうになるのを、普通の人達にまぎれてやり過ごしていた。今にして思えば中学時代の自分などはそれこそ狂ったように遊び呆けていたと思う。そうすれば全部忘れられるとでもいうように。
 そんな中で、つつじと出会ったのだ。
 第一印象は「綺麗な子」だった。素直に言えば、俺の中に巣くう衝動をくすぐるようなタイプだった。それで初対面の時は一緒に暮らすなど耐えられないと思っていた。
 しかし、親が再婚を機に「全部新しくしよう」などと越してきたこの町で、つつじはあっさりと猫を蹴飛ばしたのだ。
 俺は「かわいそうじゃないか」とびっくりして咎めた。しかしつつじは、きょとんと首を傾げて「どうして?」と返した。善悪のわからない子供。そんな感想は後になって抱いたもので、その時の俺は、暴力をふるわれた猫が呻く声に首筋をくすぐられるような感覚を精一杯楽しんでいた。
 それでわかったのだ。生の暴力は違う。犬を絞めようとした時、金魚を踏み潰した時。そんな記憶がよみがえる。自分が求めていたのはこれだ。そして。
 つつじなら、この姉ならば、自分より上手くできる。
 だから俺は、進んで姉の奴隷となった。
 もっとも、義母から姉に関する注意事項については伝えられており、最低限の舵取りはさせてもらうことにした。姉は以前住んでいた所では猫を殺す子供として悪評が立っていたという。彼女の本当の父によりその件はごまかされていたようだが、今は事情が違う。下手なことをすれば警察のやっかいになる可能性もある。この猫だらけの町で、無闇に殺戮を行わぬようきつく言いつけていた。
 また、俺はつつじとは違い、猫を殺すことの影響についてわかっていた。多くの人間は、そんなことをするのはおかしいと考える。そんな頭のおかしい人間は排斥すべき。猫がかわいそうだ。もし飼い猫だったら、飼い主が悲しむ。欲望に任せることは許されない罪悪なのだと、つつじに向かって幼子を相手にするように説明した。
 俺達は、頭のおかしい人間なのだ。
 衝動を上手くいなすことを考えつつ、それ自体をなくすことを考えるのが正しいあり方だ。それに、まともになった方がずっと楽だ。普通の人間ならば、こんなことを考えずに済むのだから。
 もっともそればかりは、つつじにはわからないようだった。理解しようとしないのでなく、一切触れてこなかったために普通というものが「わからない」。
 義母からはこの子はかわいそうな子なのだと聞かされた。離婚した夫と娘の間に何があったか、義母は中学生の俺に詳細に打ち明けた。つつじがどんな子供だったか、何度も何度も刷り込まれた。
 ただ、義母が打ち明けた真意はつつじのためなどでないこともわかった。あの女は、前の夫に奴隷同然に扱われていたことに不満を募らせていた。そして新しい家を手に入れた瞬間、つつじを捨てた。俺に「サツキくん、つつじをよろしくね」と甘ったるい声で囁いて、全てを放り投げたのだ。義母は家のことを省みず仕事を始めてはまり込んだ。たまの休みには新婚夫婦のように父さんを旅行に連れ出す。子供そっちのけで、今までできなかったことを全部しようとはりきり続けていた。
 父さんは元々仕事人間だったので、家には寄りつかなかった。父さんは昔から何を考えているのか何も考えていないのか、何を見ているのか何も見ていないのか、わかりにくいところがあった。まともに言葉を交わしたことはそもそもない。
 こうして猫だらけの町、その中の城原家は子供のためだけの家となった。
 そして去年の秋、限界を超えた何かを感じてしまったのか、つつじは猫殺しに走った。もしもの時は俺に連絡を寄越せと言いつけていたのを律儀に守り、電話してきた。
『サツキ、猫殺しちゃった。どうしよう』
 駆けつけて現場を片づけてから、言いつけを変更した。殺す猫は俺が用意するから動くな、いくら猫屋敷の猫でも大幅に数が減れば問題となるから控えろ、見つからないように家でやれ、死体の処理は俺がする。
 だから、俺の見ている前で全部やれ。
 ――どう考えても、あの瞬間に俺は足を踏み外していた。曲がりなりにも暴力衝動など忘れたふりをし、普通に過ごそうとしていた自分を俺はあの日、裏切った。快楽に負けて、猫の惨殺現場に居合わせることを望んだ。脳髄を直接つかむような乱暴な刺激を何度でも求めた。まっとうな道に背を向けていた。
 それでもなお普通になる希望を捨てていなかったのは、もはや救いがたい愚かしさだったのかもしれない。
 だからきっと、あんな夢を見るのだ。

 買い物しようと思い体を引きずって家を出ると、あの黒猫の姿を見た。
 宵見の顔が浮かぶ。そしてすぐさま、後ろめたい気持ちが襲う。
 あんな夢の中に、俺は、あいつを。
 羞恥で顔が火をふく。頭の中で何度も謝る。せめてもの罪滅ぼしにと、俺は真面目に角度を調整して、猫の写真を何枚も撮った。


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