もののけ最前線!

prev/top/next


肆。


 その日の朝一番、姫ちゃんはどこか思いつめたような顔をして、私に歩み寄って来た。
「久子ちゃん……話があるの。放課後、ちょっといいかな」
 私としても、望むべきところであった――変な態度を取り続けてごめんと、謝ろう。人から姫ちゃんに関する変な噂を聞いてしまったのだ、とでも言って、ごまかして――そうしてまた、仲の良い友達に戻ろう。
「うん……いいよ」
 決戦は、放課後。私は心の内、腕捲りをするのだった。

 姫ちゃんに案内されたのは、普段めったに使わない資料室だった。彼女は鍵を開け、私を先に通すとすぐさま鍵を閉めて――あれ、どうして二個も鍵を持っているのかな?
「久子ちゃん……座って
「え」
 その瞬間、私は地べたに座り込んでいた。
 え?
正直に答えてね。久子ちゃん、人間よね?」
「はい……」
 え?
 な、何故に? 口が、勝手に……?
「やっぱり、妖怪じゃないわよね……」
「え……よ、妖怪って!?」
 え?
 姫ちゃんの口から、どうしてそんな言葉が……?
「しらばっくれないで。久子ちゃん、あの化け猫に、私が妖怪だって吹き込まれたんでしょう――それで急に、よそよそしくなったんでしょう。そうよね、妖怪なんて、怖いものね」
「え……はえぇぇ!?」
 え?
 妖怪? 姫ちゃんが?
 というか、化け猫って、番太郎のことだよな……どうして、バレてる!?
「あ、あ……姫ちゃん、あなたは一体……」
「でも、大丈夫だから。怖くなくなるから――」
 私の動揺になど目もくれず、姫ちゃんは腰を屈めて、私の間近に身を寄せた――
 え?
 怖くなくなるって、何が?
「だって、こんなに仲良くなれたの、久子ちゃんが初めてなんだもの……嫌よ、私から離れないで。他の子は皆、美味しそうに見えちゃってろくに目も合わせられないけど――久子ちゃんは違うの」
「は、はい?」
「大丈夫、あなたも私と同じになれば――そうすれば、怖くなくなるから。ね?」
 え?
 姫ちゃん、どうしてあなたの瞳はそんなに赤いのですか? どうして犬歯がそんなに尖っているのですか? どうして私の服を引っ張るのですか?
「ひ、姫ちゃん、何を」
「私だって、こんなことするの、初めてなのよ?」
 え?
 いやいやいやいや、これは、まずい?
「ひ、姫ちゃん、は、離れて!」
動かないで。大丈夫、痛くしないから……」
 え?
 身体が、うんともすんとも言わない?
「私が吸ったら、すぐに久子ちゃんにもあげるから。そうすれば――同じになれるから」
 え?
 は?

♯ ♯ ♯ ♯ ♯ ♯

 走馬灯とでも言うのだろうか――その時私の脳裏には、何故か中学三年の時の事が浮かんでいた。
 中学三年。受験生真っ盛りである。私は今通っているこの高校に、漠然と入りたいなあと考えていたものの――その夏に行われた模試の判定は、すこぶる悪かった。部活の引退直後だったからだとか、適当に理由をつけて言い逃れようとしたものの……何てことはない、要するに、ただの怠慢だったのだ。
 しかし、その頃まだ母とくっついたばかりだったお義父さんは、こう言ったのだった。
「まあ、久子ちゃん、頑張ってたよね。仕方ないさ、次がまだあるから」
 ……頑張って、ない。
 頑張ってなど、なかったのだ。
 でもお義父さんは「頑張った」と言って――私の実力は、こんなもんだと、言ったようなもので――いや、出してもいない実力を評価しろとは身勝手な話だが。
 それでも。
 私は、こう言って欲しかったのだ――
『何をやっている。お前、もうちょっと出来るだろうが。頑張れ』

 ああ、どうして今、あの時の小憎たらしい猫面が浮かんでくるのだろうか――そりゃあ、あいつもたまには良いこと言ってくれたりもするけどさ――今回も、奴の言うことをちゃんと聞いていればよかったということか?
 いやいや、しかし、奴が中途半端なことを言ったりしなければ、そもそも姫ちゃんがこのような蛮行に及ぶことにもならなかったわけで――
 ああもう、知らねぇええええええええええ!

♯ ♯ ♯ ♯ ♯ ♯

『久子っ!!』
 ――その時である。
 ダゴンッ!! と派手に音をたてて、資料室の扉が開いた。あれ、鍵、掛かってたはずじゃあ?
「なっ……」
 扉に手を掛けていたのは、山茶花さん――そしてその背後からものすごい勢いで飛び出してきたのは――
「番太郎っ!!」
 私にしな垂れ掛かっていた姫ちゃんに、白い毛玉が目にも止まらぬ速さで突進してきた。
「ぎゃあっ!!」
 姫ちゃんは、番太郎共々床の上を転がる。
 そうして解放された私の元に、山茶花さんが駆け付ける。
「大丈夫かい、久子ちゃん!?」
「さ、山茶花さん……」
 どうしてここに? と問おうとするも、口が上手く回らない。
 そうこうしているうちに、『にぎゃあっ』という鈍い悲鳴が聞こえてきた――番太郎が、姫ちゃんに首根っこを掴まれて暴れている。
「あんた達っ……どうやって入ってきたのよ!? 鍵は全部こっちにあるのに!」
 床の上には二つの鍵――ああそうか、一つはこの部屋の鍵で、もう一つはマスターキーってやつか。何だか呆けてしまって、私はそんな瑣末な事を考えてしまう。
『ふん、座敷童子の前では、鍵などあって無きが如し、だ』
「いやいや、確かに自分の住処なら鍵なんてなくても開けられますけどね――大変でしたよ、学校を住処に書き換えるのは」
「住処の書き換えですって!? ああもう、何それ! これだから嫌になるのよ、日本の妖怪共は!」
 ……何だかもう、頭が上手く回らなかった。
 住処って。
 日本の妖怪って。
『久子、いつまでも呆けているな! この女はな――吸血鬼というやつだ!』
「ヴァンパイアって呼んでくれないかしら!」
 吸血鬼?
 ヴァンパイア?
『この女はな、今――お前の血を吸って、それから自分の血を飲ませて――お前を、下僕にしようとしていたのだ! 前の学校でも同じような事をやろうとして、居場所を追われた不届き者だ!』
「下僕なんて、人聞き悪いわねえ! ただ、久子ちゃんにも私と似たような存在になって欲しかっただけよ!」
 いやいやあなた、「似たような」って。「同じ」じゃなかったんですかい。
『久子! くだらない事を考えていないで、とっとと逃げろ! ここは何とかする!』
「そうはさせない――動くな!
 ――その瞬間、また、私の身体はかちんこちんに固まった。山茶花さんも同じだ。番太郎も、姫ちゃんの手の中じたばたするのをやめている。
『吸血鬼の暗示か――混ざり者のくせに、大した効果だな!』
「お腹空いてる時にしか使えないけどね! 本当、丁度いいわ……まずは、あんたの血から根こそぎ奪ってあげる」
 そう宣言して、番太郎の首に顔を近付ける姫ちゃん――根こそぎ? 血を奪う?
 え?
「やっ……やめて! 姫ちゃん!」
「私だって、こんな獣の血なんて吸いたくないけどね――お祖母様、動物の血なんて飲めたもんじゃないって言ってたもの」
 駄目。
 駄目だよ。
 え?
 そんな事したら、番太郎――死んじゃうよ。
「やだっ……やめて!! お願いだから、姫ちゃん!!」
「だってこいつら、邪魔するんだもの……こっちは、久子ちゃんさえ手に入ればいいのよ」
 え?
 知らないよ、そんなの。
 やめてよ。
 やめて。
「番太郎っ……ばんたろおおおおおおぉっ!!」
 嫌だ。
 やめて。
 お願いだから、番太郎を殺さないで――
『……ふん、案ずるでない』
 ――やけに落ち着いた声が聞こえた。
 その時、番太郎の首には姫ちゃんの鋭い前歯が刺しかかっていて――私はもう、半狂乱だったというのに。
「なっ……がふっ! がほげほっ!」
 突然、姫ちゃんが苦しみ出したのだ。番太郎を放り投げて、口元を手で押さえて――
「げはうっ! ううっ……この化け猫! 何をしたのよ!?」
 盛大に咳込む姫ちゃん――
 床に転がったまま彼女を見上げ、番太郎は、はっきりとのたまった。
『貴様は、猫アレルギーだろうが!』
 ……え?
 は?
「うぅ〜〜っ……ああもう、そういやそうだったわ……これだから、獣は嫌なのよ!」
 は?
 何とはなしに、山茶花さんを向いてみる。山茶花さんは、肩をすくめて――
「終わったね」
 は?
 何だそりゃああああああ!?


prev/top/next
傘と胡椒 index



Copyright(c) 2010 senri agawa all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-

inserted by FC2 system